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制作現場から・・・・・(8)あとがきを書く(続)

昨日に引き続き
あとがきにあたる
メッセージを書きました。
ページの写真も
同じです。

福島の子どもの側に立つとは、
未来を肯定的に語ることを意味します。
本の構成には、「若い男」と「若い女」を選び、
男女それぞれが6つのパートで希望を語る形をとりました。
ふたりの声が合わさるのは最後の結婚式のパート。
それは、ふたりが心待ちにする、
もっとも大きな希望だからです。
 語られるテーマは男女共にバラバラです。
下にまとめてみます。

 若い男 希望を探しに 運命への問いかけ シンプルないのち いのり
     本から生まれるものは 今するべきこと
 若い女 違いより共通点を 小さなことが大切 まわれば変わる
     言葉の力 いのちをリレーする本 いつも晴れを求めて
 上のテーマを読めばわかるように、
本については男女両方が語っています。
本を読むことは、
未来を肯定的に語ることと深くかかわるのだと、
私は主張したかったからです。


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大詰め

本の制作も大詰めです。
今日は本文に続く「あとがき」のようなもの。
メッセージを書きました。
今日から3回連載し
活動報告とします。
今日は1回目です。

「ぼく、花に触っていいの?」
 この痛切な言葉を耳にしたのは、
2012年に実施した最初のキャンプのときでした。
7歳の男の子の質問に母親はこう答えました。
 「いいよ、どうして?」
 「だけどぼく、放射能で汚れているんでしょ?」
 「もしそうだったら、どうしたい?」
 「それならぼく福島に帰る。きれいな花や土を汚したくないもん」
 
福島の原発事故を思うとき、
この少年と母のやりとりが頭をよぎります。
あれから3年。福島の子どもたちを招いて行なう私たちのキャンプも、
2015年3月で6回になりました。
しかし状況は何も変わっていません。
相変わらず私たちが見聞きするのは、
痛々しい同種のセリフであり、原発事故によって負わされた傷が、
生々しくうずく様子なのです。
 
これまでのキャンプを通して、私は多くの福島の親子と接してきました。
淡路島の豊かな自然に抱かれ、
いつまでも外遊びする子どもたちに微塵の暗さもありません。
しかしときおり(たとえばキャンプの恒例行事である健康診断を受けるときなど)、
未来に心がかげるのが見て取れます。
この絵本を私が作ろうと思い立ったのは、
そんな健康診断の折でした。

健康診断を受けるのは、神戸の街中にある診療所です。
そばには川が流れ、川沿いに大きな公園があり、
神戸の少年たちが無邪気に遊びほうけています。
キャンプに来た福島の子どもたちは、
公園から届く夏の歓声を耳にしながら、
エコー検査・血液採取、心電図から生活指導へと続く、
長時間の検査に耐えなければならないのです。

公園でサッカーに興じる子どもには、
道ひとつ隔てたところで、同年代の小学生が、
放射能被ばくの恐れに耐えながら、
つらい検査を受けている事態など想像外のこと。
私はこの対比に、日本の亀裂を見る思いでした。
そして、福島の子どもの側に立って、
そこから見える未来が書けないだろうかと考えたのです。

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制作現場から・・・・・・(7)

一昨日見ていただいた絵が
絵作りの転回点になった
と私は言いました。
それよりだいぶ以前に描かれた絵と比べれば
私の言いたいことが
きっとわかっていただけるでしょう。
表紙

これは表紙の第3案です。
色使いや象徴的な動物
本を読むさまざまな生き物たち。
藤井さんが創造した絵本の要素が
ほぼ出揃っています。

見た目に美しく調和があり
落ち着いた感じがします。
この絵を前にして
私と藤井さんの間ではまず
アジア・アフリカ風のパターンが問題になりました。
何々風ということになれば
それは当然意味をもってしまうからです。

その意味の是非を考えているうちに
敷物や衣服などに使われる
伝統的な模様あるいはパターン(図柄)は
確かに安定感があり親しみを感じさせるけれど
それはすべての動的なものを
模様に封じ込めることによって
生まれたことに私たちは気づいたのです。

絵本作りにあたって
私たちは動いているものが止まった瞬間か
今にも動き出しそうな気配のある絵。
一言で表せば「動的平衡」の感じられるものを
無意識に求めていました。
それを実現したのが
前回見ていただいた絵です。
もう一度見ていただき
表紙の絵と見比べていただきましょう。
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静的なものから動的平衡へ。
ミツバチは旋回し
月は読書する少年に語りかけ
鹿が今にも木の後ろから飛び出してきそうです。
これを私は転回点と呼びました。

制作現場から・・・・・・(6)

宮沢賢治の作品には
交響という言葉が時々出てきます。
ある意味で賢治のキーワードのひとつ
と言えるかもしれません。

賢治の作品では異質なものが出会い
それぞれが自分を失ったり
他の存在に従属したりすることなく
あるがままで周囲を引き立て
自分のよさもそれによって輝いてくる。
このような作品が数多くにあります。
楽器の協奏を想像すればわかるように
これを交響と呼ぶのだと思います。

交響の前提は
すべてのいのちは
単独で存在するのではなく
共に支えあって生きるという事実です。
その上にそれぞれの存在は等価であり
たがいに交換可能であり
人間は動物や植物ばかりでなく
星や海や山など自然のいのちともなり
全宇宙的な生命を生きる存在である。
いくつかの賢治の作品から感じ取れるのは
このような彼の考えです。

私は賢治の「セロ弾きゴーシュ」が好きです。
セロの下手なゴーシュが
毎晩やってくる三毛猫やカッコウ、野ネズミなどと
等価の存在として接しているうちに
セロはどう弾けばいいのか
音楽とは何なのかを学び
成長していくという話です。

絵本の20・21ページを見てください。
これは私が大好きな場面であり
交響という言葉が似合う絵です。
またここは絵本の転回点になったところですが
この絵については次回に書きましょう。
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制作現場から・・・・・・(5)

昨日見ていただいた絵には
前のバージョンがあります。
それをまず見ていただきましょう。
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とても同じ材料から描かれたとは思えません。
何が起こったのでしょう。
実は私とイラストレーターの藤井さんには
宮沢賢治のファンという共通点があります。

書き直す前の絵で
私たちが共に不満であったのは
何度も話題にしています抽象度なのです。
表紙では「愛」をいかに描くのかでしたが
ここでテーマは「死」に変わっています。
しかし直面している困難は同じです。

前のバージョンの絵(今日の絵)では
病院とおぼしき建物 悲しげな太陽
雲に乗った女性 それらを見つめるコート姿の男性
いずれも死の暗示と受け取れなくはありません。
それが新しいバージョン(昨日の絵)では見事に払拭され
死が空飛ぶ列車にまで抽象化されています。
この絵を見たとたん
私は「あっ『銀河鉄道の夜』だ」と思いました。

鉄道を持ち出したのは私でしたが
具体性のないただの思いつきです。
それを星空に飛ばし
乗務員にも乗客にも本を読ませ
ヒョウにも鳥にさえ読書を楽しませ
多くのいのちと結びつきながら
空を渡ることに死があると
絵柄に纏め上げたのは
藤井さんのアイディアと絵の力でした。

もちろんこの絵までたどり着けたのは
私たちふたりが
賢治ファンであったことと無縁ではありません
次も賢治の影響について考えましょう。

制作現場から・・・・・・(4)

表紙の問題は
この先2転3転します。
しかしながらここではあとを追わずに
別の角度から抽象性の問題を考えて見ます。

タイトルが示すように
この本に書かれたメッセージのいくつかは
本を介して語られています。
ひとつは本から生まれるものは愛であり
もうひとつは死を前にして
人は何をすべきかという問題です
それに対してこの本では
本を読むべきとのメッセージを与えています。
下の本文の18・19ページを見てください。
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人は死を前にしても
本を読めばいいという提案は
実は私の友だちの振る舞いがもとになっています。
彼女は末期の胆管ガンでした。
もうダメかもしれないということで
最後の別れのつもりで病院を訪ねると
彼女は平然と本を読んでいたのです。

3日後に彼女が亡くなり
私は彼女の行為について考えはじめました。
彼女が死の床で得た知識はどこで活きるのであろうか?
向上する可能性をまったく閉ざされても
彼女はまだ求めるものがあったのか?

私の頭の中では
彼女の甲斐のない努力は
どこかで不条理な死を前にした人の嘆きと
神の沈黙に通じるものがありました。
そして次のフレーズが生まれたのです。
「死に迫られたぼくも
母のように本を読み続けるであろう
本から生まれるのは
希望であり愛なのだから」と。

この部分を書いたことで
私のメッセージは思いもしない方向に拡大し
宮沢賢治の世界と重なるようになりました。
それが「雨ニモマケズ」の引用になったのですが
この続きは明日にしましょう。

制作現場から・・・・・・(3)

昨日の表紙は
数日をへて劇的に変更されます。
私たちが掲げたテーマは
ハートやダンスを使わずに
いかに愛が表現できるのかということでした。

私たちといっても
先に書きましたように
私とイラストレーターの藤井さんが
協同作業をしたのではありません。
それどころか私たちは絵本を作りはじめて
一度しか会っていないのです。
藤井さんは私の書いたものを読み
私はそれをもとに描かれた絵を見ます。
文と絵を介した無言の交感だけです。
表紙の第2案はこんな絵です。
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ハートが消え2人で踊る絵も背景の一部になりました。
いちばん大きな変更点は多くの動物と人が登場し
だれもが本を読んでいることです。
私たちは期せずして原則に立ち戻ったのです。
表紙のデザインがむずかしいのは
本のタイトルが1枚の絵によって
表現されなければならないからです。
タイトルは「本から生まれるものは愛」。

藤井さんがどういう意図で
本を読む動物を登場させたのか知りません。
しかし多くの動物と人間を描くことで
読書と愛の間にかすかな結びつきが生まれています。

本文中に私のこんな文があります。
「本から1冊の本になる長い旅で
さまざまないのちがリレーされる
ホンヲヨメバイノチヒカル」と。
「本から生まれるものは愛」であるのは
「さまざまないのちがリレーされる」から?

ここにいたり少し先が見えてきました。
つづきは明日です。

制作現場から・・・・・・(2)

表紙であっても本文であっても
文章に添えられた絵は
意味や価値をもってしまいます。
「本から生まれるものは愛」の
最初の表紙案はこのようなものでした。

最初の表紙 小

絵柄にあるダンスとハートは
強い意味とメッセージをもっています。
それらは男女の愛を謳い
ダンスをすることで
その喜びと永遠性が祝福される
多くの人はこのように解釈するはずです。

実際この絵は本文の情景でもありました。
最後のシーンの結婚式で
若い男女がこのように踊るのです。
結婚式シーンの描写としては
決して悪くはありません。
しかし「本から生まれるものは愛」の愛は
ハートやダンスで表現できるものなのか。
私たちの最初の疑問はここにありました。

この躊躇は絵本を作るときに
常に私たちの頭を悩ますものです。
愛のような抽象的な概念も
だれにでもわかるように表現するには
具体的な事物(ハート・ダンス)の助けを
借りなければなりません。
しかし具体的な事物は
地上的な意味や価値をもってしまい
愛の抽象性(天上性)が損なわれるという
矛盾に私たちは直面せざるを得ないのです。

私たちはせめてハートを捨て
別の方法で抽象度をもつ愛を
表現できる方法を探すことにしたのです。

活動報告 制作現場から・・・・・・(1)

クラウドファンディングの作業が続いている。
一日の多くはこれにとられる。
運営サイトからは
資金を獲得したければ
こうすればいい、ああしたらどうか
とさまざまなアドバイスをもらう。

そのひとつ活動報告を
サイトにアップした。
このブログでは
しばらくのあいだ
それと同じものを掲載することにする。
苦しい事情だけれど仕方がない。

制作現場から・・・
このようなタイトルでしばらく活動報告を書きます。
このプロジェクトは1月14日にスタートしましたが
本はまだ出来上がっていません。
あたりまえですよね。
原稿は95%完成しました。
絵のほうは82%くらいでしょうか?
印刷会社に入稿するのは1月末。
印刷・製本が終わり書店に本が並ぶのは
2月の終わりごろではないかと思っています。
それまでのあいだ制作現場を舞台にして
文と絵が1冊の絵本に仕上がるさまを
なるべく丁寧に報告していくつもりです。

このプロジェクトで作る絵本のタイトルは
「本から生まれるものは愛」といいます。
文を担当する私は木田拓雄です。
絵を描いていただくのは
イラストレータ藤井一士さんです。
「制作現場から」と言っても
私たちは一緒の場所で
作業をしているわけではありません。
私は兵庫県の淡路島で海を見ながら
藤井さんは同じく兵庫県の伊丹で
それぞれ仕事をしています。
伊丹は空港のある場所として有名ですよね。

さて制作現場で
今いちばんホットな話題といえば
表紙のデザインについてです。
制作手順から言えば
どんな表紙にするか意見を交換し
イメージを出し合って藤井さんにラフ画描いてもらい
それが表紙にふさわしいか検討を加え
決まらなければゼロに戻り
別のデザインを探す。
こんなことを1ヶ月くらいかけて行なっていきます。
表紙作りは実のところ大変な作業なのです。

「人は見た目が9割」とか言います。
表紙もまったく同じです。
表紙を見れば魅力的な本の中身が推察でき
その上お金を払ってもどうしても買いたい
と思わせるようなデザインが求められるのです。

さて次回以降は
どのような過程をへて
本はそれにふさわしい表紙にたどり着くのか。
そんなことをきれいな写真もまじえ
さらに詳しく報告することにしましょう。
どうぞご期待ください。

                
                木田拓雄

クラウドファンディング開始

1月14日。
昨年10月より
長い時間をかけて準備してきた
クラウドファンディングが
今日公開されました。

以下の文章をお読みいただき
支援いただけますよう
よろしくお願いいたします。

2015年1月14日 「クラウドファンディング」を使った新しいプロジェクトがスタートします。
プロジェクト名は「チャリティー絵本制作プロジェクト 福島の子どもに笑顔を」です。
「クラウドファンディング」とは、インターネットなどを使い、
不特定多数の人々(CROWD)から資金を集め(FUNDHIG)、
それをもとに芸術活動や社会貢献などを行うものです。
いただいた資金で、私たちは絵本を制作・販売し「福島の子どもの放射能被ばくを防ぐ」活動に生かす計画です。
絵本のタイトルは「本から生まれるものは愛(カラー版32頁/発行:樹書林/発売:関西学院大学出版会 予定)」で、
美しい絵と共に、子どもたちへの応援メッセージが綴られています。
まず、下記のURLをクリックし、プロジェクトの内容をご覧になってください。
その上で次のことを実行していただければと思います。

クラウドファンディング・プラットフォーム CAMPFIRE
http://camp-fire.jp/projects/view/1409
 ・メール・フェイスブック・口コミなどで、プロジェクトの存在を拡散してください
 ・それと同時に「パトロン(資金提供者)」になるよう呼びかけてください。
 ・最後にご自身もこのプロジェクトの「パトロン」になってください。

「パトロン」は500円の出資でなってもらえます。
また「パトロン」の皆さまには、もれなく「リターン(お礼の品)」を差し上げます。
豪華なものではありませんが、子どもたちからのお礼状など、心のこもった品々です。
きっと気に入っていただけると思います。
 
2月14日 3月14日とこれから「愛の日」が続きます。
絵本では「本を読み続けていれば希望も愛も失われない」と訴えています。
そのような本の内容を愛に連鎖させる意味で、1月14日をプロジェクトのスタートに選びました。
一方1月17日、3月11日と鎮魂の日が続きます。
プロジェクトの期間(79日間)がそれらの日に含まれ、
皆さまがもう一度それぞれの犠牲者・被災者に心を寄せていただける機会になれば、
との願いを込めてプロジェクトの日程を決めました。

「福島の子どもに笑顔を」
皆さまも、私たちと共に心からそう祈ってください。
そしてこのプロジェクトが成功しますよう、
皆さまの力をお貸しください。
どうかよろしくお願い申し上げます。
 
                                  木田 拓雄





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