スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

すべての未来の子どものために

とうとうきた
という感じである。
ハーメルンPJジョイントチームも
独自の保養プログラムを作り
一時的に福島を出る人たちを
支援することにした。

8月20日~24日まで4泊5日。
募集人員は30名
短い期間だしあまり多くない人数だけど
不安がいっぱいである。
私たちは市民運動の経験などない
まったくの素人集団である。
自分たち単独でやり切れるのだろうか。
キャンプの費用を集められるであろうか。

福島の人々が日々味わう不安に比べれば
私たちの尻込みは
取るに足らない憂慮に過ぎない。
運営は無骨でもいい。
洗練された接待でなくてもいい。
手作りのイベントが
福島の子どもたちに受けなくても仕方がない。

心をつくし 思いをつくし
一時の安らぎを感じてもらおう。
汚染されていない空気を肺一杯に吸い込んでもらおう。
そして子どもらしく大地を駆け回ってもらおう。
キャンプの間だけでも
不安な未来を忘れてもらおう。
自分と世界をゆっくり見つめ
この傷だらけの社会でどう可能性を見つけるのか
それを考える時間をもってもらおう。
そのように思って私はキャンプを決断した。

今朝告知したばかりなのに
朝から私の携帯に4名もの問い合わせがあった。
その中の1人のお母さんは
すぐにメールで申し込みをしてきた。
「就学前の6歳の子どもと行きたいのですがいいですか?」
そうたずねる声は
切迫した思いのために震えていた。
彼女の必死さに私は胸を打たれた。
伊達市に住む親子である。

伊達市は私が先月訪れた
飯館村の近くにある。
あの線量の高い地域である。
小さな子どもを抱えてどれほど不安であろうか。
日に日に蝕まれる恐れのある子どもの未来が
どれほど暗く映るだろう。

この親子だけではない。
電話をしてきた人たちに共通してあったのは
ある種の重い切迫感である。
福島の人たちはワラにもすがる思いで
保養キャンプを求めている。
成否はまだわからないが
私はキャンプを計画してよかったと思った。

大飯原発の再稼動を決めるなら
まず放射能被曝に苦しむ東日本のこのような被災者に
原発再開の是非を真っ先に問い
被災者がNOと言えば
原発依存を止めるべきだと私は前に言った。

彼らの過酷な犠牲は
自分たちと同じ苦しみを味わう人が
この先1人もいないとわかって
少しは慰められのではないだろうか。
それでなければ彼らの
報われることのないこの苦難は
いったい何のための犠牲なのだろうか。

消費税増税に政治生命をかける議員はいても
原発事故の収束と原発事故被災者の救済に
政治生命をかけるものはいない。

原発の再稼動を容認すれば
処理方法のイロハもわからない核のゴミが
これからも増え続けることになる。
そのゴミをどうするつもりかも示さず
原発事故はこれからはもう起こらないだろう。
使用済み核燃料棒の処理は
いつか 誰かが考え出してくれるだろうと
あてのない期待にすがりつき
その解決を未来に先送りするのである。

日本の子どもたちは
被曝による病気の不安ばかりでなく
私たち大人が便利な生活を手放したくないばかりに
依存し続ける原発のゴミと共に
未来を生きなければならない。
何という愚かな国なのだ。
何という馬鹿な政治家ばかりなのか。

私たちの子どものため 孫のために
子どもや孫が作るすべての未来の子どもたちのために
私たちは生活レベルの
可能な限りのダウンを受け入れると宣告しよう。
だから原発はもう止めてくれと要求しよう。

彼らの吹けば飛ぶような薄汚れた政治生命など
賭けても賭けなくても変わりはないが
彼らの愚かな決断が日本の子どもの将来を
奪っていいはずがない。
そのことに気がつかないなら
私たちが選挙によって
彼らの政治生命を奪ってやるばかりだ。
スポンサーサイト

見えない関係を視る

私のブログは長いと言われる。
そうかもしれない。
私が定期的にのぞくほかのブログは確かに短くて楽しい。

私のブログはむずかしいと言われる。
これについてはわからない。
平易な表現を心がけ
私としてはなるべくわかりやすく書いているつもりである。

「奇跡の木」の翻訳をしてくれる
アメリカ人のロスからも同じことを言われた。
彼の不平は具体的である。
「木田さんの話の流れはアメリカのルールじゃない。
 たとえば 映画について触れ 『遠野物語』に飛び
 また映画の話に戻る。アメリカではこれはルール破りだよー。
 『ハリーポッター』でさえアメリカ人向けにリライトされると言うのに
 日本語の作品をそのまま翻訳するなんて無理」と。

ロスの指摘はもっともだ。
彼とのやり取りによって
私は無意識だったブログの方法論らしきものに
気づかされることになった。

ロスの言う映画とは「サクリファイス」である。
私は陸前高田の松を話題にし
「サクリファイス」に触れ
「遠野物語」の昔話を紹介し
再度「サクリファイス」の結末を語った。

ここにはロスが求めたはずの因果関係はなく
無関係なエピソードが並置されているだけである。
並置というのは日本文学の固有の方法かもしれない。
私のブログがむずかしいとすれば
並べ置かれたもの同士をつなぐ糸が
どこかで切断されているのがその理由だろう。

「奇跡の木」は小説ではない。
詩でも随想でもなく
あえて言えば
ブログの手法の延長上に書いた
お話というところか。

ブログでも「奇跡の木」でも
私はエピソード並べて何がしたいのか。
無関係に見えるもの同士の間に
私は見えない関係を発見したいのだと思う。
そして見えない関係を視ることこそ
ものを書く人間に求められていることだと
私は信じている。

「サクリファイス」はロシアの親子の話である。
「遠野物語」は明治の大津波に遭遇した男女の話である。
陸前高田の松は東日本大震災で1本残った松の木である。
地域も時代もテーマも違う3つの物語をつなぐ
見えない糸とは何か。
私はそれを探すために「奇跡の木」を書いた。

陸前高田で生き残った松のことを
ニュースで知ったとき
私は阪神大震災で焼け残った
「神戸の壁」を思い出した。
それもただの「神戸の壁」ではない。

私はその壁の前で友だちの写真を撮ったことがある。
両手を広げて立つ彼女は夕陽がまぶしそうであった。
出来上がった写真を見ると
彼女の踵から地面をはって伸びる影が
壁を這い上がり大きな十字架を作っていた。
奇跡と犠牲をテーマにした
映画「サクリファイス」を手繰り寄せたのは
いかにもキリスト教的イメージの友だちの写真が
私の頭に残っていたからだろう。

私は孤立した木が気になる。
似たようなものとして
道路に落ちている片方の靴・手袋や
帽子にも関心が向かうし
置き忘れられたメガネも気になる。
私の心にこれらは同じ作用をする。

靴も手袋もメガネも帽子も
ただの物体ではなく
人のかたちをそのままなぞる共通点をもつ。
孤木にはなぜか人体の風情がある。

東日本大震災の津波でも
靴や帽子が流れてくるたびに私はドキリとした。
それを「奇跡の木」でこう書いている。
「(木は)いくつもの帽子と靴が幹にぶつかるのを感じた」と。

大量の靴やメガネなどは
私にナチスの悪名高い写真を思い起こさせる。
ナチに抹殺された収容者が残したメガネなどは
殺害されてもなお体の一部が生きているように
生々しく私たちに迫ってくる。
そして灰色の収容所に立つ灰色の孤木・・・・・・。
ここで木とメガネや靴との出会いは1つの物語を生む。

「ぽつんと立つ木は
生と死の交差点となる。
青空に手を伸ばす梢が生で
水を求める根が死というわけではない。
宇宙樹のように生と死が
1本の木全体を貫いているのだ」
私はこのように綴った。

「奇跡の木」は船ではじまり船で終わる。
7年前にピースボートで世界を巡った体験が
ここに投影されている。
世界中を回って私は多くの孤木を見た。

旅は別離と出会いをリンクさせる。
旅人は異界を巡ってふるさとの港に戻る。
出迎えるものと帰還するものの間には
異界での経験という大きな溝がある。
たとえ恋人同士であっても
2人の心は出発前とは同じではない。
死者がよみがえり船で帰還する奇跡を
木は見守りながらも
そこにある苦い味わいが混じるのは
そのためである。

チャリティー絵本「奇跡の木」は
松の木を巡る見えない関係に
目を凝らした作品である。
絵とデザインの力が
私が視なければならなかったものを
見事に再現してくれている。

ありがとう協働してくれた
ビジュアル作家たち!!!



北国の春

チャリティー絵本「奇跡の木」を
ボランティアで翻訳してくれる人たちと
メールでやり取りするたびに
インターネットの便利さを実感する。

翻訳が進んでいるのは
フランス 中国 ベトナムである。
いずれも訳者が女性の共通点をもつ。

フランス語版の翻訳者は渡仏し
現地で結婚した若いお母さんである。
中国語の訳者は日本への留学経験のある
20代前半の中国人女性。
大学卒業後上海の日本企業で働いて
彼女は日本語に磨きをかけた。
ベトナム語の訳者はさらに若く女子大生だ。
ベトナム人と日本人のハーフの彼女は
学生 モデル 輸入雑貨商の社長もこなす才媛である。

インターネットは地理的隔たりを
超えてしまうが
時差はいかんともしがたい。
ヤングママのいるフランスとは
7時間の時差がある。

私が「おはようございます」とメールする時分は
彼女にとって就寝時間である。
彼女には大地君という小さな息子さんがいる。
「この子のパパがワイン生産者なので
自然をこよなく愛するパパのように
がっしりと山や畑を歩き
すっと夢見た遠い国に住んでいるママのように
自由に飛び立ってほしい。
でも足は地にちゃんとつけていてね
という気持ちからつけました」
彼女は名前の由来をそう説明してくれた。

ワイン農園主との結婚とは
何とカッコいいのだろう。
彼女はその自家製ワインを
震災孤児を支援する活動団体
「青い鳥プロジェクト」に寄贈し
寄付金集めに寄与している。

別のメールで彼女は
「パパはジョン・ジオノのような人です」
と紹介してくれ私を驚かせた。
チャリティー絵本「奇跡の木」を一緒にやってくれないかと
イラストレーターとデザイナーにお願いしたとき
彼らに示したのがジョン・ジオノのもっとも有名な作品
「木を植えた男」であったからだ。

私たちは「木を植えた男」を研究し
「奇跡の木」の構想を練った。
「木を植えた男」はたった1人で
森を再生させた男の物語である。
同じ木を巡る話。
テーマも奇跡である。
何ごとによらず私は偶然が大好き人間。
偶然フェチである。

ジョン・ジオノはフランスの著名な作家だが
日本語の訳書は数少ない。
多くの人にとっては
「河は呼んでいる」の脚本作家としてのジオノのほうが
馴染みかもしれない。
「デュランス河の流れのように
小鹿のようなその足で・・・」という有名な主題歌は
私と同世代の人々なら
一度は口ずさんだ歌であろう。


メールを書き上げクリックすると
それは中国へ フランスへと飛んでいく。
私の頭にはプロバンスあたりの田園風景や
上海の活気ある町並みが浮かび
私の送ったメールが
空からくるくる舞いながら
それぞれの町に落ちていく絵が広がる。
あくまで私はアナログ人間なのだ。

この翻訳ボランティアは
ドイツ語 スペイン語へと
拡散する動きがあり
スエーデンなどの北欧諸国
アラビア語圏まで訳者が広がる勢いである。
ありがたいことだ。

「アラブの春」においても
インターネットが重要な役割を果たしたことは
記憶に新しい。

政府はついに大飯原発の再稼動に踏み切った。
福島の事故を教訓にしたドイツが原発依存を止め
事故の当事国であり地球環境に深刻な打撃を与えた日本が
世界への謝罪もなく
事故原因の究明や収束の見通しも示さないまま
再稼動へと大きく舵を切った。

この愚かしい決定を覆すためにも
インタネットが目覚しい役割を果たすようにと
祈りたい気持ちである。
「アラブの春」ならぬ「北国の春」
微力ながら私も力をつくそうと思う。

何もないのにすべてがある。すべてがあるのに何もない

友人がピースボートで地球一周の旅に出た。
ときどき入るメールで私は船旅の様子を知ることができる。
現在航行中の第76回の船は一昨日地中海に入った。
これから大西洋に達するまでの1週間あまり
船は世界の名だたるワインの産地を巡っていく。
  
私が参加した第48回のピースボートの旅もそうであったが
これからはワイン一色の日々となる。
連夜のワイン講座と試飲会。
私たちはいっぱしのワイン通になって 
夕食の席でグラスを傾け
仲間の船室へ押しかけての
ワインパーティーでシメないと一日が終わらない。
懐かしい思い出である。

同じ地球一周の旅でありながら
7年の歳月を感じさせるものもある。
インドかスリランカでアジアに別れを告げると
船は波の荒いインド洋に入る。

48回ではインドのコーチンからケニアに向かった。
今回の旅ではスリランカのコロンボを出た船は
ノンストップでスエズ運河まで達し
ポートサイドまで一気に滑りあがったようだ。

長く厳しいインド洋の航行を慰めるために
私たちの船では大運動会があった。
しかしながら76回の船旅では
海賊の襲撃に備えて
日本籍の船は船団を組み
前後を海上自衛隊に守られながらインド洋を渡ったらしい。
当然楽しい運動会もなく
すべての窓は板で目張りされ
一部を除いてデッキまで立ち入り禁止となる物々しさで
航海が続けられたそうである。

インド洋で忘れがたいのは
マラリア予防薬騒ぎである。
私たちはケニアとエリトリアに寄港したのちエジプトへと向かった。
アフリカの多くの国々がマラリア汚染地帯であるため
船ではマラリアの予防薬服用が義務づけられていた。

この薬がとんでもない大きさで
トローチの倍ほどある錠剤を
私たちは飲み込まなければならない。
服用日は毎週金曜日。
6週間(だったと思う)連続して飲まないと
効果なしと説明された。
 
下痢と不眠の副作用の恐れを注意され
服用した日には酒を控えるようにとの指示もあった。
夜毎の酒を楽しみにしている酒飲みには
当然ながらきわめて評判が悪い。
「6週間も酒をほどほどにやて、アホかいな」
この嘆きが船内のあちこちで聞かれた。

マラリアの危険性が繰り返し喧伝され
1人でも感染者が出れば航海は中止と脅された。
「誰かがマラリアに感染しますと蚊を媒介にして
乗客全員に病気が広がる恐れがあります」
自由でおおらかなはずの船旅に暗雲がかかり
私たちはしばらく萎縮しながら船内生活を送った。
そのころの心境を当時の日誌から引き写してみる。

アフリカ(ケニア)での体験はさらに強烈だった。人知を超えたむき出しの自然に出会い、これまで私を支えてきた何かが、崩れていくのがわかった。私が目にしたのは、血の色をした大地、燃える緑の木々、どこまでも続く平らで広い地平、泥でできた汚く小さな、小さな家々、ヤギや牛、私たちを乗せたバンに手を振る明るい笑顔の子どもたち、頭にポットを乗せ、水汲みに向かう民族衣装の女性たちである。そこには何もないのにすべてがあり、すべてがあるのに何もなかった。強大な自然に、なすすべもなく翻弄されながら自足し、満ち足りた人々がいた。 
私たちは、小さな車に乗りサファリーに向かうところだった。3時間半の長旅で、私は腹痛がひどく、おまけにマラリアの汚染地帯に行くというので、虫除けスプレーを準備し、蚊に配慮した暑苦しい服装をしていた。泥でできた、便所も水道もガスも電気も、部屋の壁さえない物置小屋のような家に生まれ、育ち、老いて死んでいく人は、いったい何を考えながら日々を生き、世界を眺めているのだろう、と窓外の景色に目を走らせながら考えたとたん、自分のこだわりが急に馬鹿馬鹿しくなった。
車で失禁しようが、バンを停車してもらい、同乗の女性たちに尻を見せて野グソをしようが、蚊に食われてマラリアになろうが、そんなことが何だというのか。この厳しい自然の中で生き抜いている人々に比べれば、私の悩みなど取るに足らないと思えた。私は大きな解放感を覚え、長袖のシャツを脱ぎ捨てた。下痢への恐れは消えていた。アフリカのむき出しの自然がにわかに親しく感じられ、想像もつかないほど美しく思えた。と同時に、この孵化したばかりの考えが、大気にあたりチリチリ震えるのもわかった。それが、私の知恵になりそうにないことも、心のどこかが感じていて、私の高揚した気持ちは、ほどなく挫折感に変わったのだった。


7年前の出来事を書き写しながら
私の心は大飯原発再稼動に意欲をみせる
首相の説明に向かった。
私たちの生活を守るために
原発を維持するというのであれば
私たちは無駄を目いっぱい享受した今の生活を
諦めるから原発再稼動を止めるようにと言うこともできる。

節電を求めるなら
連夜キャンドルナイトを楽しめばいいではないか。
ナイターは止めて明るい太陽の下で野球を楽しもう。
ビールは水道で冷やし
テレビを消して家族の会話を取り戻そう。

電気がなくても人は生きていける。
私がアフリカで感じたあの解放感は
今も私の心の中で息づいている。
便利を実現するだけが人生ではない。
すべてがあるのに何もない。
何もないのにすべてがある。

私にはこのような生活こそが
野田首相が押し付けようとする豊かな生活より
はるかに味わいの深い人生と思える。




 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。