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FOREVER AND A DAY

英語表現には
「永遠と一日」というレトリックがある。
I will love you forever and a day
(俺はお前を永遠に、そしてさらに1日を加えて愛し続けるよ)
私の好きな映画に同じタイトルのものがあった。
「永遠と一日」。
ギリシャの映画だ。

複雑な筋を解説しても仕方がない。
死に直面した詩人が偶然再会した元妻に
「明日の長さはどれくらいか」とたずねる。
その答えが「永遠と一日」である。
同じような語法には
「千夜一夜」がある。千夜と一夜。
どちらもとても長いということを表している。

世界のさまざまな文化で
「長い」大きい」「多い」などを伝えるのに
1つの数字で代表させる表現法がある。
日本では八百がそのひとつだろう。
「ウソ八百」「八百八橋」「八百万の神々」
そのほかに「百万ドルの夜景」「君の瞳は1万ボルト」
「「百万長者」「億万長者」など。

そこでマー君の年棒である。
もしそれが160億円だったなら
「ようさん(いっぱいの関西弁)もらう」という
抽象的な反応になり
この額の大きさを身近に実感できない。
「160億と1億円」
この方がすごいと思えてきませんか?

いずれにせよ
私が「永遠と一日」働き続けても
160億と1億円にはならない・・・・・・・・・・・・。

今日で1月も終わりです。
本当に早いですね。
「あの世千日この世一日」と言います。
見たこともない極楽の千日に期待するより
1月最後の日であるこの世の一日を
私は精一杯楽しんで生きることにします。

今日のパンダ

今日はパンダと
ロッキングチェアを争い
またまた敗れてしまいました。
それでも許せます。
I'll love you,PANDA forever and a day.
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古来より稀?

マー君のヤンキースへの入団が決まった。
年棒が7年契約の161億円という。
テレビでは1年23億円の収入だとか
1試合いくら、1球いくらだとか
他人の財布をめぐって
かまびすしく情報が飛び交った。

そのような皮算用の中で
もっともすごく感じられたのは
「1億円の宝くじが
161年連続で当たるようなもの」
というコメントであった。
ホンマにすごいですね。

マー君の才能を見抜いたスカウトはエライ
育てた監督・コーチはエライ
ファンはエライ。
野球界では金になる新人を発掘し
金の稼げる一流の選手に育てて
ナンボであるからだ。

新潮社から新人賞をもらい
鳴かず飛ばずの状態であったとき
業を煮やした編集者から
こう怒鳴られたことがある。
「私たちは2千万円(4千万円だったかな?)も賭けて
あなたを発掘したんですよ」と。

そのときは
「そんなことを言われましても・・・・・・」てな感じで
どこ吹く風であったが
そらそうだよなあ。
彼らは金の稼げる作家を見つけるために
新人賞を主催しているのだもん。
マー君のようになれず
本当にスミマセンでした。

負け惜しみで言えば
私とマー君には1つ共通点がある。
彼は「マー君」と呼ばれ
親しい友人は私を「拓ちゃん」と呼ぶ。
「いつまでマー君と呼ばれるの?」などの
心配は無用である。
私は「古稀」にしてこの愛称なのだから・・・。

こう書いて
いい比較を思いついた。
「古希」の語源は杜甫の詩。
「七十歳古来より稀(まれ)なり」である。
実はこの前に省かれた句がある。
それを補って訳してみると
「行きつけの飲み屋には稀どころか
普通にツケがたまっていくけど
七十歳まで生きるのは古来から稀だよなあ」となる。

マー君は年収の高きこと稀
私は七十歳まで愛称で呼ばれること稀
行きつけの飲み屋にツケがたまるのは私だけ・・・。

このヤケクソ気味の比較
お粗末ですね。
これでは金のなる木に
なれなかったわけだ(トホホホホホホ)。
でもあと3作ばかり
すばらしいものを書きます!!!

パンダ

家出をしたパンダが戻ってきたとき
迷惑をかけたご近所に
このようなチラシを張って回りました。
同じ「スミマセン」でも
パンダのように可愛く謝れればいいのでしょうが・・・。


本

この長編小説は
ある雑誌の1997年度ベストスリーに
選ばれましたよ。少し自慢

二度とないかけがえのない日々

淡路島のログハウスには
本とCD、ビデオ・DVDがたっぷりある。
時間ができれば
本を読み、映画を鑑賞し、音楽を聴く。
「酒と読書と映画の日々」である。

本歌取りした「酒とバラの日々」は
ジャック・レモン主演の映画で
アルコール依存症の夫と
介護する妻の夫婦生活を描いた作品である。
支え続けた妻が逆に依存症になるという
悲劇的な映画であるけど
ヘンリーマンシーニ作曲の主題歌が
夫婦の悲劇に透明感と普遍性を与えている

作詞はジョニーマーサーという名の
シンガーソングライターで
このコンビで確か
「シャレード」や「ムーンリバー」などの
ロマンチックな名曲が作られたのだったと思う。

ネットで英語の歌詞を探し
意訳してみた。
「笑い、浮かれすごした酒とバラの日々は
あっという間に過ぎ去ってしまう。
夢中で野原を駆け回る子どもが
二度とないかけがいのない日々を
今、生きていると気づかぬように・・・・・・」

私はアルコール中毒ではないが
予備軍であることは確かだ。
日中はアルコールを口にしない私は
本を手に場所を変え
1日中読書を楽しむ。
二度とないかけがえのない日々を
今生きていると自覚しながら・・・。

ロッキングチェア

友だちが誕生祝いにくれた
ロッキングチェア。
ここはオキニの場所です。


机

ノートをとりながら読みたいときは
この食卓を使います。
ロッキングチェアと同じ作者の作です。
これは自分で買いました。
漢字や言葉をあまり知らない私には
電子辞書は必需品なのです。


テラス

もう少し暖かくなり
天気のいい日は
海を見ながらの読書をします。
沖を白い船が行き過ぎ
最高ですよ。


パンダ

居心地のいい場所が好きなのは
私もパンダも一緒。
今日はソファーを彼女にとられたので
私はベッドで寝ながら本を読みました。

第一期工事終了

ログハウスの改築に遅れをとったが
私の体の工事もようやく第1期が終了した。
月に2度の病院通いは来月から1度になる。
1年前には40近くあった腫瘍マーカー(PSA)は
先々週の血液検査では0.02まで落ちた。
正常値が4以下なので
完全に直っていると思うのだが
医者はまだ私を手放してくれない。

前立腺ガンは小さくなり
CTによる全身のスキャニングでも
他の臓器への転移は見られず
リンパも美しいものである。
であるのになぜ?
との疑問は残るが
とりあえず負担が軽くなったことを喜ぼう。

最初に説明を受けた治療法では
前立腺から飛び出したガンを小さくし
そののちに放射線治療か
前立腺の切除手術を選ぶとのことだったが
そのいずれの治療も私は拒否する。
もちろん抗がん剤も飲まない。
このままホルモン治療を続け
楽しく余生を過ごしたい。
私は陽気なガン患者なのだ。

第1期工事終了を祝し
病院のある明石の海沿いの道を
2時間ばかり歩いてきた。
寒さが緩んでとても気持ちがよかった。
今夜もビールとワインと芋焼酎で乾杯だ。
私の希望は死の前日まで飲める体でいること。
そのためなら休肝日は無理だけれど
なるべく節酒に努めよう。

明石大橋

淡路島と明石を結ぶ明石大橋です。
明石はタコと鯛ばかりでなく
海の幸に恵まれたところです。
それを反映してか
海沿いの道には
釣り船の店や水産加工場
造船場などが1キロほど
続いていました。


船溜り

こんな船溜りが次々現れます。
昼網漁を終えた船が
のたりのたりと
たゆたっていました。


治療中

治療半ばの写真です。
ホルモン治療の影響で
かなり太っていますが
元気いっぱい。
陽気なガン患者でしょ

1・17阪神淡路大震災

阪神淡路大震災から19年。
当時私は49歳だったのだ(若!)。
震災後10年ばかりは
その日会社を公休扱いにし
従業員には
追悼式などへの参加を勧めた。
私自身も震災が起きた時刻に
友人たちが息を引き取った場所を訪れ
彼らを偲ぶのが常だった。

やがて倒壊した建物が片付けられ
更地になり
新しい家が建ち
震災と無縁の新住民が住むにおよんで
自然にこの慰霊の日は消滅した。

昨年7月淡路に移り住み
はじめて迎えた震災の日。
朝5時に起きて
震災公園で開かれた慰霊祭に参加してきた。
空にはあの日と同じ満月があった。

震災2
同じ町内にある震災記念館です。
なぜかピラミッドがあります!

震災公園
200人を超える人が集いました。
満月
モニュメントに献花する遺族の向こうに
真ん丸の月が浮かんでいました。


震災1
水路に鎮魂のローソクを浮かべました。

トン汁
最後はトン汁とおにぎりが振舞われました。
温かいトン汁も
震災の記憶です。

春キャンプ

11日~13日の連休は
ウッドデッキの改修でつぶしてしまった。
常連の波へい軍団7名の助けによって
第2期工事を完成させることができた。
これで福島の子どもたちを迎えられる。

太陽と雨と温度差によって
ウッドデッキの床はささくれ立ち
子どもが安心して遊べない状態になっていた。
昨年はじめから
床の全面的張替え作業を進めてきたが
ようやくめどが立った。
残る3期、4期は
夏に間に合わせばいい。

福島の子どもたちを迎えるキャンプも
この春で4回目を数える。
日程は3月28日~31日の予定。
そろそろ募集をしなければならないし
どのようなキャンプにするかの企画も
必要になってくる。
今週末の日曜日
春キャンプを議題にした会議を
西宮で開くことにした。

会議の後はいつもの新年会。
ホンマに飲み会の多いチームですわ。
プロ野球より一足早く
いざ春キャンプ始動!

修復終えたテラス

「波へい」とは
ピースボート船内の居酒屋の名前。
そこで知り合った仲間は
酒をこよなく愛し
いざとなれば勤勉です。
この見事の仕上がり玄人はだしでしょ


2階から見た2つの小屋

2つの小屋をつなぐデッキ。
次はここを張り替えます。
右の小屋は私が寝泊りするところ。
左手奥はサウナルームをつぶした図書室です。
傷みがひどく難航が予想されます。


玄関前

最後は玄関前を修復します。
2階のデッキが屋根になっているので
傷みはそれほどでもありません。


はしたなく虚脱

おなじみパンダは
工事の間このように
はしたなく虚脱していました。

日々の練習

海辺を歩くことと
筋トレ以外に体を動かすことがないから
何か運動をしたいと思う。
バスケットボールのチームがあれば
参加したいのだけど
もう走れないだろうか。

中高生のとき厳しい練習に明け暮れた。
ほとんどが根性練習の類で
徹底的にしごかれたので
体だけは頑健になった。
それだけが根レンのいいことである。

私の時代から
根性練習は意味がないとの意見があった。
それは極々少数者の(0.0001%くらい)見解で
大多数は根レン肯定派であった。
私は著しく根性のないほうで
あれだけハードに痛めつけられても
まったく根性がつかなかったのだから
テレビCM風に言えば
効果なしは「私が証明です」である。

当時の反対派の意見で
私の好きな言葉がある。
「根性は生まれつきもってるか、もってないかで、
もっていない人間に練習で根性をつけることはできない」と。
ツキのない人間にいくら経験を積ませても
ツキのない人間のままであるのと同じことだろうか。
正しい意見である。

近年若いスター選手が増えた。
ゴルフ フィギアスケート テニス サッカー スキーなど。
満足のいくパフォーマンスができなかったとき
「試合を想定した緊張感のある練習ができなかった」
と彼らは異口同音に反省を口にする。
つまりこの若いヒーローたちは
試合に役立たない根レンとは無縁なのだ。

根レンに替わって彼らが取り組むのは
メンタルトレーニングである。
根性の有無は心の問題である以上
メンタルの強化こそ取り組むべき課題である。
長い錯誤の歴史を経てスポーツ界も
ようやく正しい練習法に行き着いたのかもしれない。
またそれが若い才能を早咲きさせた原因かも・・・・・・。

私はスポーツの話がしたかったのか?
いやそうではない。
死が遠い出来事でなくなった今
私は日々の生活において
死の練習をしなければ
有意義な死を迎えられない
と主張したかった。
日々の練習でできないことは
本番の試合(死)でできるわけがないのだ。

しかしなぜ
このような話題を持ち出したのかは不明。
年末年始と飲みすぎて
肝臓が弱っているためかなあ?

スミマセンでした。
次には私が実践する
死の練習法に触れてみたい。

パンダ

おかしなポーズで決めていますが
パンダはもちろん死の練習が
毎日バッチリできていますよ。


ALL for ONE

ライスボウルの勝利はならなかった。
敗因については
メディアの小ざかしい主張に
私は与するつもりはない。
敗因はただひとつ。
彼らのスローガンだった
ALL for ONEが壊れたからだ。

今年のチームは
このスローガンの下
実によく戦い、頑張りぬいた。
ALL for ONEの意味するところは
主力も控え選手もなく
選手とスタッフ(トレーナーやマネージャー)の区別もなく
オフェンスとディフェンス、キッキングチームの違いを超え
それぞれの場所と立場でチームのためにベストをつくし
全員がひとつになってNO1を目指そうという理念である。

このスローガンは現役・クラブOBばかりでなく
私のようなファンの参加もうながした。
私はその呼びかけに応え
キャプテンのユニフォーム(91番)を身につけ
仲間と夏合宿中のチームに肉を差し入れ
すべての試合で声を限りに応援し
3日のライスボウルを迎えたのである。

ところが有楽町駅前の火災で新幹線が不通に!!!
そのため80名を超える選手・スタッフが
名古屋で足止めされ
試合開始に間に合わなかった。

わずか80名と言うな。
スタッフと控え選手ではないかとほざくな。
このような妄言を吐く人間は
今年のファイターズを知らないのである。
ゴレンジャーが1人欠いても機能しないように
共に闘ってきた80名もの仲間が戦列を離れ
どのように闘えるというのか。
神はときに無慈悲な仕打ちをする。
よりによってALL for ONEを打ち壊す試練を与えるとは・・・・・・。

新大阪

新大阪に着くとこの有様でした。
すぐに新幹線を諦め
タクシーを飛ばして伊丹空港へ。
12時までキャンセル待ちをかけましたが
飛行機に乗れず
テレビで観戦しました。


興味津々

背伸び

パンダの世話は今年も
「榊原カメラマン」にお願いしました。
カメラマンはパンダの写真を
空港で待つ私たちに
随時写メで送ってくれ
可愛いパンダの様子に
荒む気持ちが
どれだけ癒されたか。
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