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不幸中のさいわい

じん帯は断裂したが
自主トレはうまくいっている。
確かにひざを折りにくい。
しかしこの程度のケガですんだのは不幸中の幸い。
人生が沈みかけるたびに波間に現れる
「不幸中のさいわい」というタグはなにか?

不幸はありふれたものだ。
わざわざ探すほどのこともない。
しかし「不幸中の不幸」には
めったにお目にかかれない。

ときに不幸に見舞われた人を
さらに不幸の谷に蹴落とすのをためらわせる
何か(something great)が人生には働くのかもしれない。
逆に言えば「不幸中のさいわい」は
苦い人生に与えられたひと時の安息であり
「不幸中のさいわい」の連勝は
どこかで途切れるしかないのだ。

どんな不幸の中にも
さいわいは隠れている
不幸は見なれない町へ
手ぶらで入っていくようなものだ。
閑散とした駅前には
無愛想な商店街がほこりをかぶり
行きかう人々は厳しい視線で互いを見交わし
今にも降りだしそうな空模様が
いつまでも続くかと思える。

しかしそのような町にも
かすかではあるが希望がある。
不幸の中に隠れているさいわいを
私たちは見つけだせばいいのだ。

かすかな気配であるさいわいは
種のように息を潜めていたり
緑のそよ風から送られる合図であったり
恋人の新しい髪形のようであったり
木漏れ日の下の子どもの笑顔だったり
森の湧き水に隠れていたり
真夏の夜空の流れ星なのかもしれない。
しかしどこかでかならず見つかる。

「不幸中のさいわい」を見つけようとすると
いくつかの問いが浮かんでくる。
「この地球に人として生まれたのは不幸中のさいわい?」
「いつかは死ぬ定めは不幸中のさいわい?」
「子に恵まれ次世代にバトンを渡せたのは不幸中のさいわい?」
「煩悩に支配されるのは不幸中のさいわい?」
「老いるのは不幸中のさいわい?」
「海が生物を誕生させたのは不幸中のさいわい?」

そして最後の問い。
「原発事故に見舞われたのは不幸中のさいわい?」
しかしながらどこをどう探索しても
原発事故にさいわいの兆しはない。
パンダと花さじき
じん帯を切る少し前に
パンダをつれて
菜の花が満開の
「花さじき」に行ってきました。
パンダという名前を与えられたのは
彼女にとって「不幸中のさいわい?」でしょうか。



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コメント

拓ちゃん、無理せずに自主トレ励んでねー(^^)。パンダと名付けられたパンダは「幸い中の幸い」よ、絶対に(^-^)/

2014/05/09 (Fri) 22:52 | 津久井理恵 #CTMkmHSg | URL | 編集

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