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ナターシャ・グジー

このところ
ナターシャ・グジーにハマっている。
友だちの勧めで彼女の歌を聞きはじめたのだが
当初は「金色の花」「なぜなのか教えて」
「キエフの鳥の歌」「白い翼」
「TOMOSHIBI」「涙そうそう」などを聞いていた。

数日前に「いつも何度でも」をはじめて聞き
私は長い間探していたものに
ふと行き当たったような気持ちになった。
私が触れたものを言葉にすれば「希望」となろうか?

もちろんこの有名な曲は
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」の主題歌である。
チェルノブイリ原発から3.5キロしか離れていない
自宅で被曝したナターシャ・グジーは
この歌を歌う前にいつもそうするように
日本語で自身の被曝体験を静かに語る。
彼女の過酷な体験と透明な声は相互に溶け合い
「いつも何度も」の歌の翼を羽ばたかせた。

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから

福島に留まり
希望のかけらを探し疲れ
心を痛めている人々
ぜひナターシャ・グジーの
「いつも何度でも」を聞いてください。
きっとあなたの
「こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される」
と思いますよ。

東日本大震災のあと
いろんなメディアで
「プロメテウス」という文字を目にするようになった。
「プロメテウスの罠」は朝日新聞の
有名な連載ドキュメントである。

ギリシャ神話に出てくるプロメテウスは
神から火を盗み人類に文明を与えた英雄である。
火がないころの人類は調理もできず
暖もとれなくて
闇夜で動物の襲撃に怯えながら暮らしていた。

神のものである火を人類に与えれば
彼らは手に負えなくなるかもしれない
というゼウスの忠告を無視して
プロメテウスは火(=エネルギー)を人間に渡す。
昨今のこの名の露出の多さは
エネルギー(=原発)による文明への道は
果たして人間を幸せにしたのかという問いと同じである。

プロメテウスの裏切りに怒ったゼウスは
プロメテウスを山につなぎ
ワシに肉体を食い散らさせる罰を与える。
不死のプロメテウスは鳥に内臓を食われても
次の朝には蘇るのでこの刑罰は永遠に続く。

このようなむごい刑では飽き足らず
ゼウスは人類全体に復讐を
エスカレートさせていく。
その報復のために選ばれたのがパンドラである。

職人の神によって作られたパンドラは
美しく 仕事をテキパキこなし
音楽の才と癒しの力があり
何より旺盛な好奇心をもつことによって
女性の典型であった。
その彼女にゼウスは黄金の箱を持たせ
人間界へと送り出すのである。

ゼウスのたくらみを知るプロメテウスは
弟のエピメテウスにゼウスの贈り物はもらうなと忠告する
にもかかわらずパンドラの美しさに負け嫁にしたばかりか
彼は贈り物の箱までも受け取ってしまう。

ゼウスから託されながら
箱の中身を知らないパンドラは
何が入っているのか気になって仕方がない。
夫の猛反対に彼女の好奇心が勝って
ある日パンドラは箱を空けた。

箱の中に詰まっていたのは
疫病、犯罪、欠乏 嫉妬 怒りなどあらゆる悪いこと。
それがすべて人間界に飛び出していった。
驚いたパンドラはあわててふたを閉めるが 時すでに遅し。
箱の底には希望だけが残った。
これが「パンドラの箱」の顛末である。

このギリシャ神話には
いくつかの異聞がある。
箱を開けたのはエピメテウスという説や
箱のそもそもの持ち主はプロテウスだったという説
またプロテウスの「先を読むもの」
エピメテウスの「あとから知るもの」という名前の由来と
物語の展開との関係もナゾである。

数ある矛盾のうち最大のものは
最後に希望だけが箱に残るのだから
人はどんなときにも希望を捨てずに
生きていくことができるという説と
希望は人間界に出て行かず箱に残ったために
人類にはいかなる希望もないという説の対立である。

後者は「生きることは苦である」とする
仏教的価値観にきわめて近いと私には思える。
長老派仏教のスマナサーラさんの弟子を自認する私は
基本的にこの立場をとりたいのだが
そのためには箱という仕掛けを用いて(手品の箱だけど・・・)
別の鳩を取り出さなければならない。

パンドラの持ってきた箱とは心の暗喩であり
外の世界がいかに災難にあふれ
汚れきり 犯罪や暴力が横行しようとも
心の中には「いつも何度も」
希望は残り続けるのだ、と。

私のつまらない解釈が
福島の人たちの心を癒すことはないだろうけれど
ナターシャ・グジーの音楽は
確実にあなたの心を癒す。
希望がもてそうになくなったとき
心が折れそうになったとき
ネットで検索し彼女の音楽を
ぜひ聞いてください。

「呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数え切れないけれど
その向こうできっと あなたに会える」 

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「雪はその白さから 治る日はないだろう」

云っておくれ きかせておくれ、
わたしは治るだろうか?
わたしの心臓のこの病気から?

─恋人よ 恋人よ
雪はその白さから
治る日はないだろう。

(フランシス・ジャム 「哀歌 第七」 堀口大學訳)

フランシス・ジャムは
19世紀から20世紀にかけて生きた
フランスの詩人である。

これは詩の冒頭
1連 2連の恋人同士の会話である。
一方が自分の心臓の病は
治るだろうかと問いかけ
もう一方は雪の白さを引いて
不治の病であることを告げる。

それにしても
「雪はその白さから
治る日はないだろう」とは
何という表現なのだろう。
鋭い氷柱で心臓を刺し抜かれるように
心に突き刺さる言葉だ。

福島や線量の高い被災地では
この詩と同じような会話や自己内対話が
今日も続けられているのかもしれない。
放射線による被爆の恐れから
私たちは立ち直れる日がくるのだろうか、と。

ただ一つの救いは
たとえ治る見込みのない病や被曝であっても
このように美しい言葉によって
人の悲しみや苦しみが
漂白されることにある。

肉体が侵されようとも
美しさを喜ぶ心を失わないことは
人間の救済のひとつの形である。
雪は白さから治らないように
まぶしい白の輝きも
永遠に褪せることがないのだから・・・・・・。

世界に星のごとくまかれている
美しい言葉を見つけよう。
そして拾い上げ
私たちの掌にとり
じっくり眺めてみよう。
それらはきっと私たちを慰め
強い気持ちを抱かせ
生き抜く勇気を与えてくれるに違いない。

問うな、ただ踊れ

放射能被曝について考えるとき
忘れてはならないことがある。
確かにそれは無類の破壊力でもって
私たちに襲いかかってくる。
しかしながら汚染がおよぶのは
私たちの体であって心ではない。
忘れてならないのはこのことである。

私は放射能被曝の恐れからくるストレスや
発病の危険性への深刻な悩み
奪われる未来に対する不安を
軽く見ろと言いたいのではない。
心まで汚染されると思うことは
「笑っていれば被爆はしない」と説いた
福島の大学教授の発言の裏返しにすぎないと
主張したいのである。

ここで私の念頭にある心とは
美しいものを愛でる心
母と大地に育まれた柔らかく優しい気持ち
もの作りに向かう本能的な衝動
踊り 歌いだしたくなる命のリズム
不屈であろうとする自由な意思
高みに手を伸ばす成長欲
そしてこれらの大本にある心の神秘。
いかに被曝しようとも
これらの心が私たちから
奪われることはないはずである。

汚染が肉体に限られた問題なら対策はたつ。
体を鍛え 免疫力をつけ
汚染の恐れのある食物を
遠ざけるようにする。

そして1つの真理に
心を預ければいい。
誰にとっても自分の心臓や胃や肝臓
血管や汗腺や性腺や消化酵素
目や鼻や口や耳や肌は
自分だけを愛しているという真理に・・・・・・。

私たちはだれでも自分の体から熱愛されている。
いかなる強力なライバルが出現しようと
私の体は私以外の存在には目もくれない。
この肉体から差し出される普遍の愛は
被曝の無用な憂慮を撃退する際の
強力な味方となるに違いない。

原発事故を経験した福島の人たちは
困難な旅を継続する行人にたとえられよう。
危険な地を巡る旅の極意は
細心の注意を払い身の安全を守りながら
果敢な冒険をすること。
比ゆ的に言えば
これが福島の人々の生き方になる。

8月20日~24日まで
福島の親子28名を招き
4泊5日のキャンプをしてから
2週間がたった。

4泊5日で何ができるのかという
無力感を払いながらたどりついた一つの結論は
彼らに必要なのは哀れみではなく
彼らが強い心と強い気持ちをもとうとする挑戦を
私たちはどう支援できるかということだった。

福島で生きることを選び
福島に希望を託す子どもが1人でもいる限り
私たちは一緒に夢を見るべきであると思った。
そしてもっと深く子どもの成長に関わり
未来を共有する道を歩むことが必要だとも。

私に具体的なプランがあるわけではない。
しかし私にはあるイメージが浮かぶ。
たとえばダンスだ。
福島の子どもたちと一緒に
ダンス作品を作り上げるイメージ。

月に1度か2度
福島でダンスの練習会を開き
一時保養の希望者はこれに参加する。
豊岡で今年開いた4泊5日のキャンプは
さしずめ一時保養を兼ねた合宿の位置づけとなる。
そしてその練習の成果は
当然どこかで発表されなければならない・・・。

もちろんダンスに限ったことではない。
なんでもかまわない。
それぞれの支援団体が得意なことで
福島の子どもたちとの
日常的な関わりを強め
彼らが夢をもてるように
生きていく力がつくように
成長が実感できるように援助することが
今私たちに求められているのだと思う。

体への細心のケアーを呼びかけつつ
だれも奪うことができない
福島の子どもたちの心の冒険を支援する。
これが私のキャンプの反省と
今後の希望である。

「なぜダンスなのか」という問いには
ニーチェの言葉で答えよう。
「問うな、ただ踊れ」と。

そして福島の子どもたちへの激励には
マークトウェーンの格言を写しておこう。

ロープを投げろ
安全な港から航海に出ろ。
帆で風を受けろ
冒険せよ
夢を見ろ
発見せよ。



わからないことはイリイチに聞け

深い考えもなくはじめた
NO冷暖房生活も
2期目に入った。
先月の電気代は前年比-11.9%。
去年より12%近く絞り込めたわけだ。
全身から汗を搾りとるように節電に励めば
まだ20%ばかりは電気を使わずにすみそうである。

このような生活をすると
道具との関係に意識が向かう。
服という道具の本来の機能は
暖をとることにある。
暖房なしなら服を着れるだけ着て暖をとり
冷房がなければ服を脱げるだけ脱ぎ
涼しくなろうとする(私の場合究極の全裸)。

窓という道具は外気を遮断する機能を有する。
夏は可能な限り窓を開け放って風を招き
冬は窓を閉ざし暖気を逃がさないようにする。
かくして夏は24時間家のすべての窓を開け放つ。
冬は空気の入れ替え以外は締め切ったままである。

ちなみに私の家では
数日留守にするときを除いて
6月から現在にいたるまで
昼も夜も窓を閉めたことがない。

この夏11.9%の節電ができたのは
外からの目を意識して
夜でも大きな電燈を使わないようしたことが1つ。
あとPCと冷蔵庫以外の電気製品のプラグを抜いたことにある。

私の持っている電気製品は
テレビ トースター 電子レンジ スタンドだけ。
テレビの視聴時間は1日に1時間ばかり。
トースターも電子レンジも朝数分使うだけ。
私はこれらの道具に意識を向け
使う量を決めて製品を操る。
これが道具と私たち人間のあるべき関係である。

生活する力を身につけなければ
道具に依存してしまい
挙句の果ては支配される。
このような関係の生活態度の特色は
受動性というところにある。

自分で風邪を治せないなら医者にすがり
自学自習ができなければ塾頼みになり
進むべき道の見つけ方がわからないと
ナビに依存するのと同じである。

テレビが点けっぱなしの日常では
一日に何をするのかさえテレビに決められ
空調(道具)のスイッチを入れ
温度管理を道具に任すと
暑すぎて服を1枚脱ぎ
寒くて何かを羽織る羽目になる。

道具に支配され
生活の自主的工夫を放棄し
自分の生き方を道具任せにする状態を便利と呼び
その無気力な快適さを
人は金と力の証拠とばかりに喜んでさえいる。
この総仕上げが
原発に依存した私たちの現在なのだ。

NO冷暖房生活をしていると
昔のことに思いがいく。
熱帯夜には家の中は過ごしにくいので
近所の人たちは外で涼んだものである。

道路に床机を持ち出し
上半身裸でステテコ姿のオヤジが
団扇片手に将棋をさし
オバサンたちは夜が更けるのも忘れ
井戸端会議にふけっていた。
私たち子どもは影絵踏みをしたり
道路に字を書いたり
鬼ごっこやかくれんぼに興じる。
道路は家と庭の延長であり
共有空間として私たちのものであった。

しかしながら現在の道路は
車に占有され
車道としての使途以外に
そこを利用することは許されない。
私たちは暑く狭い家に囲い込まれ
熱帯夜を過ごすには冷房の助けが必要になる。
これら一見無関係に思えることも
すべてはつながり
現代におけるアポリア(難問)となる。

若いころ(1970年ころ)私は
イバン・イリイチを熱心に読んだことがある。
その当時の私は
ほとんど彼の言うことがわからなかった。

再読してみて驚いた。
当時私が皆目イリイチの思想を理解できなかったのは
彼が約50年先(2012年)の未来の破綻を
予言していたからであった。

学生時代の友人にイリイチファンがいた。
彼はことあるごとに
「わからないことはイリイチに聞け」と言っていた。
今の私なら彼のセリフに賛成できる。
そして友人と同じセリフを
私も吐いてみたい気がする。

「わからないことはイリイチに聞け」と。




ウサギとワシのトーテムポール

母親のことを書こうと
昔の資料を調べているうちに
「ウサギとワシのトーテムポール」
というタイトルの小説が出てきた。

「海浪」という雑誌のために書いた小説で
昔母親が庭に埋まっていた大きな樽に落下し
救出を待つ出来事を取材した話である。
前回8月28日のブログで
「目の形はウサギのようで鼻はワシ鼻」と書いたのは
この小説からの借用である。

あまりに大きな樽であるし
しかも私たちが住んでいた
市営住宅の庭に埋まっていたのが尋常でなく
私はこの樽の正体を突き止めようと
数年奔走したことがあった。
物語の最後のあたりで
私は母とのこのようなやり取りを書いている。

「いっぺん聞こうと思とったんやけど、なんで、
あんな大きい開いとる穴に気がつかんと落ちたりしたんや、ええ年して」
「考え事してたの」
「なにを」
「・・・・・・うん・・・・・・」そこで母は言葉を区切り、私をまじまじと見つめ、
入れ歯の入った口をもぐもぐと動かした。
「なんやねんな」私は焦れて先を促す。
「ラブレター・・・もらって・・・お父さんの昔のお友達から」
「ラブレターてか?七十すぎのおばあちゃんが」思わず声がうわずってしまう。
「・・・そう・・・」例のウサギの目の回りが、ぽっと赤らんだ。
「見せてみいよ」
「ダメ、ダメ、絶対アカン、恥ずかしい」
「ええやんか」
逃げるウサギ、追うワシ。
「その人が死んだ後にゆっくり読みなさいよ」
「いつから」
「三年ほど前から」
「そんな前からか。俺に何も言わんと。それで、何通くらいもろうとんのや」
「三十通くらい」
私は声も出ない。
「皆死んだ後やったら、ラブレター使って、小説書けるようにしといてあげるから」
母はそう言うなり、私に横顔を見せ、静かに麦茶をすすった。

母は当時70代の前半であったろうか。
母が34の時の子どもである私は
40歳前後のはずである。
その当時の私の目には
母はずいぶんと年寄りに見えたものだ。

このラブレターの1件では
母の口から相手の名前は聞きだせず
母の遺品からラブレターも出てこなかったので
きっとどこかの時点で
母は手紙を処分をしてしまったに違いない。
そして私はそれを題材にした小説も書けなかった・・・。

今年68歳になる私は
母の老いを確実に追いかけている。

今日息子と彼女が
淡路島にやって来る。
息子から電話をもらった8月最後の日曜日
私は淡路島に行った。
ログに向かう道すがら
見慣れない看板が目につきはじめ
導かれるように進むと
目にも鮮やかなイタリアンレストランに出くわした。

そのレストランを見るや
私は息子にメールを打った。
「ログハウスで式と披露宴をやるのはいいけど
ログから車で5分足らずのところの高台に
すばらしいイタリアレストランができてる!!!
ここで式と披露宴をやりログハウスは二次会で使ったら?」と。

息子たちが今日淡路島に来るのは
自分たちの目で
そのレストランを確かめるためだ。

今夜私たちはそこで夕食をとる。
私がレストランを気に入ったのは
播磨灘に面したロケーションのすばらしさ。
そして何よりそこが廃校の小学校を改装し
赤 緑 白のレストランに生まれ変わったためだ。

できちゃった結婚になる息子たちの結婚式の会場に
元小学校という条件は
なんとふさわしいことだろう。

母の命日に孫を受胎した知らせを息子からもらい
レストランの下見へとつながった成り行き。
きっと私は小学校の雰囲気を
色濃く残すそのレストランで
未来の孫が学校を走り回る姿を
幻視することだろう。

そして当然ながら
世代は重なり
かつて私が母親の老いた姿にたじろいだように
息子も私の老いを
背の曲がりから感じるのだろう。

「ウサギとワシのトーテムポール」は
息子にも祖先の神話的起源として
引き継がれ そして孫にまでも・・・・・・。
そのバトンタッチが
私にはとても豊かで好ましく思える。
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