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本気と覚悟

原発のコントロールを前提に
日本は2020年の五輪誘致に成功した。
実情はアンダーコントロールどころか
汚染水の処理方法も
廃炉への道筋もまったく見えていない。

私たちはほんのわずかな
ヒューマンエラーで
日本ばかりか
世界をも滅ぼしかねない
危険と共に生活をしている。

この差し迫った危機はないことにし
「何とかなる」の犯罪的楽天主義で
政府は全国の原発再稼動を進め
危険極まりない欠陥商品原発を
諸外国に輸出しようとさえしている。
福島のような事故が再び起これば
どうするつもりなのか?
誰にも答えはない。
頼りはまたしても「安全神話」である。

再稼動の審査に複雑な書類は不要である。
危機管理とは最悪の事態への備えだ。
最悪の状態とは現在の福島である。
避難計画やら装備の充実を求める以前に
再稼動を望む電力会社に対して
福島の原発事故を実際に
収束させる課題を与えればいい。
それができれば合格である。

しかしこの簡単な条件をクリアーできる
組織も人間もこの国にはいないのだ。
にもかかわらず再稼動OKということは
ブレーキのかけ方も知らずに
運転免許を与えるようなもの。
どう考えてもそらおかしやろ(大阪弁です)。

巨額の国費を投じた
凍土壁計画も頓挫しかけている。
はじめからその効果を疑問視していた私は
以下のような短歌を作り
陳腐な発想を揶揄した。

凍土壁たて
トドTOTOで用を足し
どどのつまり
ドドメの愚行

短歌がむずかしく思えるのは
多くの場合上の句(5・7・5)が下の句(7・7)の
(逆に下の句が上の句の)
意味的かイメージ的な比喩になっていて
それと全体との関連が不明だからである。

上の短歌で言えば
上の句の「トドTOTOで用を足し」がそれにあたる。
「いったこの駄ジャレはなんやねん」と誰もが思う。
これは下の句の「愚行」のイメージ的比喩である。

普通の文に直せばこうなる。
「(汚染水を防ぐために)凍土壁をたてようというが
それはトドにTOTOの便器で用を足せと言うに等しいアホなこと。
結局のところ、これは汚染水対策の極めつけの愚行だろうな」と。

私の歌などどうでもいいけど
政府はいつになれば本気で事故を終息させるつもりか。
場当たりで金のかからない対応を選んでは失敗し
その間に福島の人たちの健康被害は広がるばかり。
2020年には原発をコントロールできていると考えるのは
よほどおめでたい人だけである。
工事の遅れでブラジルでのW杯開催が危ぶまれたが
ことの性質から言えば
日本の状態はその何千倍も深刻である。

原発事故発生以来
問われ続けているいるのは
国と東電の本気度と覚悟である。
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ありがとうございました

キャンプが終わり
2週間がたった。
あれほど悩まされた天気も
ここ数日晴天が続き
ようやく夏気分である。
私たちが一息つくいっぽう
広島は未曾有の土砂災害に見舞われているようだ・・・。

キャンプなどの私たちの活動資金は
すべて寄付金でまかなわれている。
1月からスタートした2014年度の募金活動により
私たちは1,451,833円もの寄付がいただけた。
人数にして100人超(いずれも8月20日現在)。
ありがたいことである。

京都・大阪・兵庫と滋賀には
同種の福島支援団体が
私の知る限り25ある。
それぞれ拠点とする地域の特色を生かし
個性的な活動をする団体ばかりだ。
寄付を例にしても
私たちはほとんど個人の厚志が頼りなのに対して
労組・宗教団体・市民運動組織など
強力な組織のバックアップを得ている団体もある。

またほぼすべての団体が
多くのボランティアを擁するのだが
私たちがボランティアの支援を仰ぐことはまれで
メンバーだけでチームを運営している。
まだ大きな違いがある。
市・教育委員会・社会福祉協議会など
公共団体の後援の有無である。
ジョイントチームは公の機関のお墨付きもなく
1人ひとりの市民の組織として活動を続けているのだ。

これはもちろん組織の良し悪しではない。
それぞれのチームの個性とでも言うべきもので
私たちも市に後援を求めたのに
断られたのがその証か。
早い話私たちは「お上」と合わないのである。
支援者も個人なら
個としての志を最重要な契機としながら
それぞれの判断で福島に関わってもらいたい。
これが私の願いである。

寄付を依頼する場合も
私は「ナショナルトラスト運動」の理念に
範を求めている。
「1人の人からの百万円の寄付をいただくよりも
千人の人からの千円の寄付のほうが重要である」と。
だから個人の寄付者が多くいることは
私の理想でもあるのだ。

個人の意思の重視は
私たちの強みででもあるし
組織のもろさだともいえる。
私たちの生き様、戦い様、笑い様、泣き様、遊び様
どの振る舞いも支援者にとって魅力がなくなれば
ジョイントチームの活動はすぐ支持を失う。
そうならないように来年も頑張ろう。

皆さま末永くご支援よろしくお願いいたします。
パンダ床の上
パンダはよほど疲れたのか
キャンプ終了後寝てばかりいます。
二階の隅のお気に入りの場所。
毎日20時間ばかり寝てますね。

帰省

私が住む野島平林は
総世帯数30。 
そのうち夫婦のみの核家族が
20世帯にもおよぶ小さな村である。
子どもの姿を見かけるのはまれであり
一日中年寄りとしか顔を合わさなときなど
ここは限界集落一歩手前なのかと考えてしまう。

しかしお盆を迎え
今年も村はにわかに活気づいた。
島を出て都会暮らしする子どもたちが
いっせいに帰省し
あちらからもこちらからも
虫取りをしたりする元気な子どもの声や足音が
開け放った窓を抜けて家に入ってくる。

かく言う私の家にも
息子一家が帰ってきて
明後日の日曜日には
娘家族が友だち連れで帰省する。
子どもたちの里帰りは
なんとなく私にはうれしく誇らしい。
孫の姿に目を細めつつ
私の顔からは自己満足の笑みが消えない。

1997年角川書店から
「秋の苦い光」を上梓した折に
同社の情報誌「本の旅人」に
私は以下のようなエッセイを載せている。
少し長いが引用してみる。

昔の習いが次々と姿を消していくなか、
帰省は生きながらえている。
小さなリュックに麦わら帽子、
田舎へのみやげを手にした、
新幹線を待つ子どもの絵を目にするたびに、
私は決まって、幼いころに味わった、
さびしさと言うか、不全感に包まれる。
生まれてこのかた、私は帰省に縁がないのである。

この小説の背景ともなっているが、
父方の祖父は、明治維新の混乱に落ち着きが見え始めた頃
横浜港でアメリカの貨物船に乗り込み、密航をはかる。
サンタバーバラで生まれ育った父たちには
田舎という日本的感覚すら欠如していたのではないか。

母方の祖父は、皮肉にも、世界一周航路の船長で、
これまた旅を棲み家の漂泊者である。
子どもの時分から私は、
この漂い流れる家族に生を受けた巡り合わせに、
漠然とした不満を抱いていた。(後略)

このような事情のある私には
帰省できる田舎を与えてやれるだけで
失われた子どもの時間を取り戻してくれそうでうれしい。
かくして子どもたちとカメラに向かうと
このようなデレデレした写真となる。
帰省
家の近くの坂道で
長男の嫁 孫と共に
写真を撮りました。
我ながらだらしない顔に驚きます。

台風一過

夕方の4時を過ぎ
雲が吹き払われて
久しぶりに太陽が顔をのぞかせた。
金曜日からおよそ50時間ぶりの回復である。

湿り気のある風は強く吹き
空では長い間
エサにありつけなかったトビやカラスが
獲物を求めて乱舞する。
水平線上には雲が並び
雲間に体を差し入れた太陽の光が
海に金色の帯を流している。
長かったなあ。
ログで経験した最強の台風だった。

木の扉を開いて
外にでたとたん
水気を含んだ風に頬をなぜられた。
まるで核シェルターか
「ノアの箱舟」から
40日と40夜ぶりに
地球に生還した心地がした。
台風一過
コントラストが強く
すばらしい眺めでした。
写真ではよく見えませんが
黒い貨物船が
海に落ちた光の上を
神戸に向かって進んでいくところでした。
ぶどう棚
強風にブドウは葉を奪われてしまいした。
さっそくハチが集まりブドウの蜜を吸っていました。
今年もワインは無理かも。
パンダ
パンダも久しぶりの外の空気。
台風の間ずっと怯えていました。

終わった!

キャンプ4日めは
恒例のミニコンサートと
フェアウエルパーティー。
その前に冒険の森で
ダンスレッスンと収録があったため
5人の学生撮影隊もパーティーに加わり
最後の夜を共に楽しむことになった。

ミニコンサートの最後に
藤井さんのギターに合わせて
ロックが「凪」をソロで踊ってくれた。
そしていつものように
スタッフが震災ソング「花は咲く」を歌い
パーティーは終わるはずであった・・・・・・・。

客席にいた1人の母親の
「ちょっと待って」の声と共に
福島の子どもと母親全員が
舞台(に見立てたところ)に上がり
なにやら秘密めかした紙を取り出すではないか。
いつもはスタッフのサプライズで終わるところを
逆サプライズを仕掛けられたのだった。

12人の子どもと6人の母親が
「思い出のアルバム」の替え歌を
声高く熱唱してくれた。
まいったなあ。
不意をつかれ
キャンプの緊張もピークであったことから
スタッフ一同号泣 

みんなが作ってくれた替え歌の歌詞は
このようなものでした。

ログのことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
ウエルカムパーティー おいしかったごはん
みんなで食べると楽しいな

吹き戻しのことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
ライオンの吹き戻し たてがみ登場
雨が降っても めげないで

冒険の森 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
パチンコと鉄砲 みんなで作ったね
ロックとのダンス 楽しかったね

あっという間の ワクワクキャンプ
明日でさよなら また会おう
いつもニコニコ 笑顔で迎えてくれた
ぜったいまた来る 淡路島


ずっと一緒に過ごした子どもたちから
こんな歌をプレゼントされれば
泣いてしまいますよ。

17時01分 
母親の一人が
福島空港からかけてくれた
「全員無事福島に帰りました」との報告で
夏のキャンプは終了した。

1人の病人もけが人も出さない
というキャンプの第1の目的は
私たちの強い執念により
達成することができた。

このキャンプのために
寄付をいただいた多くの皆さま
本当にありがとうございました。
8月中に「2014年夏キャンプ報告書」を作り
お届けする予定です。
子どもたちの耀く笑顔を
楽しみにお待ちください。

雨ニハマケル

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