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2014年春キャンプ

神戸フェニックスライオンズクラブ
結成15周年の記念大会に行ってきた。
式典が開かれ、祝宴が続き、
「紙ふうせん」のライブコンサートがあった。
ここで彼らの歌が聞けようとは
思ってみなかった。
来賓
こんな大きな花をつけるのは
新人賞を受賞したとき以来です。
そのときには世界的に有名な
評論家小林秀雄さんから
「また1人地獄に落ちてきたか」との
励ましの(?)言葉をもらいました。
さすが慧眼の作家ですよね?

私がこの大会に招かれたのは
参加者に配られる記念品のひとつとして
150冊もの「奇跡の木」を買ってもらったからだった。
その縁で私はパーティーに参加し
来賓を代表して短いスピーチをした。

プログラム
パンフレットの表紙には
陸前高田の「奇跡の木」がデザインされていました。
被災地に奇跡が起こり
フェニックスのように蘇りますように
との祈りが感じられました。

福島の現状を私は以下のように訴えた。
「本年2月に福島県から発表されたガンおよび
ガンの疑いのある子どもの数は74人になりました。
震災前には『100万人に1人』の割合で発症すると言われた
小児性甲状腺ガンですが、その予測を大きく上回り
2月現在で『1750人に1人』の子どもがガンになっています。
福島には18歳以下の子どもが約35万人います。そのうち
検査を受けたのは25万人。検査が残っている多くの子どもが
原発に近い『浜通りに』住んでいることを思えば、これから
待ち受けるのはさらに深刻な事態でしょう。(中略)
皆さまもご存知のようにチェルノブイリの甲状腺ガンは
事故から5年を過ぎて爆発的に増えました。福島の5年後は
2016年です。あとわずかな時間しか残されていません。
私たちのメンバーは全員子どもが好きです。
ライオンズクラブの皆さまも同様だと思います。
主義主張ではなく、政治的・経済的な立場の違いを乗り越え
日本が1つになり力を合わせるときです。『SAVE THE CHILDREN!』」

紙ふうせん
「紙ふうせん」のコンサートです。
会場はホテルの33階。
眼下に神戸港が広がり
遠くに淡路島が見えていました。
フランス料理をよばれ
ビールとワインで心地よくなり
海に落ちる太陽を望みながら聞いた
「紙ふうせん」の歌は良かった。
どうしてフォークソングを聴くと泣けてくるのでしょう?
打算もなく懸命に生きた時代の応援歌だからでしょうか?

皆さまへ
私たちジョイントチームは
この春も福島から子どもたちを招いて
淡路島でキャンプをします。
3月27日~31日の4泊5日。
皆さまのお力をお貸しください。
今年もご支援いただきますよう
よろしくお願いいたします。
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近況

淡路島に移り住み
6ヶ月が過ぎた。
ログハウスを建てたのは
2000年の12月。
昨年までの13年間は
週末と夏季休暇などだけ
ここを利用していた。

住所を移したからといって
ここまでベッタリ淡路にいるとは
思ってもいなかった。
西宮北口駅前の至便の場所には
友人が提供してくれたマンションの一室があるし
これまでとさほど変わらない
西宮と淡路島が半々の生活と思っていたのだ。

ひとたびここに根を下ろすと
もはや都会に戻れない。
ひとつには暖房の問題がある。
東日本大震災と原発事故が起こって以降
私は冷暖房に頼る生活を止めた。
淡路島に引越ししても
節電に変わりはなく
エアコンのアンプラグドは続く。
しかしここには旧式の暖かい石油ストーブがある。
2シーズン暖房と無縁に過ごした老体には
この温もりは天国の日々だ。
「今年も暖房のない西宮で暮らしていたら、
木田さんは寒さで死んでたかもしれないね」とは
私の生活ぶりをよく知る友人の言葉である。

もうひとつは
ここの眺望のすばらしさである。
朝起きると東南に開いた窓から陽光が降り注ぐ。
午前から夕方にかけて
太陽は東から西へと
歩みを移す。
そしてこの豪奢なる天空ショーの締めくくりは
遮るものない海にストンと身を沈める落日。
これを見るだけでも価値がある。

それに加えて
パンダとの静かな日々がある。
私が本を読む横には
いつも長々と寝そべるパンダの体が・・・・。
彼女のしなやかな身のこなし
甘い鳴き声
想像力あふれるイタズラはひとつになり
私の思考を柔らかくほぐしてくれ
無心の活力がわいてくるのだ。

南東の窓
東南に向いた2つの窓です。
夏なら6時から15時くらいまで
太陽が差し込んでいます。

南西の窓
17時を過ぎますと
太陽はこの窓に移ります。
ここにあるストーブ1台で
暖房は十分。
フィギアスケートをやっていますね。

落日
そして完璧な落日
パンダ噛む
私の指を噛むパンダ。
1日中おもしろいイタズラはないか思案し
それが成功する機会をうかがっています。


近況
井上さん
メッセージありがとう。
井上が亡くなって何年になりますか?
娘さんは元気ですか?
あなたたちを覚えてないなんてありえないですよ。
アドレスがわからないので
このような形で呼びかけました(スミマセン)。
娘さん共々元気でいてください。
もしよければメールアドレスを教えてください。


                  (木田)

涙の日曜日

「春は名のみの風の寒さや・・・」
この歌が耳の底に残って離れない。
理由はおいおいと・・・・・・。

歌詞とは違って今朝は
穏やかに晴れ上がった。
気温の上昇と共に
沖はぼんやりかすみ、
海はゆるやかにうねっている。

昨日の日曜日は
まだまだ冷気が居座っていた。
ところがいきなり春に突入。
朝早くから
ウグイスの赤ちゃんが
木に集まり歌の練習をはじめている。

一昨日から読み始めた
「永遠の子ども」を昨日の朝読み終えた。
4歳の娘を骨肉腫で失うつらい話だった。
幸いなことに私の息子と娘は
子ども時代の悲劇を避けることができたが
長女の子供は6歳
長男の子どもにいたっては
まだ1歳にもなっていない。
死に行く子どもを見守る悲しみに
どんな言葉も届かず
私たちは祈り、涙するしかない。

午後からDVD映画鑑賞(「ペコロスの母に会いに行く」森崎東監督)。
認知症の母をバツイチの息子が介護する話である。
認知症の母親の視点で描かれるため
映画では
現実と虚構
過去と現在
生者と死者
悲劇と喜劇
夢と悪夢は境目をなくし
私たちは迷路をさまよう気分になる。

入り組んだ迷路には
数多くの偶然が埋め込まれ
私にとっては
「死者の家」に紛れ込んだような
懐かしい感覚に
ずっと浸ることにもなった。

舞台は長崎である。
90歳を超えた認知症の母親と
団塊の世代の息子の取り合わせは
私と母のケースとほぼ同じである。
戦争の影に色濃く支配されたところも
ー長崎での被ばくと東京ローズの一員であった私の父ー
きわめてよく似ている。

そのほかの偶然もいくつか揚げてみよう。
2011年に急死した女優の沖山秀子さんは
森崎東監督作品の常連出演者で
親友だった私たちは
彼女が出る映画をよく見に行ったものだ。

89歳で映画初主演となった赤木春江さんは
私が大好きだった赤木圭一郎さんの実姉。
エンドクレジットにもう一人
スクリーンで片思いした島かおりさんの名前をみつけ
私はあまりの偶然に驚くことになる。

偶然はまだまだ続く。
ロケ地である長崎の風景は
長崎への旅を最後に別れた
かつての恋人を思い出させたばかりか
娼婦役ででてきた女優の顔が
彼女にそっくりというおまけまでついてくる。

映画の冒頭で歌が流れた。
「春は名のみの風の寒さや・・・・」
昭和の清楚な制服姿の女学生による「早春賦」だった。
母が教えていた女生徒たちも
春が待ち遠しくなると同じ歌を歌っていた。
映画の女声合唱を聞きながら
私は子どものころの夢幻も楽しんだ。
「これだけ大きなコンサートでも
私が大きな声で泣きさえすれば、母は私のために
合唱を中止する。そんなことができるは私だけだ」と。

被ばくした主人公の親友は
娼婦となって生計を立てるが
最後は原爆症で死んでしまう。
このあたりで私の涙腺は開きっぱなしになる。

私の流す涙は
薄幸の娼婦の運命に向けられたものか
幼い主人公たちの約束が叶えられなかったからなのか
認知症の母親が日々衰えていく悲しさのためか
亡くなった私の母への思慕なのか
幾分かは私にも責任のある沖山さんの死への悔恨なのか
私と主人公たちが歩んだ激動の人生を慰撫したかったのか
長崎で別れたかつての恋人への懐かしさのためか
(彼女は今、どこで、どのように生き、どんな笑顔なのだろう?)
あるいは朝読み終えた骨肉症で死んだ4歳の子どもへの
同情もこの涙の一部だったかもしれない。

このようにつらさも、懐かしさも
喜びも、後悔も、かなわなかった夢も
青春の耀きも、老いる苦しみも
認知症のように互いに区別をなくし
渾然と私のうちでひとつになるとき
「ボケるとも、悪か事ばかりじゃなかかもしれん」
という劇中の九州弁のセリフが身にしみた。





バレンタインには冷奴?

今日はバレンタインディ。
子どものころになくて良かった
と痛感する行事のひとつである。
チョコレートが集中する
モテモテ少年像は容易に浮かぶ。

勉強がよくできて
お金持ちのお坊ちゃまで
こぎれいでおしゃれな服を着て
さわやかな少年。
私はすべての項目で正反対だった。

大人になって
少しはチョコレートの恩恵に
あずかるようになったのは
ひとえに酒と
無頼の雰囲気のお陰である。
無頼派を好む少女はいないのだ。

末っ子は冗談がうまいとの説を
何かの本で読んだ。
私は4兄姉の末っ子。
家族の中でダントツの冗談好きである。
なぜ末っ子なのか
その理由も納得できた。
ジョークが下手なら
大人の話に入れてもらえないためだとか。

10歳くらいのころ
この説を裏付けるような出来事があった。
母親がピアノの先生をしていた関係で
家には著名な音楽家の写真や
石膏像(音楽室にあったような)があった。
いつものように話に加えてもらえない夕食時に
シューベルトの像にひげを落書きしたのが
見つかってしまったのである。

「拓雄でしょ、あんな馬鹿な真似をしたのは」と母親。
「うん、まだ未完成やけどな」
シューベルトの有名な交響曲にひっかけた
このシャレは大うけだった。
爾来私は冗談を言い続けている。
人の注意を惹きたい一心で・・・。

40年以上付き合いのある女性によると
私は四六時中駄洒落をとばし
そればかりか
笑いがとれるネタを
虎視眈々と狙っているらしい。
その彼女が勧める私の最高傑作。

私は東京の高級ホテル
ハイアットリージェンシーにいた。
ある著名人にインタビューするためである。
相手を待つ間コーヒーラウンジに入り
アイスコーヒーを注文しようとした。

関西ではアイスコーヒーを「レイコー」という。
「冷たいコーヒー」の略なのだろう。
東京人に「レイコー」は通用するのか
通用するにしても
超高級ホテルに「レイコー」は
ふさわしくないのではとの逡巡があり
私の頭の中は「冷」と「コーヒー」と「ひんやり」が駆け巡り
思わず口をついてでたのは
「冷奴ください」だった。
ウエイトレスは「??????」
恥ずかしかったなあ。

なぜかバレンタインディの話しが
冷奴になってしまった。
許せ、いつもの脱線だ。

今日日本中で一番チョコレートを集めるのは
間違いなくユズル君ですね。
もちろん羽生結弦選手。
見ました皆さん、あのパーフェクトなスケート。
今夜のフリーの決勝も絶対見ます。

雪

淡路島では2週連続で雪景色。
あまりの寒さに
棕櫚の木も泣いています。

バレンタイン

年々数が減るチョコレート
今年はたった1つに。
しかし贈り主がパンダですから
とてもうれしいです。

雪 雪 雪

ここはどこ?
朝起きてみれば
目を疑う雪景色。
淡路島は温暖な土地で
めったに雪は降らない。
淡路に住みはじめて13年になるが
こんなに雪が積もるとは驚きである。
窓からの眺め
2階のベランダからの眺めです。
完全に雪国なってしまいました。
いつもは青緑に耀く海も
北海の重々しさです。

淡路島と本州を結ぶのは
バスと船の細い糸である。
朝からどちらも運休のようだ。
営業所にアクセスしようにも
ネットも電話もつながらないのである。

本州へと渡る以前に
家から動くこともままならない様子である。
淡路島と本州を結ぶ
バス停か船着場に行きたくても
島内のバスが動いていない。
道路は凍結しているため
自家用車での移動も無理である。
こんなときに津波が来ると困る。
坂道は硬く凍り
裏山に逃げることもできそうにないのだ。

今日は西宮で募金活動をする予定だった。
子育てに関する講演会の場を借りて
ジョイントチームへの寄付を
呼びかけるつもりであった。
困った!!!動けない。
西宮がとても遠くなった
豪雪の朝である。

こんな日はじたばたせずに
パンダと一緒にオリンピックを楽しむことにする・・・。

ウッドデッキ

陽光はじけるウッドデッキにも
今日は雪が積もりました。
はじめてのことです。


パンダ

あまりの寒さに
ふてくされているのか
それとも雪疲れか
ひざを崩して(?)
変な格好で座っていますね。
すごいスピードで画面を滑走する
オリンピックのテレビ観戦が
パンダは大好きです。

2005年2月3日

9年前の今日
私は神戸港から船に乗り
世界一周の旅に出た。
(もう9年にもなるのだ)
帰国したのは同年の5月18日。
訪れた国は17カ国
21の港を巡る
総合計30859マイル(5万キロ)におよぶ
105日間の船旅だった。

神戸出港のあと
900人を超える乗客と
船長以下2000人ばかりのクルーを乗せ
トパーズ号は上海を目指し
南シナ海を南下した。
寒かった。

船では3度の食事と
10時と15時のティータイムがあった。
初日のウエルカムパーティーの後に
節分祭があり
公式行事終了と同時に
私は船内の居酒屋「波へい」へと急いだ。
以後105日の間
船外で宿泊するオーバーランドツアーの日を除き
私は「波へい」で飲み続けた。
私の船旅はかくして
「波へい」とイコールになった。

客層は93歳から16歳まで幅があり
男女比では女性が優位。
年齢構成は60歳以上が30%
10代、20代、30代が30%。
各世代がバランスよく集まり
楽しい船旅が約束されていた。

船の旅には男女の出会いを演出する
いくつもの要素がそろっている。
自由で放恣な雰囲気
心躍るイベント
同じ空間に身をおく連帯感
冒険
ロマンチックな風景
死の影
それに何よりも「火の水(酒)」

「死の影」には少し説明が必要だ。
旅の全工程に医師が同行するけれど
手術の設備はなく
風邪や軽い怪我の処置しかできない。
突然の深刻な病に見舞われれば
コースを変え
船が近隣の港に搬送するか
ヘリコプターの出動を要請するしかない。
しかし進むにしても
戻るにしても
直近の港まで4千キロもあれば
もはやお手上げである。

かくなる事情により
都市伝説に似た噂が船内を飛び交うことになる。
いわく、もうすでに3人の死者がでている。
いわく、遺体は厨房の冷凍庫に保管される。
いわく、冷凍保存は4体まででそれ以上は水葬される。
このような死の雰囲気も
恋を後押しするスパイスになったのだった。

船内に充溢する恋の雰囲気を
私たちは「船マジック」と呼んだ。
多くのマジックが出現し
ハッピーエンドの後日譚があり
それよりもはるかに多い
不幸な別れを私たちは目撃した。

旅の終了間際に
「波へい」の飲み仲間の女性から
質問を受けた。
「この旅に点数をつければ何点?」と。
「旅だけなら65点。
あんたと一緒に飲めたから85点かな?」
「えっ、私はたった20点なん?」
「そうやで」私は意見を変えなかった。

「波へい」たちとの交流は
9年たった今も健在である。
友情が若者の特権でないなら
私たちの酒宴も
友情と呼んでもいいだろう。
「波へい.丸」の船旅はまだ続く!!!
フルーツパーティー

洋上オリンピック

いずれも船上の写真です。
フルーツパーティと
語学イベントGETオリンピックです。
私は60歳。若い!
お気に入りだった「U2」のTシャツも
傷みがひどくもう手元にありません。
時間が流れたのです。
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