スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

青春69キップ

8年間のシンガポール生活を終え
娘一家が日本に帰ってきた。
彼女たちが居住地に選んだのは福岡
今春小学校に入学した孫の運動会が
日曜日にあるというので
福岡にやってきた。

明日移動するはずが
今日の約束が急にキャンセルになり
思いついて昼一番で列車に飛び乗った。
青春18キップならぬ
青春69キップを買うために
勇んで駅に行ったが
休暇中でない今は
サービスは停止中とのこと(残念)

でもいけるところまで
在来線で行こうと
本を3冊もって快速電車に乗り込んだ。
西宮から姫路までは順調に進んだが
そこから岡山へ向かうのが大変だった。
相生まで新快速を使い
そこで岡山行きに乗り換える。
広島まで頑張るつもりが
むなしくギブアップ。
新幹線「ひかり」で広島へ。
そこで意地を見せ
各駅停車「こだま」で博多まで来た。
そして17時39分ホテルに投宿。
およそ7時間の旅だった。

青春69のささやかな冒険だった。
旅の途中で読んだ本は1冊(164頁)
読書の成果を歌に詠んだ。

凍土壁立て/トドTOTOで用を足し/とどのつまり/とどめの愚考
スポンサーサイト

長歌?と反歌?

詩と短歌を同時に作ったので
掲載することにした

「なにもないのに すべてがある」
なにもないのに すべてがある
すべてがあるのに なにもない
こんな家があればいい
西の窓には里山 南には海
家には大きくて無愛想な机がある

サクラの匂いがする机は
深い山で切り出された木
高いこずえから落ちる雨音を聞き
真珠色の岩清水を飲み
昆虫や鳥とおしゃべりしているうちに
いつしか大木になってしまった

長く生きたことと
多くの経験をしたため
家のすべてのできごとが
自分の体の上で起こることを許す
思慮深く部厚い胸板をもつ机になった

家の住人は
漁船のエンジン音で目をさまし
海に落ちる夕陽で一日を終える
そのあいだ机は部屋の中央を動かず
家族の営みを共有する

机で本を読み 積み木遊びをし 
パン生地の粉をこね 手紙を書き
パソコンに触れ うたたねし
そして食事・・・・・・

朝には畑で収穫した
赤 黄 緑 紫の野菜が並ぶ
昼には前の海で獲った魚の干物
夜は強い酒とつまみの佃煮を
机に並べる

机を離れベッドに向かうまで
五歳の子どもの日常のように
その家ではなにも起こらない。
しかしながら酒で熱された内面では
自己省察の孤独な対話が
夜遅くまで続く

天気がいい日には
テラスに椅子を並べる
ひとつの椅子には 「なにもない」が座り
もうひとつは 「すべてがある」の席
夕方になれば場所を交換する

空はすみれ色になり
夕陽は永遠と交じり合い
まっすぐに海に落ちていく

夜走る/白いたてがみ/冷え冷えと/息つきるまで走れ/冬の雷

椅子

アリガトウ 千本ノック

私が小説を書きはじめたのは
確か32 33の頃である。
最初の作品は忘れてしまった。
その1年前くらいに映画作りに関わった。
これが決定的であった。
何かを生み出す喜びは私を魅了した。

ある朝私は何の根拠もなく
「俺は作家だ」と決めた。
頭がいちばんさえている朝の8時間を
創作に捧げることにした。
これが実行できれば立派な作家だと思えた。

くる日もくる日も私は書いた。
自分の小説ではなく
おもしろそうな作品を書写した。
3Bの鉛筆を使ってである。
2年ばかり頑張り
運よく新人賞をもらった。

当時書き写したのは
おもにヘミングウエイの短編である。
いかにも体育会人間らしく
私は自らの努力を
「文体の千本ノック」と呼んだ。
ろくろく小説を読みも書きもしなかった私が
賞をもらえたのはこのノックのお陰に違いない。

最近またこの「千本ノック」を復活させた。
以前と変わらず3Bの鉛筆を使って。
変化と言えば鉛筆から
9mmの芯のシャペンに進化(?)し
書写の対象が小説から韻文に移ったことにある。
これがとても楽しい。
和歌や詩を書き写し
そこから生まれた創作のヒントをメモし
盗めそうな技法をちゃっかりいただき
作品に仕上げていく。

前回(5月16日)のブログに書いた詩
「美しい町」もこの「千本ノック」から生まれた
「奇跡の木」を共に作ってくれた
イラストレーターの藤井さんにさっそく読んでもらい
絵本に仕上げる計画にも着手した。
私の詩がどんな絵本になるのか
メチャメチャ楽しみである。

手を使って書き写していると
新たな発見がいろいろある。
小説であれエッセイであれ韻文であれ
書き手は常にかっこよく 凛として 
力強く 新鮮な言葉を求める。
これまで私はそれらの言葉を
他人の作品や自分の薬箱をかき回して
探していたのだが
それが間違いと気づかされた。

凛とした本物の言葉は
凛とした私の生き方の中にしか見つからず
かっこいい言葉も
力強い言葉も
新鮮な言葉も
すべて私がそのような生き方をしなければ
永遠に私の言葉にならないとわかったのだ。
このような気づきを得たのも
「千本ノック」効果かな?
アリガトウ 「千本ノック」
家来のジジ
雨の日の昨日は
パンダとお留守番。
パンダは4匹いる家来のジジたちを従え
根城のロッキングチェアに陣取っていました。
夜はいつものようにパンダと大バトルをしました。

美しい町

あっという間に書けた詩を
福島へのオマージュとして掲載する

「美しい町」
この町が日本でいちばん
美しく耀くよう
彼らは準備をした
大きな船に太陽をのせ
にごりない光をつれてきた

東北のせつないほど青い空で
天をおおった
リンゴのにおいのする風を吹かせ
白いチャペルの前庭に芝生を敷きつめ
そこに花梨の木を植えた

結婚式がはじまる時間には
枝をくわえたツバメが滑空し
着飾った若い男女が
芝生を踏んで教会に集まってくる
教会の鐘がハチミツ色の刻を告げた

結婚の記念品として用意したのは
遠い海からやってきたサクラ貝と
ひまわりの種
若く元気な声の賛美歌が
高い天井で笑った

純白のウエディングドレスと
白いモーニングを着たふたりが
祭壇の前に立つ
牧師のあとにつづいて
誓いの言葉を述べた

幸せなときも 困難なときも
富めるときも 貧しきときも
病めるときも 健やかなときも
「エリ エリ ラマ サバタクニ」のときだって
ふたりは愛しあうのだ

結婚式を終えたふたりを先頭に
若い男女が教会の扉を開け
一塊になって走りでてくる
さあ シャンペンを抜こう
ワインを飲もうよ

女性の体からは柑橘の匂いが
男性の体からは若木の匂いがする
サンドイッチとフルーツ ハチミツ
オリーブと肉が振舞われ
一気に宴ははじける

みんな靴を脱ぎ捨て
芝の上を裸足で駆け回る
ふたりを囲んでダンスするもの
ギターにあわせて歌を歌うもの
オルガンだ ワインだ バラだ クジャクだ

新郎新婦はみんなと離れ
芝生の端に座る
新婦は新郎の肩に頭を預け
ふたりの目で安達太良山を見上げる
新郎が新婦の白い耳をやさしく噛む

あたりはシーンと静かで
離れたところの友だちの声が
花火のように空に上がり
宙を滑って拡散し
笑い声になって降ってくる

ふるさとで生きることを選んだ
ふたりの重い誓いに
神は深く沈黙し
彼らの言葉は行き場をなくし
まだ宙を漂っている

新婦がツバメに呼びかける
「ツバメさん もし無事なら来年も帰ってきて」
神の沈黙はなおも続く
「私たちは ここで子どもを作っているわ」
この言葉にも神は答えようとしない
「神よ 神よ どうして私を見捨てるの」
新婦の最後の問いにも神は黙したままだ

そのときミツバチが一匹飛んできて
円を描きながらふたりに言った
「神さまが祝福してくれないなら
私がしてあげましょう 
ここを去る勇気も
ここに残る勇気も
私は共に称えたいの
福島の人の2つの勇気が
疾風のように耀くときがやがてくる
さあ立ち上がりましょう」

ふたりは大地を踏みしめ
友だちの待つほうへ
手をつないで歩み寄っていく・・・・・・・
太陽を運ぶ船が雲を抜け
町全体に燦燦とした光を送った

自由と孤独

淡路島は緑の季節を迎えている。
常緑樹の深い緑と
落葉樹の若葉の競い合いによる
緑のグラデーションが
景色を膨らませる。
花もいいけど緑もいい。

淡路島の住人になって10ヶ月。
ここでの生活の醍醐味は
「自由」である。
私が使う自由は気ままとはやや違う。
一番ふさわしい言葉は「孤独」である。

自分の根拠に従って生き切る。
これが自由である。
自由を得るためには
自分の根拠と独り向き合い
正誤をチェックし 偏りを質し
自分にとって正しいがゆえに
他の誰にとっても正しくなる道を
見つけ出さなければならない。
この孤独な作業を続けられるものだけが
本当の自由を得ることができる。

淡路島の生活で
私が完全な自由を得ているわけではないが
孤立を恐れずに生きようとしていることは確かだ。
このような自由である孤独と
孤独である自由を私が選ぶ限り
全ての人が「戦争」を求めても
私は「平和」を叫び続けなければならないはずだ。

師匠パンダ
私の師匠はわずか2歳の
メスネコのパンダです。
彼女を見ていると
完全な孤独であるがゆえに
完全な自由を得ていることがわかります。
エライ、パンダ師匠!
これからもよろしくお願いします。

不幸中のさいわい

じん帯は断裂したが
自主トレはうまくいっている。
確かにひざを折りにくい。
しかしこの程度のケガですんだのは不幸中の幸い。
人生が沈みかけるたびに波間に現れる
「不幸中のさいわい」というタグはなにか?

不幸はありふれたものだ。
わざわざ探すほどのこともない。
しかし「不幸中の不幸」には
めったにお目にかかれない。

ときに不幸に見舞われた人を
さらに不幸の谷に蹴落とすのをためらわせる
何か(something great)が人生には働くのかもしれない。
逆に言えば「不幸中のさいわい」は
苦い人生に与えられたひと時の安息であり
「不幸中のさいわい」の連勝は
どこかで途切れるしかないのだ。

どんな不幸の中にも
さいわいは隠れている
不幸は見なれない町へ
手ぶらで入っていくようなものだ。
閑散とした駅前には
無愛想な商店街がほこりをかぶり
行きかう人々は厳しい視線で互いを見交わし
今にも降りだしそうな空模様が
いつまでも続くかと思える。

しかしそのような町にも
かすかではあるが希望がある。
不幸の中に隠れているさいわいを
私たちは見つけだせばいいのだ。

かすかな気配であるさいわいは
種のように息を潜めていたり
緑のそよ風から送られる合図であったり
恋人の新しい髪形のようであったり
木漏れ日の下の子どもの笑顔だったり
森の湧き水に隠れていたり
真夏の夜空の流れ星なのかもしれない。
しかしどこかでかならず見つかる。

「不幸中のさいわい」を見つけようとすると
いくつかの問いが浮かんでくる。
「この地球に人として生まれたのは不幸中のさいわい?」
「いつかは死ぬ定めは不幸中のさいわい?」
「子に恵まれ次世代にバトンを渡せたのは不幸中のさいわい?」
「煩悩に支配されるのは不幸中のさいわい?」
「老いるのは不幸中のさいわい?」
「海が生物を誕生させたのは不幸中のさいわい?」

そして最後の問い。
「原発事故に見舞われたのは不幸中のさいわい?」
しかしながらどこをどう探索しても
原発事故にさいわいの兆しはない。
パンダと花さじき
じん帯を切る少し前に
パンダをつれて
菜の花が満開の
「花さじき」に行ってきました。
パンダという名前を与えられたのは
彼女にとって「不幸中のさいわい?」でしょうか。



畳の上で死ねない事態

レントゲンとMRIでの検査の結果
やっぱりじん帯がきれていた。
詳しく言うと
右ひざの内側側副じん帯が断裂し
後十字じん帯の損傷である。
ひざがグラグラと落ち着かず
屈伸運動がつらい。
困ったことになったものだ。

じん帯を切ったからといって
ひざを開いて手術をするわけではない。
特に私のような場合
(医者に10回は「もう70歳なのですし」と言われた。ムッ!!!)
現状のまま経過観察し
症状の軽減を待つらしい。
筋トレ(とりわけインナーマッスルを鍛え)で
ひざ周辺の筋肉を強化すれば
じん帯に頼らずひざが使えるようになるのだ。

回復の度合いによっては
ジョギングくらいはできるようになるらしい。
しかし・・・マスターズは無理か。。。。。?
私は密かに水泳と陸上短距離と
砲丸投げの出場を狙っていた(世界記録も)。
人生うまくいかないね、ホンマに。
それでも日日是好日。

30歳のころから50代後半にかけ
私は草フットボールに熱中した。
中高大のフットボール選手相手に
無謀にもプレーをしたことが祟って
頚椎のヘルニアになってしまった。
そのときも手術ではなく
首を鍛えて頚椎への負担を軽くし
名状しがたい激痛に耐える道を選択した。

こうしてみると
70を迎える私の体は故障だらけ。
上から数えていくと
鼻は重度の鼻炎 頚椎ヘルニア
痛風 前立腺ガン じん帯断裂

いずれの場合も私は手術ではなく
自然治癒を選んでいる。
人間の尊厳を無視する
現在の医療制度の下では
手術と薬漬けの毎日を拒否し
畳の上で死ねない事態を受け入れることでさえ
十分アウトローなのかもしれない。
改心の時間もなく
このまま「ヘンコ」(柔軟な人間と私は思っていますが)に
生きるしかないのでしょうね。
背中
日々の洗いものは私の仕事。
今朝着替えたばかりの服の前を
派手に濡らしてしまったため
裸にエプロンのロマンポルノスタイルに。
それを激写されてしまいました。
相変わらずの体育会系背中です(苦笑)。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。