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「自我自賛」の戒め

私はよく漢字を間違う。
小さな頃から漢字が苦手だった。
近眼だったために細部がよく見えず
おおよその形で認識する癖がついた。
この「おおよそ」という緻密さの欠如は
漢字の学習法ばかりでなく
私の全人格にまでおよんでいる。

「自我自賛」の戒め。
これは字を間違ったわけではない。
私の造語である(先駆者がいればすいません)。
意味は推察がつくはず。
「自我」こそは諸悪の根源であり
それを「自賛」しないように
私は自分自身を律しているのだ。

とは言っても
この言葉を思いついたのは
先週の日曜日(1月23日)の朝である。
この日に何か意味があるとするなら
前日の22日に神戸で開かれた
「みみをすますinひょうご」という会に
私が出席したことぐらいだろう。
正確な因果関係は不明である。

私たちは外部の情報を
眼耳鼻舌身(皮ふ)意(心)から取り込む。
情報に触れたとたん私たちは
それをありのままに受け取るのではなく
自分の都合のいいように加工し
さまざまな評価を加え
変質させてしまう。
その作業を行うのが「自我」なのだ。

自分に益のある情報に反応するのは
別に悪いことではない。
すべての生物共通の
生存本能に由来する認識方法である。
しかし「自我」というフィルターを通すと
それに自己評価が加わり
しかも評価への「自賛」がうまれるという
厄介な問題が生じる。

私を主人公にして例を挙げてみよう。
私は若い彼女を連れ散歩しているとする。
向こうから若い女性が来るのが見える。
出現した相手に対して
とっさに私は敵味方の判断を下す。
と同時に女性の顔 スタイル 
服のセンスなどを評価する。
「顔まずまずだけど、ちょっときつそう。
足はすばらしい。しかしスカート丈が長すぎ」とかなんとか。

次には自分の彼女との比較をはじめる。
彼女が勝っていればうれしくなり
こんな女性を恋人にしている自分を
たいしたものだと自慢したくなる。
相手の女性もそこそこなら
「彼女と付き合うのもいいかな
あの目つきを見れば
どうも私に気がありそうだし」と妄想する。
ここからは「自我」の暴走による
妄想に次ぐ妄想に支配され
心のざわつきは収まらない。

自分の行為
優れた認識と下した判断
手に入れたもの
与えたもの
美的感覚 センス 感情表現
これら自分の行動や心の状態、所有物が
だだあるだけではなく
それらを対象にして
自己評価を与え「自賛」する。
これを私は「自我自賛」と呼ぶ。

23日の早朝。
まだ太陽は顔を出していない。
霜の降りたウッドデッキに出て
私は広大な播磨灘を眺めた。
正面には家島が見え
左端には小豆島がある。
二つの島の間で
瀬戸内海の小島が点在している。

夜明け前の海はすみれ色で
寒さのせいで小さな島は
海面から浮かんで震えている。
南に向かう大型船が数隻
瀬戸内海を東進してくる小さな船も数隻
頭上には海よりも大きな空が
この日最初の光が差すのを静かに待っていた。

これらの雄大な景色を見ながら
私はふと気づく。
空も海も太陽も水も木々も島も何もかも
とてつもなく大きな存在の自分を誇るでなく
大きな恵みで生命を育み 慰め 平安を与え
喜びと希望を惜しみなく差し出しながら
自分の所業を「俺がやった」と自慢することもない。
そう思いついたとたんに
私は「自我」の貧しさに心が向かい
なぜということなく傷ついた。
そのとき私の頭に浮かんだのが
「自我自賛の戒め」という言葉だった。
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ハーメルン・プロジェクトと新しい村

ハーメルン・プロジェクトという名前には
ある種の魔力というか
人の気持ちをかき乱す力が潜んでいる。
多くの人はその名を聞くと困惑顔になり
「村から子どもをさらうあのハーメルン?」
と不安を口にする。

中には本気で腹を立てて
「放射能汚染から子供を守るのは正しいだろうが
福島から子どもをさらうことを連想させる
ハーメルンを名乗らなくてもいいのではないか」
と声を荒げる人もいる。

ハーメルン・プロジェクトの代表者である志田さんは
原発事故の直後
福島から子どもをさらってでも
避難させようと考えたことがあった。

原発事故が起こり
被害の深刻さが明らかになるにつれ
福島県内には混乱が広がった。
爆発などで漏れ出た放射能は
どの程度人体に影響を与えるのか。
ただちに避難しなくても大丈夫なのか。
さらに大きな爆発はないのか。
福島県民の緊張が頂点に達しかけたころに
志田さんは東京電力に1本の電話をかける。

「今から私たちは公園に子どもを集めます。
できるだけ大勢の子どもを連れていきますので
東京電力はバスを何台か仕立てて
その子たちをさらっていってください。
ただし子どもには事実を知らさず
おびえることがないように
ディズニーランドのような楽しいところに
遊びにいくように装ってください。
だからあなたたちはスーツ姿ではなく
ピエロか何か子どもが喜ぶ
奇抜な服装で来るのがいいのではないですか」と。

電話を受けた東電社員の受け答えは不明であるが
志田さんは真剣だった。
事態の深刻さを理解しない親がいれば
その家の子どもをさらってでも
避難をさせたかったという。

とっさに思いついた計画が
のちに振り返れば
「ハーメルンの笛吹き男」の民話に
似ていなくもないと思い
志田さんは彼が主催するプロジェクトに
その名を選んだのだった。

「ハーメルンの笛吹き男」との類似性もさることながら
志田さんからはじめてこの話を聞いたとき
私はロベルト・ベニーニ監督・主演の
「ライフ・イズ・ビューティフル」を思い起こした。

アウシェビイッツに収容されることになった子どもに
そこが死が定めの地獄などではなく
楽しい遊園地ででもあるかのように安心させ
希望を与え子どもを守ろうとする
父親の悲しくも涙ぐましい奮闘を
喜劇風に描いた作品である。
収容所の縦じまの囚人服がピエロを連想させ
私はこの映画を思い出したのかもしれない。

23日の月曜日
その志田さんたちと
淡路市長を訪ね避難の可能性や
市側の受け入れ条件などを話し合った。

市長とのやり取りの中で
志田さんが何気なく発した
「新しい村」という言葉が
私の心に着床し
あまり鮮明でなかった
福島ハーメルン・プロジェクト ジョイントチームの
活動イメージが静かに芽吹いてきたのだった。

「新しい村」は言うまでもなく
武者小路実篤が宮崎に拓いた
農業共同体である。
それは新たな生活基盤を
創設する運動であると同時に
高い精神性で自らの生活を律していこうとする
一種の思想運動でもあった。

福島から避難する人たちは
被曝を逃れ生活を安定させるだけでなく
受け入れられた土地において
何らかの積極的な役割を果たすべきだと
私は考えていた。

例えば淡路島は
海峡を隔てて神戸と接するにもかかわらず
過疎地であり新たな産業も起こし得ず
すっかり活力を失っている。

そこに福島から避難した若い親子が住みつき
人口増に寄与すると共に
淡路島の眠った財産を掘り起こし
それを淡路ブランドとして
世界に発信できる起業ができるのではないか。

そうなれば避難先での仕事の確保という
難題はクリアーできるであろうし
そこが新たに福島から移住してくる人の
拠点となる可能性もなくはない。

新しい業態の創始に向け
福島ハーメルン・プロジェクト ジョイントチームに
起業をサポートできる部門も必要かと
私の夢は膨らんでいったのだった。

ハーメルン伝説には
多くの異聞がある。
もっとも強力な異説に
若者が周辺国に移民として移り住んだことを
笛吹き男に連れ去られたという
物語に仕立て上げたというのがある。

となれば福島ハーメルン・プロジェクトと
移住先での新しい村の建設は
ある意味必然的な結びつきであると
言えなくもない。

お百度参り

前回のブログで
室内ジョギングの回数を忘れないために
私はトランプを使うと書いた。

ブログを読んだ友人が
それってお百度参りジャン
と教えてくれたのである。
なるほど年の功と言いたいところだが
彼女は私より8歳も若い。
私のカウント方法がお百度参りと同種とは
うかつにも思いつかなかった。
年齢差を考慮しここは
老いては子に従えとでもしておこう。

これも何かのご縁なので
お百度参りの歴史を調べてみた。
この民間信仰の起源は平安末期らしい。

切実な願いごとのある人が
本来なら100日間神社や寺に参り
願掛けをするところ
一日ですませるために
入り口から本殿の間を
100回往復し本殿を通過するたびに
心を込めて参拝する。
これがお百度参りのやりかたである。

お百度参りの盛んな神社や寺には
お百度石というものがある。
そんなところでは入り口ではなく
お百度石を基点に本殿との間を
100往復すればいいことになる。

昔はお百度参りをする人を
よく見かけた。
切実な悩みは
現在ほうがはるかに多くなり
その解決も複雑になったであろうに
なぜお百度参りは廃れたのか。
忙しい現代人には
百度でも多すぎるのかもしれない。

これも時代遅れなのだろうが
私が若いころ営業職ではしばしば
「お百度を踏め」と言われたものである。
得意先に日参を重ねることで
名前と顔を覚えてもらい
熱心さで担当者の心証を良くし
売り上げに結びつける魂胆である。

これは意外にも
お百度参りの精神をよく伝えている。
違いは相手が得意先の担当者か
神様 仏様であるかにしかない。

お百度参りにおいても
100回神や仏の前に出て
自分を覚えてもらい
熱心な祈りで神仏の歓心を買い
大願成就を図る。
このようにお百度参りは
社会に深く浸透した民間信仰だった。

私はトランプを使うが
お百度参りの場合
100枚のお賽銭用硬貨か
石 竹串などを同数置いて
正しくカウントできるようにする。

人に見られたら効果がなくなるので
夜中にやるのがいいとか
裸足でないとご利益がない
という言い伝えもある。

歴史を調べているうちに
ネットオークションでこのような記事を見つけた。
「あなたに代わってお百度参り 8350円で落札」
出品者の商品説明はこうだ。

この商品(お百度参り代行)を競り落としてくれれば
落札者に代わって希望する寺社に赴き
お百度を踏み願いがかなうようにする。
そればかりでなく
落札価格全額をその寺社の賽銭箱に投げ入れ
満願をバックアップするというのである。

この商品はさらに磨きがかけられる。
お百度参りはもっとも効果がある早朝に行い
裸足で100往復する。
落札者がお百度参りを確かめられるように
動画でその姿を撮影し
それを証拠として渡すという念の入れようである。

果たしてこの奇妙な商品に
58件の入札があったそうだ。
競り落とされた価格が8350円。
それは出品者の懐に入るのではなく
全額賽銭箱に収まることになる。
ウム、これはなかなかいい

私たちがはじめようとしている
福島ハーメルン・プロジェクト ジョイントチームでは
資金集めのために
「福島ハーメルンPJ ジョイントナイト」を開く。
「あなたのHAPPYが 母と子の被曝を防ぐ大きな手のひらとなる」
このような趣旨で開催するパーティーである。

ジョイントナイトは役割によって
3種類の貢献方法がある。
「オーナー」と呼ぶパーティー会場の提供者
「プレゼンター」と呼ぶワインなど飲み物の提供者
「ゲスト」と呼ぶパーティー参加者。
「ゲスト」はプレゼンターが店に提供した飲み物を
少なくとも1杯は注文しなければならない。
それが全額福島への募金となる仕組みである。

私が思いついたのは
プレゼンターに変わって
室内ランニングをオークションにかけ
100往復(現代版お百度参りだ)すればどうか
というものである。
落札された金額はすべて
ワインなど飲み物の購入代金にあてる。
あと必要なのは願いごと。
それは落札者の福島への祈りを
私が念じながら走ればいい。
しかし・・・果たして入札があるのか・・・?

いいアイディアと思ったが
無理があるか?
誰にも見られない早朝 裸足
動画による確認。
ルームランナーはすべて条件がそろっているのだけどなあ・・・。
誰かが「それはイケる」と背中を押してくれさえすれば
いつでも私はお百度を踏む用意はある。

ロト6からルームランナーへ

私は事務所で寝起きしている。
かつては8名いた従業員が
独立したり お産で退職したり
学生となったり 転職したり
辞めてもらったりなどで1名となり
ここに移り住んできた。

ブログ1

この写真は今月引き落とされる
関電からの領収書である。
対前年同月比は何と-57.4%。
24時間使ってこの金額である。
すごい!

節減された多くが
暖房代である。
私の家で現在使っている電気製品は
パソコン プリンター コピー機
照明器具 小さいテレビだけである。

福島ハーメルン・プロジェクトを
応援しようと考えたときから
原発が無用になるくらいにまで
自分の生活を簡素にしようと考えた。
その一つが冷暖房器具の追放であった。

これだけ節約できるのだから
原発への依存を断ち切ることができる。
私はそう主張したいわけではない。
もちろん誰もがここまで節約すれば
原発なしでやっていけるだろう。

しかし私の本意は別のところにある。
子どもの頃は冬の寒さは今よりはるかに厳しく
暖房器具などないに等しかった。
それでも楽しく生きていけた。
部屋の中でも吐く息の白いことがまれでなかった。
それが普通であった。
「冬は寒いもの」
文句を言えば母からそう返された。
どうすれば子どもの頃のように耐えられるのか。
何をあきらめ 何を捨て 何を耐えればいいのか
私がしたかったのはそんな実験だった。

言うまでもなく人間も自然の一部である。
自然が寒がっているときに
人間だけがヌクヌクしているのは
少しおかしくないのか。
私にはそのような疑問もあった。
実験をはじめた結果
自然がどのように寒さを営むのかに関心が向いた。

植物や動物の寒さを防ぐ知恵
風の方向 強弱 太陽の高さと角度 日の出 日の入りの時刻
空気の乾き方と気流の強さ 星の瞬き 潮流
自分の体を温める方法 体温を維持する体の仕組み
運動 服の機能 さざまな自然の防寒用品たち
実験をはじめることで
少なくとも私の心は子ども時代に戻った。

部屋の中を駆け回って暖をとるなんて
子ども心なくして生まれない発想ではないか。
寒くなれば私は仕事を打ち切り
走りはじめる。
この写真は私のジョギングコースだ。

ブログ2

この耐寒生活は
新たなコミュニケーションも生んだ。
冷え込みが厳しくなると
電話やメールで友だちから
寒中見舞いが届くようになった。
「今日の寒さ大丈夫ですか。風邪などひいていません?
心配でメールしてみました」とか何とか。

友だちからの「よくある質問」はこれだ。
「50往復で1000m走れるそうやけど
それどなして勘定するの」と。

下の写真がその答えである。
トランプ1組から3枚抜き50枚にする。
まず引き抜いた3枚でその日の運勢を占う。
残り50枚を手に私は走りだす。
走りながらトランプを箱に投げ入れ
手持ちのトランプがなくなれば
1000mの完走となるわけだ。
簡単でしょ?

ブログ3

トランプに書かれた数字は
私がロト6にはまっていたときの名残である。
むなしい夢を追うことから
ルームランナーへの変身。
と言いたいところだが
宝くじへの執着は
冷暖房器具ほどには
きっぱり絶てない。
でも私は毎日楽しく寒さをしのいでいる。

ジョイントチームから

Tシャツ1

ブログをはじめたのは
昨年の5月からである。
いろいろな人に助けてもらいながら
何とか続けられている。
昨年末には
画像が取り込めるまでに成長した。
今日はさらに進化する。
大きすぎる画像のブログサイズへの縮小に
私は挑戦したのだ。
何とかなったけれど
成功と呼ぶにはほろ苦すぎる。

多くの人には常識かもしれないが
この作業の過程で「サムネール」なる言葉を知った。
画像を取り込み文章を書くには
「画像で書く」か「サムネールで書く」を選択しなければならない。
「画像で書く」を選ぶと絵が大きすぎる。
「サムネールで書く」を選ぶと小さすぎる。
さてどうしたものか。
私ははたと行き暮れた。

大きすぎる場合には縮小を試み
小さすぎる場合は拡大を図った。
しかし縮小は極限まで縮めても画面からはみ出る。
拡大は逆にいくらやっても大きくならない。

このような疑問を
「いまさら聞けない悩み」というのだろう。
仕方なく「サムネール」とは何ぞや教えてもらった。
サム=親指 ネール=爪 なるほどそういうことか。
親指の爪ほどの画像サイズ。
どうりでいくら試しても大きくならないはずだ
私はゴリラの親指の爪ぐらいの大きさを望んでいたのだから・・・。

結局私はそれ以上のチャレンジをあきらめ
「画像で書く」を選択し
もともとの画像のサイズを小さくしてもらうことにした。
という困難の末に
これらの画像がアップできたわけだ。
とてもうれしい。

Tシャツ3
Tシャツ2

掲載したTシャツは
私たちがはじめた
ハーメルン・プロジェクト サポートチームの
オリジナルデザインである。
このブログに何度も登場する
イラストレータの藤井一士さんの絵を元に
私の会社の元従業員がデザインしてくれた。
なかなかの出来栄え(でしょ?)。

このTシャツを販売し
収益金をハーメルン・プロジェクトに託し
福島から避難する母と子の
移動費用などに役立ててもらおうと思っている。

もうすぐポスターとチラシも刷り上る。
コアメンバーの名刺も用意した。
ハーメルン・プロジェクトと
私たちジョイントチームの
公式ホームページもまもなく開設である。

コアメンバーが増え
提携する団体との連携も進んでいる。
23日には代表の志田さんと共に
淡路市長と面談ができる運びとなった。
夏休みの短期避難に必要な場所を確保するため
関西学院大学へ協力と連帯(ジョイント)を呼びかけた。

日々私たちのチームは
形を成しつつある。
逃げるも地獄 残るも地獄の福島で
立場を超えすべての人々の共通の祈りは
福島で生を受けた子どもたち全員の将来が
少しでも幸せなものになることである。

このTシャツの小さな背をそっと押し
多くの人々に愛され
福島の人々の役に立つ存在になるよう
旅立たせてやろう。


最後の名刺は
ジョイントチームをよろしくとの
私からの挨拶である。

名刺



不自由の楽しみ

ルームランナーのような商品を
正式にはレッドミルと呼ぶらしい。
知らなかった。
ものの本によれば
歴史は古く1817年。
刑務所に収監された囚人の
矯正道具であったとある。

今から約200年前にあたる
1817年という時代を調べてみた。
年号で言えば文化 江戸時代である。
浮世絵の喜多川歌麿や杉田玄白が
死亡した年なのだそうである。

私の祖父が生まれるはるか昔。
ルームランナーがそのような時代に
起源をもつとは興味深い。
しかも囚人の矯正用にということは
ルームランナーに乗せられた収監者たちは
ムチを手にした看守の前で
ランニングを強制されたのか。

祖父は1880数年に貨物船で
アメリカに渡った。
密航だったため祖父は
逮捕・収監された。
となれば祖父だってルームランナーで
矯正された可能性もあるわけである。

その後ルームランナーは改良を重ね
今では水中用 宇宙船用ばかりでなく
犬や猫専用のものまであるらしい。

さて私の耐寒生活は日々進化している。
その1つがレグウォーマーをゲットしたことだ。
男物のレグウォーマーは値がはる上に
種類もあまりない。
私も暖房断ちをしなければ
一生縁のない商品であったはずだから
男の需要は少なく
割高も当然か。

仕方がないので
私は女性用を利用している。
3足で500円。
男性用が3000円はするのだから
断然お買い得である。
これで十分こと足りる。
私が見た最高値の男性用は
2万円近くの値段がついていた。
暖かさの差はないはずであろうに・・・。

もうひとつ私は
毛でできたロングスカートをはく。
これは従業員のものだが
彼女の勧めで使うことにした。
経理を見てもらうだけなので
彼女の出勤は不定期。
彼女の休みに私が使う。

重ねばきをする室内着タイプだから
私はズボンの上からそれを身につける。
これも非常に温かい優れものである。
ただ不意の来客はありがたくない。
スカートをはいたスキンヘッドの60男を
そうとうアブナイと
訪問客は思っていることだろう。

最大の進化はルームランナーの誕生である。
私が高価なレッドミルを買ったわけではない。
自分自身が部屋の中を走る男。
つまり人間ルームランナーとなるのだ。

私の事務所は3LDKあり
リビングルームから短い廊下が
玄関まで続いている。
リビングの端から玄関までが約10m。
それを往復すれば20m走ることができる。
これまでの足踏みランニングを止めて
私は室内ジョギングに切り換えた。

ストップウォッチを用意し
CDをかけ私は走る。
1000mのランニングには
50往復が必要である。
500mのラップを測ると3分だった。
かなりのスピードである。

私が走ると
壁に貼ったメモが震え
カレンダーがめくれ上がり
風が草原を渡るような音もする。

退屈しのぎには
ターンの方向を変える。
右回りの回転 左回りにターン。
ドシドシドシと足音が響く。
マンションの1階でよかった。
1000mを走り終えると
うっすらと汗ばむ。
足踏みランニングよりは
かなり体が温まる。
大成功である。

近代マラソンの開始は
1896年にアテネで開かれた
第1回オリンピックである。
ルームランナーはそれより古い歴史をもつ。

部屋を走る男たる私は
その歴史を踏みしめ
刑務所で矯正されたかもしれない
祖父とのつながりを感じながら
今日も疾走(?)する。

耐寒生活はこのように
発見の連続である。
イヌイットには数10種類におよぶ白色の色名がある。
彼らが白の微妙な差異を見分けられるように、
私も寒さのわずかな諧調を
感じ取れるようになりつつある。

寒さ対策に欠かせない
太陽が部屋に差し込む角度と時間
陽の脚が伸びる位置の変化などに
私は関心をもつ。

不自由であることは
決してつらいことではない。
足るを知れば
不自由の楽しみを満喫できる。

太っちょのおばさんのために靴を磨け

私は比較的メモを取るほうだ。
朝起きたら(とブルース風に歌ってみる)机の上にメモがあった。
そこにタイトルとして選んだ
「太っちょのおばさんのために靴を磨け」
と書いてあったのだ。

寝る前に走り書きしたのだが
さてこれが何を意味しているのか
まるでわからない。
近頃ではよくあることである。
友だちとの会話でも
何かを話しかけ続きがわからなくなる。

物忘れがはじまったころには
切り出した話題から
適当な筋に話を展開し
その場を切り抜けていた
しかし今では正直に告白する。
「何を言おうとしたんやろ、忘れてもた」と。

数年前までは
メモをどう使うのか思い出せなくても
自分にとって必然的なテーマなら
かならずどこかでもう1度出会える。
そう高をくくれた。

しかしこの年になると
それが気休めにすぎないことが
痛いほどわかる。
私にとって逃げ去ったテーマは
宇宙での星と星の邂逅のようなものだ。
ひとたびすれ違えば
未来永劫に会えることはない。
バイバイBABYと私は手を振る。

図々しく考えれば
このあきらめの境地は
私自身の存在へのまなざしが
宇宙規模に深まったともいえる(と考えよう)。
かつての信条であった
必然的なテーマならどこかで再会できるなどは
机の上程度の狭い認識。
つまり机上の理論といいつつ 
悔しいのである。

メモに記した言葉の出所は
もちろんわかっていた。
アメリカの作家サリンジャーの
「フラニーとゾーイ(私の頃は確かズーイだった)」の1文だ。

この小説の説明は無意味である。
またとてつもなく長くなる。
謎めいた言葉の解釈もムダである。
なので最低限の情報だけ書き記す。

フラニーとゾーイは妹兄である。
女子高生のフラニーは
俗物だらけの友だちや世間にうんざりし
精神的ピンチに陥っている。
落ち込んだ妹を立ち直らせようと
ゾーイが発した言葉が
太っちょのおばさん・・・なのである。

20代から30代前半にかけ
サリンジャーは私の大好きな作家の一人だった。
はじめてこの1文を読んだときの感想は
これは無償の愛へのメッセージだと思った。
ここでは言葉の意味ではなく
私が受けた影響について語るほうがわかりやすい。

日本の若い人間にありがちなこととして
当時私は挨拶が苦手だった。
大きな声と笑顔で
「おはようございます」「さようなら」など
とても言えなかった。
なかでも「良いお年をお迎えください」はダメだった。
そんな挨拶は俗物のすることと
私はフラニー同様に見下していた。

あるとき私は
アルバイト先の女性の話を聞いた
娘さんを交通事故で亡くした母親で
彼女は事故の朝に「いってきまーす」と
元気に出て行く娘に
挨拶を返してやれなかったことを
長い年月がたったにもかかわらず悔いていた。

翌日会社で彼女と顔をあわせたとき
私はうなずくだけの挨拶をやめ
「おはようございます」と言った。
彼女がそのときに返してくれた笑顔は
忘れがたいものだった。

それから私は
挨拶を心がけるようになった。
私をそう導く心のどこかに
「太っちょのおばさんのために靴を磨け」
という励ましたがあったのだと思う。

今年の新年早々に
私は2人の「太っちょのおばさん」に会った。
彼女たちと福島の被曝について話し合った。
今朝見つけたメモは
このことと関連していそうな気がする。
でもそれ以上はわからない。
高齢者の図々しい特権で
本題からずれた話になってしまったけど
許してもらうことにしよう。

そうそう
サリンジャーと「フラニーとゾーイ」を
詳しく調べるために
ネットで検索していて
おもしろいニュースを見つけた。

2010年この世を去った
サリンジャーが残したメモが競売にかけられ
385万円で競り落とされたという話である。
メモはわずか1文
休暇に出かける前にサリンジャーが
家政婦(ミタではないだろうが)に残した
雑用指示である。

1文(もん)の値打ちもない私のメモと
1文(ぶん)が385万円のサリンジャーのメモ。
この違いも私の存在が宇宙的規模に広がったことと
関連しているのだろうか。

さて 遅ればせながら
新年明けましておめでとうございます。
皆さまはどのような新春を迎えられましたか。
今年もこのブログを
どうかよろしくお願いいたします。

このように挨拶できる私の心には
もはや太っちょのおばさんは住んでいない。
それがうれしくもあり 悲しくもあり
100歳 100歳の金さん銀さんの心境になり
今年は明けた。



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