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多忙な日々

10月も今日で終わり。
朝から経理事務をし
振込みをすませ
ようやく一息つけた。

あっという間の10ヶ月。
数え年なら来年は古希である。
私が古希だなんて笑ってしまう。

80歳まで生きるとすれば
私の人生の約8分の7が
過ぎ去った勘定になる。
一日に換算してみると
私の人生の文字盤は
夜の9時を指しているのだ。

10月14日の日曜日に
野良猫を拾ったことから
私の人生が変わった。
ネコと暮らす生活が始まり
私の中の何かが刺激され
突如として私は詩を書きはじめた。

28歳くらいのころに
私は「深海魚」という散文詩を書いた。
ほとんど私家版のようなものだが
書店でも売られ
どこかの大学のテキストにも使われたと
東京の小さな店の店主が教えてくれた。

それ以来の長いブランクをへた詩作である。
ここしばらくブログに
詩を書き下ろしている。
プロの詩人でもやらないようなことを
私は図々しくもやっているのだ。

毎日詩を書き
「日々の詩」と題して
私はブログに掲載する。
できたてホヤホヤの歌。
青春が戻ってきたように
心が弾む。

今なら小説と詩作の違いもよくわかる。
詩の本領は自由さにある。
テーマに舞台装置を与えたり
情景や人物描写などで仕掛けを作る必要もなく
心の中にあるものを
ストレートに吐き出せばいい。
とってもすがすがしい。

もちろんそれゆえの難しさはあるし
才能がすべてと言っていい世界である。
言葉に対する感受性。
ファッションセンス同様
こればかりはあるかないかである。

もちろん修練を積むことで
才能に磨をかけることはできるだろう。
しかし詩に華を与えるのは
天賦の才でしかない。
才能あるものの詩は
はじめての詩作の第1行から
華が匂い立っているものなのだ。
しかし私には・・・・・・
残念ながら華は・・・・・ないなあー・・・。

11月に入れば
さらに忙しさが加速する。
まず私の年間最大の行事である
関西学生アメリカンフットボールリーグが
大詰めを迎える。
現在全勝のKGファイターズは
11月11日に関大と戦い
最終節である28日には
立命館大との決戦に臨む。

それに勝利すれば
関東の代表校と覇を競う
甲子園ボウルへ
2年連続で出場する。

今年はさらに重要なイベントがある。
11月3日の息子の結婚式。
あと3日に迫った式に
かつてないほど気合を入れた正装で
私は臨むつもりだ。

12月も予定がギッシリ。
1日から9日までは
ピースボートの脱原発クルーズ船に乗り
博多→釜山→沖縄→敦賀→博多
の船旅を楽しむ。

船から下りてひと息つく間もなく
1週間後の日曜日には(早くも出るつもり)
待ちに待った甲子園ボウルが控えている。
(今年の対戦校はどこだろうか?)

甲子園ボウルの翌日は
7年前のピースボートで知り合った
波へい(船内の居酒屋の名前)の仲間との
1泊2日の有馬での忘年会。
ホンマに忙しいですわ。

このように忙しく飛び回っていれば
1年は矢のごとく過ぎ去り
私の人生時計はすぐに
12時になるだろう。

世界を巡る船旅には時差がある
西に向かう旅では
乗客は12時になると針を動かし
時差調整をする。

12時だと思っていのが
11時や10時へ時間が逆戻りし
まだあと一杯飲めるぞーと
得した気分になる。

しかし実人生では
時差調節などない。
12時がくればおしまい。
笑顔でこの世とバイバイである。

病老死は確実に私を蝕み
今年は腸閉塞をわずらい
56年ぶりに入院した。
6月には前立腺炎となり
それに由来する頻尿が続いている。

しかし構うものか。
なんのこれしき。
毎日は楽しく過ぎていく。
このような気分も
多忙のおかげかもしれない。

忙しくするって
結構いいもの。


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日々の詩 6

原発と初潮

汗に血がまじる
母乳に血がまじる
胃液に血がまじる
みみだれに血がまじる
すい液に血がまじる
つばに血がまじる
血尿がでる

涙に血がまじる
膣液に血がまじる
鼻水に血がまじる
胆汁に血がまじる
大便に血がまじる
精子に血がまじる
血痰が出る

希望に血がまじる
リズムに血がまじる
祝祭に血がまじる
雲に血がまじる
愛に血がまじる
雨に血がまじる
血路が続く

原発事故に見舞われた夜
少女は初潮を迎えた
原発の熱湯は花に浴びせられた
動物と人間の境界が溶け
少女の不安はうずいた
少女の祖母が薄い背中に声をかけた
「今夜は星がきれいね」

原発事故の起こった夜
老人はセックスをしている
彼の精子には血がまじる
心の中を赤い尻尾をもつ流れ星が
燃え尽きながら落ちていく
彼は死にからかいの目を向ける
大きな秩序が老人をとらえ
星に答えを求める

老人には未来の子どもの声が聞こえる
自分の居場所が必要な小さなふくろうたち
か細いがしっかりした声にうながされ
老人はなずべきことを悟る

女になった少女は
どこかの
老人が譲ってくれた場所で
いつか
子どもを生み
すくすく
育てるだろう
何もかもに
血がまじった未来であっても
彼女の不屈の愛の重みは地球に残る


日々の詩 5

いい女

いい女
海に深く深く素潜りする女
海面に浮かびゴーグルをはずす彼女の目は
永遠を見つけた喜びに輝く

いい女
まっすぐな鎖骨を見せてチェロを弾く女
彼女の陶酔は音と木の起源を抱きしめ
原始的熱狂を静かに奏でる

いい女
するどいサービスを苦もなく打ち返す女
小気味よいボールの響が西日にあたり
赤いエロスが彼女のウェアーに溶け込む

いい女
詩集を読みながらビールをぐい飲みする女
麦の色をした彼女の豊満は
遠い地の嵐を夢みている

いい女
「大波がくる」と叫んで果てる女
彼女の開けっ放しのオルガスムスは
歯切れいい人生にアポストロフィを打つ

いい女
内面と外界を同時に見つめている女
なめらかに飼いならされた自意識が
彼女の美しさと官能の木陰となる



日々の詩 4

真夜中のパーティー

今夜も不眠とのつき合い
さて今日の出し物は?
不眠は朝との競争だ
そしていつものように
朝に先を越されてしまう

この勝負 ウサギと亀のかけっこに似ている
律儀に日をめくる朝は
ウサギみたいに途中眠ってくれない。
だから夜が明けても俺は不眠のまま

俺は眠りを見つめ
眠りも俺を見つめる
それこそまんじりともせず
ユング流に言えば
不眠は人の集まる家
エゴの住家だ

俺の不眠は
夜毎集まるおしゃべり好きの
パーティーのおかげさ
光速の8倍という猛烈なスピードで
言葉が俺の血管を駆け巡り
神経が青くいらだち
俺から眠りを奪う

不眠の集いでは
だれも今を語らない
かなわなかった恋物語
陰気にくすぶった悔恨
色あせた栄光をなめ
過去の甘噛みに身を任せる

でなければ一寸先の不安
あらかじめ喪失した欲望
青い影のような憧れ
無智を食い
不安定な未来の恋歌を聞く

いつも同じ話
繰り返される妄想
怒り 嫉妬 傲慢 執着 強欲 
恐れ 不安 うぬぼれ 期待 願望

それでも聞き飽きないのは
いずれもが自我の暗流に源をもつ
自分物語であるからだ。
だれだって自分の話は好きさ
そうだろう?

俺は川に本を捨て
不眠よ去れと念じる
つぼみが開くような寝息
夢のにおいが懐かしい
滑らかな睡魔と抱き合いたい
日曜の昼下がりのセックスのように

やい不眠 俺の老いの嫌味な相棒
不眠の川の岸辺には
生死を区切る川と同じ
桃の木が植わっている

桃の木の下に寝そべり
俺は空を見上げ
子ども時分の寝る前の祈りを捧げる
「モシ コノママ メガ サメナカッタラ
ミタマヲ カミサマニ オアズケシマス」

俺の不眠記録は72時間
「十億光年の孤独」に比べれば
一瞬のひとりぼっち

さあ あやふやな夢を酒のアテに
今夜もまたパーティーにでかけるか

It'showtime
真夜中のパーティーだ

日々の詩 3

言葉遊び

終末は週末に訪れる
週末は終末気分
彼女と別れたから

校門と肛門は
互いに似た性の遍歴をもちながら
深い断層で隔てられている

返信してくれないのは変心したから?
変心したあとに返信してくれたのなら
あの化粧品のにおいのワケがわからない

まだ抱擁していたいのに
法要が気になる
愛が冷めたわけではないんだよ

定年と諦念は
手を携えてやってきた
低燃費ね と長く連れ添った女が言う

廊下を徘徊する老化
老化を人生の廊下にたとえ
潮溜まりに生物を探す

神には髪があり
紙にはたくさんの髪が付着する
ハゲ男が悩まされるのはこの深遠なパズル

四季は空を飛び
死期は渡り鳥のように訪れる
四季と死期はそのように出会った

楽譜と岳父
思想と歯槽
完備と甘美と藤山寛美

死の水位が上がってきたとき
緑の目をしたネコが
松葉色の詩を連れてきた
パンダを拾った夜から私は詩を書いている

詩は屍衣を織り
死は詩を武装させる
詩と死 お前たち双子の兄弟

波打ち際が好きなふたり
少年の卑猥なあこがれを抱き
踊ってくれ私の心で
あのムーンウォークを


日々の詩 2

変な名前

パンダという名のネコ

うどん屋という名の毛糸屋

ゾウという名のライオン

土産物屋という名のブリキ屋

ひつじという名のメダカ

海の家という名の貸しふとん店

北海道という名の人間

人間という名のクマ

イルカという名の人間

パンダという名のネコ

緑色の目をしたオチビなメスネコ
君にパンダという名前をあげる



日々の詩 1

野良猫

老いに沈む年の突端に
野良ネコがひっかかった
梅田の繁華街
ゲイバーが集まる路地裏
私はお前を抱き上げた

お前はどこの星から滑り落ちてきたのか
私と出会う運命になったお前の体から
海のにおいが立ち上った。
緑色の目をした小さな小さなメスネコ

深夜のガランとした部屋にお前をおろすと
部屋が広くなり
家具が大きくなった
花1本ない10月の窓の下で
私以外使うもののいない
耳のような便器を私は掃除する

「梅田から?ずいぶん遠くまできましたね」と獣医
診察台の上で震えるお前の体重が記録された
目ヤニは目が悪いのではなく
風邪をひいているのです
だから目薬は目だけでなく
鼻にもさしてください

目薬をさそうとする獣医に爪をたて
背を攻撃的に丸め 
手足をばたつかせ
お前は獣医を威嚇し
理不尽な治療を拒否する

小さなお前
キュートなお前
生後1ヶ月にもならないお前
お前の心のどこに
相手をたじろかせ
やすやすと言いなりならない
反骨が埋め込まれているのだろう

そればかりかと私は思う
お前の心にはすでに
そのときがくれば
ひとりで遠くの場所に行く
地図すら描かれているのだ と

お前はどのような兆しにうながされ
自分の死を悟るのか
心が何色に変われば
旅立ちを決意するのか
お前は星が眠るその秘密の場所を
いつ どのように探しあてるのか

ある日お前たちは
居場所から立ち上がり
だれにも知られないように
ひとり旅立つ

このような野良猫のほとんどは
元気そうに見えても
白血病かエイズにかかっていて
あんまり長く生きられないのですよ
獣医の声を私は自身の心音で聞いた
お前は小さな声でひと鳴きする
「了解」とでもいうように

私には緑色の目を前方に放ち
傾斜した道を
ひっそり歩いていくお前の後ろ姿が見える
そこにつくとお前はくしゃみをして
いつものように背を丸めて眠り
耳をすまして落葉を聞くのだろう

お前に比べて
私はなんと不完全な生き物か
お前の何十倍も生きながら
死の森をもたず
予兆も聞こえず
青ざめた最期を飼いならす技もない

お前を家に連れ帰り
私は病院に出かける
お前が来たところより
ずっと遠い場所で
前立腺の治療を受けるために

病院前のスクランブル交差点で
私は信号待ちをする
路上にあふれた人々の顔には
いらだった孤独がにおっている
この中のだれ1人として
お前のように死を生きれるものはいない

白い秋がつかのま赤く燃え
交差点に夕日が差し込んできた
ガンでも受容できそうな気構えが立ち上がり
私は飛行機雲を目で追った

私が拾った
緑色の目の小さな小さなメスネコ

大役を果たす

先日はじめてFMラジオに出演した。
「奇跡の木」の紹介のために
地元のFM局が企画してくれた番組である。
この夏の一時保養キャンプ実施中には
あるAMラジオ局の依頼で
電話での現地レポートをやった。
ラジオづいている。

これまでテレビ出演したのは4度。
最初はNHKの「若い広場」である。
亡くなった女優の沖山秀子さんがアレンジしてくれ
「めざせ直木賞」というコーナーに出た。

当時私は肩までかかる長髪で
口ひげを生やしていた。
小説を書きはじめて1年ばかりなのに
俺は作家だとの根拠のない自負もあった。
力が入っていたのだろう
番組が終わるとすぐに
東京の叔母から電話が入った。
「あなた感じ悪かったわよ」と。

二度目はテレビ映画への出演である。
私は薬局の主人を演じた。
このころは長髪でなくアフロになっていた。
助監督として私は撮影に加わっていたのだが
薬局の主人の役が足りなくなり
無類の映画好きの私が志願したのだった。
「マリファナでも売っている見たいやなあ」とは
スタッフの間の評であった。

これで調子づいたのか
「乱(たぶん)」のオーディションに出るため
テレビ映画のスティールを黒澤明監督に送った。
もちろん写真も含めた書類審査で落選。
沖山秀子さんも応募したようだけど
彼女も役をもらえなかった。

同じ黒澤明監督作品である
「どですかでん」で好演した
沖山さんですら落ちたのだから
まあ仕方がないか と思った。

3回目は忘れてしまい
もう1度は阪神大震災の検証番組に出た。
災害時のパニックの話で
私が選ばれたのは
大地震のような災害に遭ったとき
通いなれた道を避難経路に選びがちだが
それが落とし穴になることを例証する目的だった。

この検証番組は高評価だったらしく
繰り返し再放送があった。
そのたびに間抜けな役を演じる自分を
テレビで見る羽目になり つらかった。
まあ普段からかなり間抜けなので
これも仕方がないか。

新聞への露出は前二者よりはるかに多い。
8割は悪い事件の主人公として
2割はまずまずいい人の記事になって。
恥じ多き人生を考えるなら
この数字もむべなるかな
と自分を慰めている。

先のFM放送では
インターネットで動画も見れた。
イラストレーターの藤井さんと出演したが
番組で何度も名前を挙げたデザイナーにだけ
こっそり動画のことを教えた。
すぐにデザイナーからメールが返ってきた。
「木田さんも藤井さんももう少し笑うほうがいいですよ」と。
どうもビジュアル系は分が悪い。

私は笑うことが人一倍好きである。
「おもろない人間はもてへん」との
関西風DNAもしっかり受け継いでいるため
隙あらば笑わせようと必死のパッチだ。
それに私のギャグのセンスもかなりなもの。
なのにテレビに出ると評判がよくない なぜだろうか。

昔ながらの友だちが
この疑問に答えてくれた。
「木田さんは恥ずかしがり屋でしょう。
恥ずかしいと思っている人の話は
聞いてる者には居心地が悪いのよ」と。
確かにそうだ。
だから私はタケシの芸風が好きになれない。

と自覚しつつもここには
自我の肥大と自意識過剰とか
無条件の笑いへの信頼とか
警戒心を抱かずに心を開くこととか
自然の善意を信じる気持であるとか
一寸先の未来への覚悟とか
私にとっての重要なテーマが
数多く横たわっているように思える。

これらは時間をかけて解決していくとして
問題は11月3日の息子の結婚式である。
きっと親としての挨拶が求められだろうな。
いやだなあー。
肩の力を抜いてリラックスしよう。
感じのいい表情になるように祈ろう。
自然に心の喜びが現れてきますように!
恥ずかしがったりしませんように!!
これまでの幾多の忠告を思い出しながら
大役を果たします。

いい日旅立ち

あと1ヶ月で息子の結婚式である。
11月3日 正午
場所は東京のフランス料理の店になった。
お腹の赤ちゃんも一緒に参列する式。
楽しみである。

問題は当日の服装である。
私は5月から10月まで
半ズボンとサンダルで通す。
よほどのことがない限り
その格好で営業にも行く。
新サンダル

(サンダルの日焼けの跡です)

ネクタイを締めるのは
2004年の娘の結婚式以来と思っていたが
翌年世界一周の船旅に出たとき
フォーマルディナーでネクタイを着けたとわかった。

105日の旅の間に確か5回ばかり
ドレスコードのあるディナーがあったけど
スーツ姿で食事をしたのは1度だけ。
当時「オンラインコメント」という名で書いていた
ブログで私はこんなことを言っている。

今晩は、二度目のフォーマルディナーがある。自分自身だけのことを言えば、堅苦しい格好で食事をするなんて、真っ平であるが、中国、ベトナム、インドで買い込んだ民族衣装を、若い女の子たちが着てくるのを見る楽しみがある。チャイナドレス、アオザイ、サリー。その色彩のあざやかさ、それぞれの文化が、もっとも美しい時期の女性を飾り立てるために絞った艶やかな知恵の競演。こんな日のレストランは、皆の話し声までが華やかにトーンを上げる。かくいう私は、白いインド風のシャツを着ていくつもりでいる。

私は若い男女が着飾ったパーティーは大好きである。
しかしネクタイ姿はちょっと・・・・・・。
理由はたわいないことである。
私にはきっちりした服が似合わないのだ。

私の首は短く太い。
猪首というヤツである。
ちなみに首周りは42cmある。
だからVゾーンは開放的にしてやらないと
とても堅苦しい印象になる。
スーツ姿

(やっぱり似合わん。首太すぎ)

スーツは2着ある。
ブラックスーツと濃紺のサマースーツ。
ネクタイも2本。
白と黒(白は娘の結婚式のときに買ったものだ)
11月3日はブラックスーツに
白いシャツを着ようと思い
シャツを物色しに神戸に行った。

パリッと糊の利かせようのない
私好みの柔らかい素材のシャツを買った。
家に帰ってスーツに合わせるみるが
しっくりこない。  
要は中途半端なのである。

鏡に写ったシャツとスーツが
「チュート半端やなあ」と声をそろえて叫んでいる。
ということでネクタイをすることに決めた。
近々きれいな色の細いネクタイを買いに行こう。
娘の結婚式で1本 息子ので1本。
これでいいのだ。

息子の彼女からこのように言われた。
「父(彼女は私をこう呼ぶ。あるいは父ちゃん と)結婚式で
はじめましては変だから その前にうちのパピーとマミーに会って」と。
というわけで来週彼女の両親に会う。
どんな人たちなのだろう?
こちらもワクワクする。

子どもが結婚し
縁者が拡大することは
とても愉快な気分である。
そして得した気持ちになる。
逆に相手方からすれば
えらい人らと親類になり
損したなという気分になるのかもしれない。

ともあれ母の命日に(しかも母が永眠した時刻に)
息子からもらった電話ではじまった心躍る騒動は
いよいよクライマックスを迎える。

11月3日は文化の日
「自由と平和を愛し 文化をすすめる」というこの日の趣旨は
心優しい息子夫婦にとても似つかわしい。
当日は同時にマンガの日 レコードの日
文具の日 関西文化の日でもあるらしい。
これも息子たちの好みによく合っていて
いい日旅立ちである。


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