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シンプルライフからスローライフへ

ここ数日寒さがゆるんだ。
今冬もっとも苦しかったのは
20日から22日までの冷え込みである。
先週日曜日顔に火傷をし
翌日の月曜日には風邪を引いてしまった。
ここから数日は体が弱ったためもあり
寒さがことのほか身にしみた。

様々な悪条件が重なり
このところ映画を見に行けていない。
その不満は小型DVD再生機をベッドに持ち込む
ベッドインシアターで解消している。

最後に映画館へ行ったのは
確か2月の初旬である。
そうかーそのあとすぐに
入院騒ぎがあったのだ。
映画を見られてなくて当然かー。

初旬に見た映画は「地球にやさしい生活」である。
ニューヨークの5番街に住む
コリン一家の生活を追ったドキュメンタリーで
NO IMPACT(地球にやさしい生活)を目指す彼らは
ニューヨークのど真ん中で
ゴミなし 車なし テレビなし 電気なし
1年間は新しい買い物をしない生活を送ることを決意するのだ。

彼らの生活は
私の耐寒生活よりはるかに厳しい。
洗濯機の利用をあきらめた結果
洗濯はバスタブでふみ洗をやる。
ゴミを出さないためには
家でミミズを飼って生ゴミを処理するしかない。
車を売り払い自転車で通勤をし
もちろん冷暖房などもってのほか。
地元の食材だけを使った料理は
おいしいけれどきわめて簡素。
このような実験をすることによって
彼らは人間にとって
何がどのくらい必要なのかを
知ることになる。

阪神大震災で私は
4キロの洗濯をするのに
どれだけ多くの水が必要か
身をもって知った。

断水のために私は
600メートルばかり離れた
農業用水を汲みに行くしかなかった。
台車に水を乗せ
友だちのマンションまで運び
エレベータが動かないため
それを5階まで運び上げた。

洗ってすすぐ1回の洗濯で
私は農業用水のある畑と
5階の部屋の間を何回往復しただろう。
このときに私は
人間にとって必要な1日の水の量
という問題にぶち当たった。
それが契機となり
私は本と服を除くすべての持ち物を
1つだけにするシンプルライフをはじめたのだった。

東日本大震災が起こり
原発事故に見舞われ
私はいやでも電力に向き合わざるを得なかった。
私たちの生活の中で
本当に必要な電力はどれくらいなのだろう。
このような問いを抱えてはじめたのが
耐暑・耐寒生活であった。

私の手元に
「電気使用量のお知らせ」がある。
1月13日~2月9日までの使用量は138kwhである。
前年比-71.5%(前年485kwh)。
私にとってはこれが
絶対に必要な電力である。

2月8日に腸閉塞になり
今度は食べるものと
食べ方に関心が向かっている。
これまでの私は
早食いかつ大食いであり
ついでに大酒飲みでもあった。

退院に当たっての医者からの注意は
野菜中心の食事に切り替え
よく噛んで食べることであった。
私は軟らかいものも硬いものも
ひたすら噛む。
耳をすまして噛み続ける。

酒も同様でゆったりと口に含み
口内で酒を転がして味わってみる。
野菜からも酒からも
ガツガツしていたときには聞こえなかった
素材たちのかすかなつぶやきが伝わってくる。

うーん これがスローライフなんだ。
思わず私はそうつぶやく。
何かが制限されるたびに
それを補うように
退化しつつあった感覚が蘇ってくる。
それによって私は年相応の
深みのある生活を発見する。

すべては楽しい。
不自由にはどこかで
埋め合わせが用意されているものだ。
もっと広く もっと豊かに もっと密かに
もっとかすかに もっと味わい深く
もっと根源的に もっと親しみのある何か。
私はそのふれあいを今日も楽しむ。


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キックオフパーティー


災い続きの2週間である。
2月8日  腸閉塞で入院
2月14日 無事退院
2月16日 パソコンつぶれる
2月19日 熱々のスープが顔にかかって火傷
(医者によれば全治1ヶ月)
2月20日 風邪を引く

よくもまあこれだけ不運が続いたものだ。
しかしながらいずれも
本来ならもっとひどいことに
なりかねない変事ばかり。
「不幸中の幸い」
この言葉通り私は
かろうじて不幸をかわした。

スープで火傷したことを例にしよう。
日曜日の朝
私はパンスープを作ろうとしていた。
タマネギ ニンジン ジャガイモ ベーコンに
ちぎったフランスパンを入れ
1時間ばかり煮込んだ。
いかにも日曜の朝らしい
暖かないい匂いだった。

量が多すぎて粥状になるのに時間がかかった。
私はミキサーを使い先を急ぐことにした
ここで事故が起こった。
熱いスープをミキサーにかけることが
どれだけ危険か私は知らなかった。
スイッチを入れると
フタを押さえていた私の手を跳ねのけ
スープが吹き上がり
私の顔はそれで洗われたのだった。

幸いなことに
私はメガネをかけていた。
そのレンズが防護役となり
やけどの範囲は
眼と眼の間 鼻柱だけですんだ。
眼球は火傷を免れ無事だった。

私個人のこのような不運にもかかわらず
福島ハーメルンプロジェクトジョイントチームは
3月11日のキックオフパーティーに向け
着々と前進を続けている。

キックオフパーティーは
お披露目であるのだから
メンバー紹介は欠かせない。
パーティーに先立ち
どのようなメンバーが
ジョイントチームを支えているのか
簡単に伝えたいと思う。

チームは以下のメンバーで構成される。
コアメンバー 準コアメンバー
スペシャルメンバー 賛助会員。
とは言っても今のところ
コアメンバーとスペシャルメンバーしかいない。

コアーとスペシャルを合わせた男女構成は
男性が7名 女性が6名である。
年齢構成は次の通りだ。
30代 2名 40代 5名 50代 5名 60代 1名
平均年齢にするとギリギリ40代というところか。

職業別に見ると
雑多な人間の集まりであることがよくわかる。
まずスペシャルメンバーの2名は
イラストレーターとデザイナーである。
ほかに料理人1名 教材会社経営者1名 
プロモーション会社経営者 2名 大学講師 1名
IT関連技術者 1名 マスコミ関係 1名 
大学生協職員 1名 市役所職員 1名
レストラン経営者 1名 それに私である。


キックオフパーティーは
メンバーの拡大を目指して行われる。
私たちの強みは
料理人をメンバーに抱えていることだ。
会員制高級ホテル「エクシブ」の料理人の技を生かし
飲茶料理がこのパーティーでは振舞われる。

チャリティー演奏をしてくれるバンドは2組
1組は異色の女性ブルースシンガーとして
関西で多くの隠れファンもつ
小林万里子さんとギターリストの鷲尾さん。
サザンの桑田佳佑もカバーした
名曲「朝起きたら」で今年の「紅白」を狙う
小林万里子さんをライブで聴くことができる。

もう一組はチームのスペシャルメンバーで
ポスターやホームページ、Tシャツの
イラストを描いてくれている藤井一士さん。
楽しみなのは久しぶりに
「天才少年」の息子さんとの父子競演が見られることだ。

たぶんこのパーティーにも来てもらえる
福山在住の女性棒術師の師匠は
不運が重なったときには
高い場所から踵で着地すればいいと教えてくれた。
「ドーン」と落ちれば
頭のてっぺんから不運は逃げていくそうだ。
私も近々飛び降りてみよう。

ジョイントチームのキックオフパーティーは
誰でも参加が可能である。
会費はわずか3500円(この一部が支援金となる)。
パーティーを楽しむのには
清水の舞台から飛び降り
踵で着地するような勇気は要らない。
だから参加希望者は気軽に
ホームページで問い合わせてみてくださーい。




朝起きたら・・・

パソコンが壊れた。
前夜まで何事もなく動いていた。
朝インターネットにつなごうとすると
アクセスできないとメッセージがでた。
メールは3つのアカウントのうち2つを残し
「ホストが見つかりません」との表示である。
どうなっているのか?
なにやら既視感がある。
そうだ腸閉塞騒ぎの再現だと気づいた。

2月8日 
新大阪の駅で苦しみながら
救急車で運ばれるさなか
治療してくれる医師を前にして
何度となく心をよぎったのは
「前の日まで何にもなかったのに 朝起きたら・・・」という
突然見舞われた異変への
戸惑いとも憤りともつかぬ心の揺らぎであった。
パソコンの故障はほぼ同じ軌跡を描いて出現した
予期せぬ不運の第二幕だった。

修理にきてくれたエンジニアは
原因をつかみかねた。
なぜならネットワークで結ばれた
隣の部屋のパソコンは
正常に作動し
私のパソコンの方は
本体から枝分かれした個人のアカウント1本だけが
生き残ったからである。

本体のドメインはcozmo@rc4.so-net.ne.jpである。
私のパソコンのネットワークは
これを基幹にして4つに枝分かれしている。
私個人のアカウントはkida@cozmo-world.co.jp。
本体が機能不全にもかかわらず
なぜこの抹消の1本が残ったか
それがなぞであった。

原因を捜し求めるエンジニアは
さながら医師であり 看護士であり
診療放射線技師であり 臨床検査技師であった。
彼は「S字」や「くの字」「直角」に曲がった
柔らかいネットワークの腸管を探り当て
X線や超音波に擬したコマンドを駆使して
閉塞箇所を突き止めようとする。
原因さえわかれば
狭くなった腸を広げるのか
手術が必要なのかの治療方針が立つ。
私の目には彼の奮闘振りが
医師たちの懸命な治療の姿と重なった。

3時間ばかり苦闘して彼は最後の手段を示した。
「3日前のシステムに戻したいのですがいいですか」
私の耳にはこの提案は魅力的に響いた。
最新のDVD録画装置などがそうであるように
不可逆の時間を巻き戻すことは
ある意味人類の見果てぬ夢でもある。
私にあてはめれば腸閉塞にかかる前の
2月7日の幸せな夜の時間に戻る甘美が
この言葉にはあった。

私は喜んで賛成をした。
キーボードを叩き パソコンを操作し
彼は時間を逆行させようとする。
目の前で演じられる「BACK TO THE FUTURE」だ。
私は息を殺し彼の手際を見守った。
はたして3日前への遡行は失敗。
修理は不可能と宣告された。

エンジニアはパソコン本体に手を置きこう言った。
「ネットワークって見えないですからね」と。
彼の言葉によって私は不意に
腸閉塞とパソコンの不具合という私的事情が
社会的諸課題へと結ばれることに気づかされた。

私たちは日常的には脳や心臓 腸などを
自分の目で見ることができない。
その機能となればなおさらである。
同じように私たちの日常生活を成り立たせている
コンピュータネットワークシステムは無論のこと
パソコンの仕組みも
私たちにとっては手探りもできない
ブラックボックスである。

福島原発事故が起こったとき
放射能は見えないし 匂わないし 
さわれないと私たちは恐れた。
しかし見えないものは放射能ばかりでなく
現在の社会システムを築き上げる多くのものと
それを受容する私たちの身体機関も
見えず 触れずを本質とする限りにおいて同じである。

そのため「朝起きたら・・・」という現在的な不意打ちは
不可視のものの支配によって起きることとなる。
私の気づきとはこのようなものかもしれない。

そう言えば「BACK TO THE FUTURE」のタイムスリップは
核爆発をエネルギー源として行うのだった。
福島原発事故を経験した今となっては
この設定にも何かの暗号が隠れていそうな気がする。

入院騒ぎ

驚いた。
2月8日の水曜日
新幹線で東京に向かおうとしたが
腹痛がひどくて立っていられなくなった。
前夜から調子は悪かったのだけれど
その日は取材の仕事があった。
穴を開けるわけにはいかない。
這ってでも行くと自身に言い聞かせ
新大阪まで来た。

さすがにそれが限度であった。
間歇的に起こる腹痛は
これまでに経験したことのない痛みである。
仕事の依頼先に取材の延期を訴え
タクシーを飛ばして家に戻った。
車中にあっても激痛が続いた。

よくやくベッドにたどり着いても
腹痛が収まるわけではない。
近くにある病院の
午後の診察時間まで2時間近くあった。
私はベッドでひたすら耐えるつもりだった。

東京にいる息子から
「そんな痛みは普通ではない。
こっちから電話して救急車に行ってもらうから」と脅された。
説得の輪に友人も加わり
結局私は救急車で市民病院へ運ばれた。

今となれば何もかもよかった。
あのまま東京に行っていれば
命がなかったかもしれない。
あったとしても
名古屋あたりで新幹線は緊急停車し
救急車を呼んでもらう羽目になっただろう。

息子と友だちの言うことも聞いておいてよかった。
救急車を呼ぶのがもう少し遅ければ
手遅れになったかもしれないのだから。

診断は腸閉塞だった。
なんとまあ。
明瞭な意識もなく
人ひとまかせ 風まかせで受けた診療を
明細書で辿れば次のようになる。

胃・十二指腸ファイバースコピー
点滴注射
胃持続ドレナージ・胃管カテーテル
血液検査
尿・糞便など検査
生化学検査
呼吸機能検査
心臓超音波検査
頚部血管超音波検査
コンピュータ断層診断
腹部単純(3回)
腹部CT撮影
胸部単純
大腸造影
小腸造影


治療と並行して
手術への準備も着々と整えられた。
私の腸閉塞は
半世紀ばかり前の盲腸の手術跡が
癒着を起こして閉塞を招いたという見立てである。
最悪の場合閉塞箇所切り取り
つなぎあわさなければならない。
そのための「手術説明書および同意書」
「麻酔説明・承諾書」に私はサインをした。

いつ手術の宣告があっても
おかしくない状態での治療が2日続き
10日を迎えて事態は大きく動く。
どうやら腸の閉塞は一時的で
開腹手術をしなくても
普通の生活が出来るかもしれない
と医者に告げられた。
なんとラッキー。
かくして7日間の入院ののち
14日の午後に無罪放免となったのである。

この間8日から10日までは絶飲食。
11日から食事が許され
食事をしてはレントゲンで
食べ物の大腸への到着を確認した。

腸閉塞は再発をしやすい。
食事に気をつけて生活をしなければならない。
これが退院に当たっての
医師からの注意事項だった。

私はそれを守り
超スローペースで食べ物を噛み
またゆっくりと飲み下す。
それでも昨晩の家に戻っての最初の食事
私はワインを一杯飲んだ。
もちろん「酒とバラの日々」の再開とはいかない。

このような食事を何度かするうちに
私の中で何かが変わりつつある。
時間に関する何か。
あるいは人生にまつわる何か。

私は耳をすまして食物を噛む。
私の中でゆっくり過ぎる生理的時間は
たとえば地球の自転のスピードを
光ファイバーを利用して超えることで
儲けを生み出す投資的時間の対極あるものだ。

まだその実体はつかめない。
だけど私はゆっくりと過ぎる何ものかに
しばらく注意を払っていようと思う。

というわけでブログ再開!
2月に入って2度目の更新。
今日はそれを祝って焼酎でも飲もうか。

日日是進歩

昨日今日は寒さも特別である。
部屋の中でさえ吐く息が白い。
それでもノー暖房生活は快調である。
日々是進化と言っていい。

低温火傷のために
利用を控えていた湯たんぽを
今ではフル稼働させている。
というか湯たんぽがなければ
NO暖房生活は成り立たない。

使用当初は
それをどこに置くかで
試行錯誤が続いた。
足元 膝の上 背中 腰
今では腰が定位置である。

医学的根拠があるのかもしれない。
腰を温めると
熱が全身に行き渡る。
おまけに腸まで頑健になる。
この先湯たんぽだけで
冬を乗り切ろうと考えている人には(そんなヤツいないか?)
腰カイロは絶対お勧めである。

服に関しては
上半身の進歩が下半身に追いついた。
一番下に毛を着たことで
コーディネートが完璧になった。

よほど寒くない限り室内は3枚で大丈夫である。
順序が大切なのだけれど
まず毛の下着をつける。
その上にフリースを重ね
最後にフード付のアウターを着込む。
羊毛・フリース・フード付のアウター
この順序は変えないほうがいい。

私が下着として愛用しているのは
季節外れに安く買った(確か3999円)
ユニクロのメリノーカシミアのセーター。
ユニクロの回し者ではないけど
これはすぐれています!

昨日今日のように
寒さが厳しい日にはプラス
ネックウォーマーをつける。
マフラーと違って
活動の邪魔をしないので
仕事中の首保温対策はこれがベストだ。

もうひとつの進化は
ランニングコースの変更である。
私のマンションは
短い廊下を挟んで
2つの部屋が向かい合っている。

玄関に向かって左が資料部屋
右が寝室である。
コースは玄関に達する直前に
右へ鋭くカットを切り寝室に入る。
そののちベッド沿いのコースを数歩で往復し
出発地点へと戻るように変更した。
これによって距離が伸び
運動量が格段に増え
体がいっそう温まることとなった。

最後の進歩は
ポータブルDVDプレーヤーの活用である。
暖房のない家での風呂は
湯冷めを避け早々にベッドへ逃げ込む。
早い日には7時 8時には床につく。
これではいくらなんでも眠るには早すぎる。

眠くなる寝床の読書は問題解決にならない。
では何があるのかと考え
行きついたのが前から持っていて
もっぱらテレビにつないで見ていた
DVDプレーヤーの移動だった。

ポータブルの特性を生かし
プレーヤーをベッドに持ち込めば
布団の中で映画が楽しめるではないか。
映画好きの私には
千本あまりのDVDコレクションがある。
シネマベッドをエンジョイすることで
早すぎる就寝問題も解決をみた。

これらをまとめて日日是好日
つまり耐寒生活は進化の連続なのだ。

下の写真は私の耐寒生活を支える小物たち。
ネックウォーマーはもちろん
KGファイターズグッズです


小物たち

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