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欧文フォントの力

フォントは書体のデザインが同じ
一揃いの活字のことである。
テキストやポスター、チラシを作る作業には
フォントとの付き合いが欠かせない。

デザイン性のある制作物ばかりでなく
学校の英語教材なども制作してきた私には
欧文フォントはなじみのはずであった。
ところが絵本に使われたフォントの力に驚いた。
このフォントには絵まで劇的に変える作用があった。


今回の絵本制作で私は文を書いただけで
レイアウトもデザインもノータッチである。
たとえば「ヘルベチカ・ライト」という名の
この欧文書体を選んだのは
デザイナーを担当してくれている元社員である。
写真で確かめてもらえばその効果がよくわかる。

絵本2
絵本1


この年になって人の職業選択なんて
つくづくわからないものだと思う。
自分が絵心のいる仕事をするなんて
思いもよらなかった。

私がポスターなども作る
「創造的な仕事」をしていると知って
母親は呆れ顔でこう言ったことがある。
「まあまあ、あなたは図工がいつも2か1だったじゃない。
小学校の1年生のとき 運動場の写生をしなさいと言われ
『何を書けばいいのかわからない』と言って泣いたの覚えている?」と。

確かに私は絵が下手であった。
いまもって絵は皆目ダメである。
それでもアートディレクターまがいのことを私はやっている。
もちろん絵コンテは描けず
○と□と△で形を示し
言葉でイメージを補足してコンテにする。
それでも何とかやっているのだ。

図工に限らず
私は学業が振るわなかった。
子供時分のある晩
夜中にふと目覚めると
隣の部屋で家族会議をしている気配があった。

ふすまの隙間から差し込む一条の光と一緒に
母親のか細い声が私の耳に届いた。。
「将来誰が拓雄の面倒を見てくれるの」と。
それに続く兄姉たちへの母親の説明は
驚くべきものであった。

どうやら私は知能指数が極端に低く
強度の近視であるばかりでなく
耳がほとんど聞こえないため
授業についていけないらしい。
だから誰かが世話をしてやらなければ
私は自力で人生を送るのはむずかしいようなのであった。

家族会議のその後は覚えていないが
私への接し方の変化から
長女がその役を引き受けたことがわかった。
次の日から姉は付きっ切りで
私の勉強を見てくれるようになった。

それと同時に耳鼻科に連れていかれ
私は何度となく耳の検査を受けさせられた。
昔の聴覚測定は笑うべきもので
離れたところに立つ看護婦が
小さな声で私にささやきかける。
「トウキョウ トウキョウ ナゴヤ ナゴヤ」という風に。
検査ではいつも東京か名古屋か大阪が使われ
たとえ聞こえていなくても口の動きでわかった。

というか私はとても耳がよかった。
なぜ耳が聞こえないと思われたのか
後年母親から聞かされた。
それは母や姉兄の呼びかけや質問に対して
私からの返事や反応がなく
いつも口をあけてぼんやりしていたのが理由らしい。

このようなときにある事件が起こった。
母親はピアノ教師だったので
ピアノの上に音楽家の小さな石膏像が飾ってあった。
そのシューベルトの顔に私はいたずら書きをした。
問い詰める母に私は平然と答えたものだ。
「まだ未完成やけど・・・」と。

家族全員が私の顔をまじまじと見つめた。
口の利けない子がはじめてしゃべった
とでもいうような驚きが誰の表情にもあった。
シューベルトの「未完成交響曲」にかけて
いたずらを「未完成」と釈明するなんて
この子は馬鹿でないのかもしれない。
彼らの心の声を聞けばこのようだっただろう。
安堵のためか場の雰囲気が和み
数拍遅れてみんなが笑った。
私も「テヘヘヘヘ」と笑った。
それから私は耳鼻科にも連れて行かれなくなったのだ。

私の学業はその後も不振を極めた。
何とか大学まで進学できたのは
一発勝負の試験に受かる運の強さにあった。
「運の強さは社会に出れば強力な武器となる」
ときに学生の就活セミナーの講師もする私は
今では厚かましくもそのように心得を説いている。

欧文フォントを話題にしながら
私はこのようなことを思い出した。
子供時代から続くこの支離滅裂な脱線振りが
家族をして私の将来を不安なものにさせたに違いない。

今日で4月も終わり。
時間の経過のなんと早いこと。
ゴールデンウイーク皆さんはどのようにお過ごしですか?
5月の半ばには絵本も完成する予定。
また経過を報告しますね
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5月5日 日本のすべての原発が止まる

5月の声が大きくなるにつれ
日ごとに寒さは遠ざかっていった。
もう暖を取る工夫をしなくてすむ。
昨夏から今冬にかけての
夏の暑さと冬の厳しい寒さを
私は冷暖房なしでしのいだ。
ほんの少し得意な気分である。

節電の最大値は前年比-71.4%。
月平均でも電気の使用量は
前年の30%強に留まった。
事務所も兼ねた3LDKの電気代が
月額で3000円程度。
かなりの節約である。

淡路島のログハウスには
中国人の研修生がよく遊びに来る。
3月の18日には37人。
翌週の25日には別のグループの4人が来た。

37人はUSJからの帰り道に立ち寄ってくれ
貸切観光バスで私の家にやってきた。
次週の4人組は3年間の研修を終え
4月末で帰国する研修生たちだった。
若い研修生たちは明るく活気にあふれ
素直でとても勤勉である。

彼らとは日本の生活について話すことが多い。
給与は研修生の間でばらつきがある。
一番安い賃金は時給670円。
多い部類の人間で月額16万円くらいの給与をもらう。

賃金の差は仕事の質によって生じたり
会社の方針による違法な低賃金であったりする。
670円の研修生は印刷工場での雑用係である。
高い賃金の者は機械工たちだ。
高いと言っても
日本人の学生アルバイトに満たない給料で
長時間働かされている研修生がほとんどである。
それでも彼らは屈託なく
不満を口にする者はほとんどいない。

帰国する4人のうち2人はカップルだった。
大連に帰ると彼らは結婚式を挙げる。
日本で働いた3年間で2人は300万円ずつ貯め
あわせて600万円で新居のマンションを購入するらしい。
双方とも毎年100万円預金した計算に驚き
彼らの生活ぶりをたずねると
女性は月に9000円、男性は15000円ほどしか
生活費を使わないと答えてくれた。

1日に300円~500円の質素な生活である。
話を聞きながら私は
ログハウスに来るたびに彼らが作ってくれた
手作りの料理を思い起こした。
小麦粉 野菜と安い肉。
それだけあれば彼らは時間をかけ
ボリュームたっぷりのおいしい料理をこしらえてくれる。
きっとそのような毎日を送った結果
300万円ものお金を貯めることができたのだろう。

彼らとの比較はおこがましい限りだが
節電を中心としたスローライフも
生活の中心にゆったり流れる時間を取り戻すことで成り立つ。

情報に振り回され 目新しさに幻惑され
わずかばかりの便利と安楽を追い求め
私たちは熟成に必要な時間を
時代遅れなものとして自身の生活から追放した。
それはちょうど小麦粉をこね
イースト菌が発酵するのを静かに待ち
それが火と出会うことで
パンになり パスタになり 餃子に形を変える奇跡を
非効率な調理法として生活から追い出す不毛と釣り合っている。

中国人研修生たちの生活ぶりは
質素と不便にもかかわらず
充実した豊かさで輝いている。
彼らの関心と喜びは
生活の細部の発見にあり
自然に根ざした工夫と共に生きることで
自国の文化と歴史とのつながりを実感する。

私にとって原発事故は
浪費と欲にまみれた
自分の生活を見直すいいチャンスとなった。
私は電気が使えないことで
何を失えば怖いか自問した。
ラジオ テレビ パソコン 電子レンジ
冷暖房機 コピー機 FAX 冷蔵庫
私は何がなくなっても
少しも怖くないことがわかった。

大飯原発の再開をにらみ
関西電力は夏のピーク時に
15%電力が不足すると脅しをかけている。
日本経済の減速やら 集団自殺やら
脅しは彼らの常套手段である。

自分の生活から便利さと快適さが消え
不自由で非効率的な日々が待っていようと
私たちは少しも怖くはないと覚悟を決め
電力会社と向き合えば
この手の脅しは通じなくなる。
必要なのは小さな小さな腹のくくり方だけだ。

スローダウンには喪失した別の豊かさが
私たちの回りで蘇る利点だってある。
GNPがはるかに低い国であっても
本質的に日本より豊かな国は
地球上には掃いて捨てるほどある。
私たちが目指すべきはそのような国作りではなかろうか。

5月5日 日本のすべての原発が止まる。
子供の日にそれが実現するとは象徴的である。
現在と未来の子どもたちへの大きなプレゼント。
できることならそのまま
いつまでも原発が止まっていてほしい。

アップル社のスティーブ・ジョブズ氏は
今日が人生の最後の日だと考えれば
何をなすべきかがわかるとのメッセージを残した。

電力の場合で言えば
もし一つだけ電化製品を使うなら
何を利用したいか考えることだ。
そうすれば本当に必要なものが見えてくるはずである。
真夏にビールを冷やす冷蔵庫。
とりあえず私の答えはこれかな???


 

奇跡の木

ひょんなことから
絵本を作ることになった。
きっかけはブルースシンガーの
小林万里子さんだった。

震災1周年にあたる3月11日に
私たちはハーメルンPJジョイントチームの
パーティーを開くことにしていた。
バンドを入れてにぎやかな会にしたいと思い
ログハウスの常連客である友人に相談すると
小林万里子さんを推薦したくれた。

ジャパニーズブルースの名曲
「朝起きたら」は私が大好きな曲であり
その替え歌を私は自分の持ち歌にしていた。
長年の万里子ファンの私にとって
彼女の紹介は願ってもないことであった。

待ち合わせ場所は梅田の居酒屋。
はじめての店である。
有機野菜を使った料理はおいしく
きさくな女将のサービスも申し分ない。
その好環境の後押しがあったためか
小林万里子さんは交通費にもならないギャラで
淡路島のパーティーへの出演を快諾してくれたのだった。

料理と女将の人柄に惹かれ
店は常連客で繁盛していた。
暖かい雰囲気ながらベタベタせず
店と客 客同士の間に流れる
涼風のような絶妙の距離感が
私には居心地がよかった。
客の1人が問わず語りに
店の文集について教えてくれた。
酔って店を出るころには
ハーメルンPJジョイントチームへの寄付を条件に
私は次号の文集への執筆を約束していた。

締め切り直前になって
編集を担当する女性に
私は原稿を送った。
彼女はコピーライターのようだった。
原稿受け取りの返事をくれた彼女は
次のような感想を添えてくれていた。
「私は現在あるオフィスに出張勤務中ですが
仕事の合間に木田さんの美しい作品を校正するのは
心が癒されます」と。

ものを書く人間にとって
「美しい作品」というのは
最高のほめ言葉である。
彼女からこのようにおだてられなかったら
私はこの作品でチャリティー絵本を作り
寄付金を集めようとは思わなかったろう。
それは陸前高田に残った
1本の松の木を題材にした作品で
「奇跡の木」というタイトルをつけた。

私はこの原稿を
イラストレーターとデザイナーに回して
一緒に絵本を作らないかと誘った。
イラストレーターはこのブログで
何度となく取り上げた藤井一士さんである。
デザイナーは私の会社の元従業員。
彼女の正確かつプロ意識に徹した仕事は
私たちの奔放を呼び出しつつ
それが放縦に流れるのを防ぐ
なくてはならないものであった。
2人は二つ返事で引き受けてくれた。
かくして私たちの絵本作りがはじまった。

スタートと同時に
私は英語バージョンの必要を感じた。
「奇跡の木」は日本に限定せず
世界に向けて発信するべきだ。
それが私をとらえた思いだった。
幸い私たちのチームには英語に強いスタッフがいた。
彼女はアメリカの大学で勉強したほか
6年におよぶアメリカでの生活があった。
またチームの事務局長は英語を解し
IT技術の知識と経験があった。
彼らも加わることで絵本プロジェクトは
オールジョイントチームの趣で進むことになった。

視覚化した自分の作品を1日も早く見たいと願いながら
デザイナーとイラストレーターの集中力を削ぐことを恐れ
私はそれを言い出せずにいた。
先週の金曜日の打ち合わせで
デザイナーがそれをはじめて見せてくれた。
下の写真がそれである。

絵本

この絵本はwebで公開・販売し
書籍化して書店でも販売の予定である。
web上で売るのは英語バージョンのみ。
日本語の絵本は書籍で購入してもらう。
書籍化に際しては会員を募り
本が出来上がれば全額を寄付するつもりでいる。
これからさまざまな形で
絵本の情報を出していくことになる。
web版の購入および会員登録について
皆さまのご協力をお持ちしています。

この写真は絵本の冒頭であるが
それは次のようにはじまる。

私は多くの土地を旅した。
それぞれの地で数知れず木を見た。
私の記憶に残っているのは
森でも疎林でもなく
街路樹のように整然と立ち並ぶ木でもない。
根を張った土地の精を吸い上げ
ゆっくりと成長した孤木である。

タンザニアでは風にたわんだ1本の木を見た。
一面枯れ草の大地には赤茶色の道ができ
キリマンジェロの山腹にそれは吸い込まれていた。
遠目には孤立した木のようだったが
近づくと細くしなやかな幹に寄りかかり
枝が作る陰で陽射しを避けている
上半身裸の青年が木とひとつになっていた。
青年の褐色の体は木肌との境目をなくし
背中の湾曲は木のしなりとかさなり
1本の木 すなわち1人の青年だっだ。
青年と木以外地に生命はなく
高い空を雲が1つ横切った。


webページの公開は
5月半ばの予定。
乞うご期待!!!
よろしくー

不運な時と 不運な場所で

時間ができたので
日曜日に映画を見に行った。
イラク侵攻を題材にした「ルート・アイリッシュ」
ケンローチ監督のイギリス映画である。

2010年に制作されながら
買い手ががつかなかったために
2年たってようやく日本公開の運びとなった。
もったいない。
もっといいタイミングで見たかった。
間違いなく本年上半期のNO1の秀作なのに・・・。

題名の「ルート・アイリッシュ」はバクダッド空港と
市内の米軍管轄区域「グリーンゾーン」を結ぶ全長12キロの道路名。
侵略をもくろむ諸外国のイラクへの入り口であるため
テロリストが跋扈する国内でもっとも危険な道である。

映画はイギリス兵士の死を巡って展開される。
彼は国軍ではなく民営化された戦争請負企業の兵隊である。
同じ兵士で親友の主人公は友だちの死に疑問をもつ。
なぜ親友は危険な「ルート・アイリッシュ」を
会社の命令によって1日に何度も
往復しなければならなかったのか。

彼は遺された携帯電話を手がかりに
死因を求めて奔走する。
親友は殺害されたのではないかとの追求に
会社の首脳陣は同じセリフを繰り返す。
「不運な時と 不運な場所で」と。
つまり彼は会社が殺したのではなく
「ルート・アイリッシュ」上で不運が重なり
テロリストの犠牲になったと言い張る。

イラク戦争における軍隊の民営化のむごさ
巨悪に対する市井の臣の無力
戦争の無意味などを描きながら
主人公と死んだ兵士の恋人との
残されたもの同士の悲しい恋を描いた作品でもある。
近年珍しい悲恋の傑作と私には思えた。

「ダモクレスの剣」という故事がある。
富と権力と女性を集めた王座は
贅沢三昧 望むことが何でもかなう
夢の場所とうらやみ ねたむ臣下がいた。
あるとき王はその家臣を王座に招き入れてやる。
家来がふと上を見ると
今にも切れそうな細い羽毛に支えられた
鋭い剣が目に入った。
王座の見た目の華麗と贅沢は
いつ剣で命を落とすかしれない恐怖と
一対のものだと王は示したかったのである。

この故事を有名にしたのは 
ジョンFケネディーの演説かもしれない。
1961年 国連で核の廃絶を訴え
ケネディーはこのように結んだ。
「老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。
世にも細い糸で吊るされたその剣は、事故か誤算か狂気により、
いつ切れても不思議はないのだ」と。

それから奇しくも60年後の2011年
「事故と誤算」により起こった福島原発事故と
1年たっても収まらない被害の実態は
まさしく私たちの頭上にある「ダモクレスの剣」
と呼ぶにふさわしい。

政府がどう説明しようが
1号機から4号機までそれぞれが問題を抱え
収束の道筋はどこにも見えない。
とりわけ4号機の燃料プールには
1535本もの燃料棒が保管されている。
爆発で致命的な損傷を受けた4号機は
その燃料棒を閉じ込める圧力容器も格納容器もない
燃料棒はむき出しの状態で水中に保管されている。
起爆装置のついた原爆が道路に置いてあるのと
ほぼ同じ状態なのだ。

マグニチュード7程度の地震が起き
物が落ちたり 建造物が倒れ掛かったりして
プールが損傷すれば
燃料簿は燃え出し、連鎖的に爆発し
覆いのない4号機からは
広島の何百倍もの放射能が飛散し
やがて私たちの頭上に降り注いでくるだろう。
福島原発4号機のボロボロのプールは
剣を支える羽毛ほどの力もない。

私たちにとっても 政府にとっても
「ダモクレスの剣」の落下を防ぐ方法は
大きな地震よ起きてくれるなという神頼みしかない。
なんという無責任 なんという国家なのか。

政府は大飯原発の再稼動の方針である。
4号機がもたなければ日本はアウトである。
今再稼動を決める余裕が日本のどこにある。
日本の総力を上げ全経済力と技術力を集中させ
福島原発の損傷を修復する以外に
私たちが安心して生きれる道はない。

この先もし4号機などで致命的な事故が起きれば
政府 政治家 技術者 学者 電力会社は
映画の中の民営化された戦争請負企業の幹部同様
「不運な時と 不運な場所で」とでも言い訳するのだろうか。
日本という国土 長い歴史と文化
私たち民衆の生活と良き習俗 
昨日と明日の大切な営みが
そのような言い訳で葬り去られてたまるものか。

アウトソーシングされた戦争の類比で言えば
東電の作業員たちの多くは派遣労働者である。
おそらくは数千人規模で命をさし出しながら
彼らは事故の収束にあたっているのだろう。

もし彼らが待遇の改善や労働者の増員
彼らの人権の尊重 
政府や東電の事故に対する責任を求め
一斉に職場放棄をすれば
それだけでも日本は成り立っていかなくなる。
彼らの貴重な労働も
私たちにとっては「ダモクレスの剣」である。

もっと現場で働く労働者に尊敬の念をもとう。
彼らの労働を励まそう。
彼らの待遇改善のためにも東電の雇用の不正義を追求しよう。
「不運な時と 不運な場所で」
このようなセリフで日本の滅亡を説明される前に
私たちには打つ手があるはずである。 


 

BARで行こう!

関西ではBAR(バル)による町おこしが
ちっとしたブームである。
私が住む西宮でも
3つの地域が今年BARを予定している。

地域の飲食店が結束して地縁を祝い 
地元通貨となる共通券を発行し
さまざまなイベントを開き
1日を楽しく過ごそうというのである。

BAR(バル)はスペイン風居酒屋のこと。
スペイン語では確か「バール」と発音したはずだ。
7年前に地球を1周する旅に出たとき
私はスペインのグランカナリア島を訪ねた。
そこは氷河ができなかった火山島で
そのため固有の生物種が豊富なところである。

現代彫刻を思わせる複雑な地形と高い空
透明な常春の陽射し
長い 長い海岸線をもつ海が魅力の
リゾートアイランドだった。

白波を蹴立てて押し寄せる波は
モロッコからくると聞かされ
映画「カサブランカ」の好きな私は
ロマンをかきたてられたものだ。
女性の豊かな胸元のように
弧を描いて続く海岸線にそって
多くの店が建ち並らび
私はその中から1軒を選んで店に入った。
それが私のスペインBAR初体験だった。

ドイツからきた学生たちと仲良くなり
スペイン料理を堪能し
赤ワインを数本飲んだ。
アンチョビポテト ブロッコリーのトルティージャ
タコのマリネといわしの酢漬け。
波の音と夕日と共に味わった料理はうまく
私はすっかりBARファンになった。

2年前に大学町の甲東園で
甲東園バルが開かれると知って
私は地元の大学生協を紹介したことがある。
それがうまくいったためなのか
この「甲東園BAR」の中心メンバーである
タイ料理レストランの若い女性経営者が
今年のBARを開催するにあたって
魅力的な提案をしてくれた。
「展示スペースを確保したのですが
ハーメルンプロジェクトジョイントチームで使うなら
何かイベントをやっていただいていいですよ」と
そこで私はイベントを企画することにしたのだ。

いろいろ考えた末に
3人の女性にお願いする運びになったのは
グランカナリア島のBAR での甘美な思い出が
心のどこかでざわめいていたからだろう。
イベントのタイトルは
「3人の女性3様の今・ここ・この瞬間
-福島の子どもたちに心をよせて-」とした。

3人の中でもっとも古い友人は
墨象画作家である。
彼女は墨とふるさとの温泉水を使って抽象的な絵を描く。
たまたま北兵庫の豊岡で個展をする計画があり
それをⅠと位置づけⅡをやってもらうことにした。
「墨・旅する水-小さな個展から福島の子どもたちへⅡ」
これがイベントでやる個展のテーマとなった。

陶芸家の友人は3人のうちでもっとも若い。
奇しくも私の息子と同じ年。
しかし住まいが近いためなのか
接触はもっとも密である。
福島の被災者にメッセージカップを作ろう
と言い出したのは彼女である。
「陶芸を通して福島への愛のメッセージを」
参加者は色と言葉を使って
このテーマを焼き上げる。

有名なラジオのパーソナリティーである彼女とは
阪神大震災が縁で知り合った。
彼女は今も在阪の放送局で
「ネットワーク1・17」という番組を続けている。
彼女のイベントのテーマは以下である。
「地震・津波そして原発事故-被災地の今と明日」
最近東北各地を取材したばかりの彼女には
被災地の情報の状況をレポートしてもらうと共に
「ハーメルン・プロジェクト代表」志田さんに
インタビューをし対談をやってもらう。

主催は私たちジョイントチームだけれど
西宮市が共催にしてくれたおかげで
このイベントはメディアの取材が相次いだ。
日本海新聞 神戸新聞 朝日新聞 ラジオ関西
4月14日 10時~18時の予定で
イベントは開催される。
3人の女性たちのパフォーマンス・アートに加え
「不屈の研究者」小出裕章さんの新刊を販売し
私たちのTシャツだって売るのだ。
キックオフパーティーに続くビッグイベント。

西宮・神戸・大阪の方々は
ぜひ甲東園BARにお越しください。
私たちも精一杯奮闘し寄付金集めに励みます・・・。

バル

 

「モモ」の時間

ドイツの児童文学者
ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだのは
確か1980年代である。
息子も娘もまだ小学生だった記憶がある。

「モモ」に登場する「致死的退屈症」という
架空の病気を一昨日の夜突然思い出した。
場所は大阪十三の「第七藝術劇場」。
「維新の会・橋下徹と大衆、メディア」をテーマに
パネルディスカッションが開かれていた。

「致死的退屈症」は
慢性的な空虚感 ふさぎ、情緒不安定
社会的無関心 感情の冷たさなどを特徴とする
ある種の精神疾患である。
これらは現代人の典型的な症例であるが
なぜ討論会の場でこのような想像に囚われたのか。
私はかなり正確にその跡をたどることができる。

登壇したゲストスピーカーは
テレビ報道局のデスク 教職員組合役員
映画作家 フリージャナリストである。
聴衆の中にも同業者が多かったとみえ
橋下市長のメディア対策の巧みさと
対抗する労組や市民運動家の無策が
繰り返し論じられた。
舞台と客席でのやり取りを聞きながら
私の頭には「時間」というキーワードが
低く鳴り響いていた。

知ってのとおり児童文学の「モモ」は
「灰色の男たち」によって奪われた「時間」を
主人公のモモが取り戻し
自分らしさを見失った人々を
救うというストーリーである。
幸せを削り効率的に時間を使えば使うほど
町の人々の生活は貧しくかつ画一的になるばかり。
そのような人々の間に蔓延するのが
「致死的退屈症」である。

「致死的退屈症」は子どもの間にも広がっていく。
子どもたちは時間を奪われ
「役に立つこと」だけを覚えさせられる。
その結果彼らは多くのものを失う。
「楽しいこと 夢中になること 夢見ること」など・・・。

この殺伐とした子どもの情景は
橋下改革のめざす未来に限りなく近い。
橋下市制を巡る対立は
効率的な「時間」を守り育てるのか
その対極に思い描かれる「時間」なのかと
私はとらえ直してみたのだ。

効率の対極にある時間とは何か。
物語「モモ」の中からそれを探せば
「時間の国」の主マイスター・ホラが説く
「言葉が熟すには時間がかかる」がそれに当たる。
討論会のやり取りにおいても
実は同種の問題が提起された。

会場で発言したテレビ局関係者は
ドイツの元特派員であると自己紹介した。
彼はドイツでの経験を次のように語った。
「ドイツの社会科の教科書ではナチスについての記述が
60ページ以上ある。彼らは過去の過ちにそれほど時間をかけて目をむけ 
今もそれは続けられている。
日本はドイツのように本気で過去と向き合わなかったことが
現在のような事態を招いているのではないか」と。

この発言内容は私の考える対極の時間にきわめて近い。
日本はその時間を育てることに失敗した。
あるいは挫折した。
「言葉が熟すには時間がかかる」とは
文化や歴史 教育に流れる時間の困難にほかならない。
それは経済効率や金銭的価値とは
まったく別の次元に構築されるべき時間であった。

経済活動が効率を追求するのは当然である。
しかしながら日本では金を増やすことが
個人の人生と社会の唯一目的となったために
効率が日常生活の隅々までを支配し
教育 人間関係 文化活動 余暇や子育てまで
その価値観で被いつくされてしまった。

効率の対極にある時間については
主人公モモの設定を通して見れば
さらに鮮明なイメージとなる。
モモは浮浪者のような身なりをした
小学生くらいの女の子である。
彼女は親も兄弟もなく
1人で大昔の円形劇場に住みついている。

モモはたとえば橋下市政においてなら
何の価値もない人間として排除されるだろう。
特技は黙って人の話を聞くこと。
モモに話を聞いてもらうと人々の心はなごみ
自分の考えが整理でき
解決の道筋が自然に見え
自分らしさを取り戻す。

モモが解決策を出すのではなく
ただ黙って人の話を聞くのは
「言葉が熟すには時間がかかる」ことを
彼女は知っているからであり
それは文化や歴史が成熟に要する時間と同義である。

私たちはモモにならい
効率とは無縁の位置に立ち
じっくりと歴史に耳を傾け
金儲け以外の文化的 歴史的価値を
市民生活に根づかせるべきであった。
それに失敗したからこそ
バブルに踊り 株価に一喜一憂し
土地を転がして一財産作り 
マネーゲームに走り
子どもの教育まで投資の対象にするような
現在の日本を作るにいたったのである。

作者自身の手になる「エンデの遺言」には
「モモ」についての言及がある。
作中で語られた「時間」は
金が金を生む現代資本主義そのものであり
そのシステムへの疑問を呈するのが
「モモ」の執筆動機だ述べられている。
であるとするなら
「時間」を軸にして大阪市の動きを見ることは
それほど的外れとも思えない。
橋下問題とは経済的価値を生むか否かで
人を評価することへの異議申し立てと
言えるのではないだろうか。

戦後一貫して続くドイツのナチズムの検証と
同種の活動を日本で探せば
「悪名高き日教組の平和教育」に行きつく。
彼らの理念や方法 やり方などに
数多くの疑問があるとはいえ
その活動は未来をはらむ可能性があったわけだ。

彼らが効率的経済価値から
どこまで自由であったかわからないが
彼らの歩みの遅さ 暗さ 重さを時代遅れとして排除し
結果的に右翼と歩調を合わせ日教組を葬ったことは
歴史の皮肉としてであれ
覚えておくべきだと思う。



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