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なんでもない日々

9月]20日 新潟の友だちが
「かきのもと」と「NOBU」を送ってくれた。
かきのもとは別名「もってのほか」
赤紫色の食用菊で新潟の名産だ。
一方「NOBU」は佐渡の名酒
「北雪」の特別バージョンである。
世界的な料理人「松久信幸」さんの店「NOBU」で供される酒らしい。
この組み合わせが半端でなくうまい
かきのもと
これが「かきのもと」です。
塩と酢を入れた湯にさっとくぐらせ
絞ってポン酢で食べる(もちろんあの「旭ポン酢」で)
ほんまにうまいですよ。

かきのもとと北雪
世界中にある高級レストラン「NOBU」は
俳優のロバート・デニーロと共同経営だそうです。
日本では東京の虎ノ門にあります。
行ったことはありませんがね。

昨日 9月25日は
ウォーキングに出かけようとして
家の前の坂で足を滑らせケガをした。
左足をくじきそうになり
4月に断裂したじん帯を思わずかばい
その結果、左足、手のひら、左ひじを痛めた。
手首と足はかなりはれているが
大丈夫だろう。
度重なるケガに
「私の時代は終わった」と痛感する。
あきませんわ ホンマに

めげることなく
そのまま散歩を続ける。
海沿いの道を北西に向かって約1時間半。
終わりよければすべてよし。
島にも雲にもさえぎられず
真っ赤な太陽は快哉を叫びながら
水平線に没した。満足 ありがとう太陽
夕陽
夕方のNHKのニュースでも
この見事な入日を放映していました。
海に直接沈むというのは
あまりないことなのですよ。

寒がりパンダ
散歩から戻ると
パンダが寒さに震えて
ふとんから顔をのぞかせていました。
なんでもない日々の主役は
やはりパンダです。

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祭り男

淡路は祭りの島である。
当たり前のことだが
淡路島は海に囲まれている。
一周約160キロメートル。
程よい距離のためか
淡路島一周の速さを競う
自転車レースが盛んである。

海岸沿いをめぐれば
いたるところに漁港がある。
漁港といえば祭り。
淡路では祭りといえばだんじり。
淡路島にあるだんじりの数は
200台とも300台とも言われる。
その多くがふとんだんじりである。

私が住む野島にも漁港があり
春と秋にふとんだんじりがでる。
祭が近づくとチラシがポスティングされる。
しかし私はふとんだんじりにはなじみがなく
屋根のついた屋台を曳く
曳きだんじりが好きなのである。
担ぎ手

秋祭りが近づき
チラシがポスティングされていました。
ふとんだんじりは重くて
私にはもう担ぐのは無理です。
ここでは70歳でも
若手と目されリクルートの対象です。

私が育った神戸市東灘区も
だんじりの町だった。
そして私は根っからの祭り男である。
小学校時代にはだんじりで太鼓を叩き
お囃子をおぼえ
酒の味をおぼえ(祭の日は子どもも酔っ払った)
祭りの魅力にとり憑かれた。

野島と逆の東海岸にある岩屋には
私の好きな曳きだんじりがある。
14日の日曜日に岩屋の祭りがあった。
ここの祭りはユニークでさらに楽しい。
私はウキウキしながら1時間ばかり
だんじりの後を追った。
だんじり1
だんじりの多くは
女性を歓迎しませんが
岩屋の祭では
片肌脱いだ着物姿の若い女性が
扇片手に「ジュリアナ」まがいの
踊りで景気をつけてくれます。

だんじり2
岩屋のだんじり唄は
なぜか鹿児島の「おはら節」。
それをきわどい替え歌にしたのが
女性たちのダンスミュージック。
いかにも祭らしい色っぽい活気がでます。

だんじり3
岩屋のだんじりの種類を正確に記すと
「歌舞伎舞台つき屋台」となります。
だんじりは20メートル進むごとに止められ
着飾った白塗りメイクの子どもによる
日舞が披露されます。
舞台には観客から多数のおひねりが。
歌舞伎や浄瑠璃に由来するだんじり唄と
華麗な踊りも淡路島のだんじりの特色。
来年の春にはぜひ見においでください。

晴れ 晴れ 晴れ

8月4日にキャンプが終わり
はじめての晴天
気持ちよく晴れ上がった。

夏の間のウォーキングは
夕方からが多いのだけれど
あまりの天気のよさに
6時に起きてすぐに歩きに出かけた。
釣り船と海
このすばらしい海見てください。
ここからは家島(姫路市)と
オリーブと「二十四の瞳」で有名な
小豆島が見えます。
おそらくは鯛をねらった釣り船も
ワンサカ出ていました。

ひつじ雲
天にひつじ雲
地にいい日旅立ち。
三連休であるし
こんな日には旅に出たくなります。

水上モーターバイク
かつて日本最古の海人が泳ぎ
さかんに藻塩を作っていた目の前の海では
このような水上バイクが流行です。
来ぬ人を
松帆の浦の夕凪に
焼くや藻塩の
身も焦がれつつ 
(藤原定家)
とこの地を読んだ時代は
遠く遠くなりました。

パンダの前足
家に帰ると
急に温度が下がったためか
パンダは布団のなか。
前足だけ出して爆睡していました。


夏の報告書

キャンプが終わり1ヶ月。
はや9月になってしまった。
太陽は戻らず
ジメジメした曇天が続く。
どこかでスカッと晴れてくれないものか。

長月を迎え大慌てで
夏のキャンプ報告書を作りはじめた。
この報告書はおもに
寄付をいただいた支援者の方々に送る目的で作る。
2014年の春と夏のキャンプなどに対しては
100人を超す方々から
合計1,451,833円の寄付をいただいた。
本当にありがたいことである。
この寄付金なくして私たちは活動はありえない。
まさにジョイントチームの生命線である。
本来は、国・地方自治体・東電が
資金を出すべきなのに・・・
と愚痴がでそうになる。
しかし お上をあてにするのはよくないよなあ・・・。

報告書の配布に先駆けて
掲載されるはずの私の原稿の一部を
ブログにのせることにした。
以下の文がそうだ。

私たちの活動に対するきれぎれの感想(編集後記に代えて)
 私たちが活動する上で、気になる数値があります。2011年の原発事故以来、福島県が公表してきた「福島県民健康調査」の結果です。多くの検査項目のうち、とりわけ気がかりなのは「小児性甲状腺ガンの患者数」です。8月24日の発表によれば、甲状腺ガンおよびその強い疑いがもたれる子どもの数は104人になりました。調査対象は、2011年6月時点で18歳未満だった、福島県内の子どもたち約30万人。過去のデータでは、小児性甲状腺ガンの発症率は、100万人に1~2人とされていたのに、調査結果を換算すれば、福島では100万人に300人を超える子どもがガンになった計算です。この異常な数値に対して、福島県も国も「放射能による影響とは考えにくい」と、責任回避の発言を繰り返しています。

 県や国の放射能の影響の否定は、チェルノブイリでの甲状腺ガン患者数との比較に基づいています。チェルノブイリの発症数は以下の通りです。
 1年目 4人  2年目 3人  3年目 5人  4年目 15人  5年目 47人
 福島での患者数は、事故後わずか3年で、チェルノブイリの5年目の水準をはるかに超えています。だから影響は考えにくいと結論づけたのでしょう。それではこの爆発的な増加の原因は何なのでしょう?すでに57人の子どもが手術まで受けているのですから、放射能でなければ何なのか、真の原因を見つけだし、異常事態を終息させなければならないはずです。しかし原因の究明は放置されたまま、放射能の影響は否定されるばかりです。

 チェルノブイリと比較しなくても、放射能の影響で小児性甲状腺ガンが増えたと推測できるデータがあります。皆さまは、テレビや新聞、ネット上で報じられた「放射性ヨウ素汚染地図」を覚えておられるでしょう。いくつかの色を使い、赤がもっともヨウ素の飛散が多かった地域、黄がその次で、緑、青・・・と続く地図です。他方、甲状腺ガンの発症数を、地域ごとにまとめ直したデータもあります。やや古い(昨年の12月31日)、まだガンおよびその疑いが74人のときの調査結果ですが以下に示します。川内村・・・275人に1人 大玉村・・・679人に1人 川俣町・・・1118人に1人 浪江町・・・1611人に1人。これを上記の汚染地図に重ねると、見事にヨウ素汚染地域と患者数の相関関係が見えてきます。ヨウ素に強く汚染されたところほど、甲状腺ガン発症の割合が高い。つまり放射能の影響で甲状腺ガンになった、と推測できないでしょうか。それにしても275人に1人のガンが見つかったとは、猛烈な数字ですね。

 私たちのキャンプへの参加者の多くは、「帰還困難区域」や「居住制限区域」以外の、比較的線量の低いと言われる郡山市やいわき市から来ています。それでも郡山市で甲状腺ガンが見つかった子どもは23人(2346人に1人)、いわき市は19人(2513人に1人)にのぼります。このような家族たちが、休みのたびに「被ばくの恐れのない場所」に移動したい気持ちはよくわかります。放射能の影響は「甲状腺ガン」ばかりでなく、内部被ばくによるさらに深刻な病気にもおよぶからです。しかしながら、安全宣言を信じず、私的にキャンプに参加したということで、国や自治体からの参加者への支援や補助は皆無です。国・自治体がやらないなら市民が手を差し伸べるしかありません。安全基準への評価は違っていても、104人の子どもが小児性甲状腺ガンを発症し、多くの福島県民が、年間1ミリシーベルトを越す高い線量の中での生活を余儀なくされていることは事実です。このような事態を何とかしたい。そのような思いで私たちは活動を続けています。
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