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Stay Hungry Stay foolish

アップル社の共同設立者の一人
スティーブ・ジョブズ氏が
スタンフォード大学の卒業式で
式辞を読んだのは2005年だそうである。

私がその全文に触れたのは
彼の死後 つい最近のことだ。
しかし彼が語った有名なフレーズ
「Stay Hungry Stay Foolish」は
意外なところで目にしていた。

私が追っかけをする
KGファイターズには
かなり立派なイヤーブックがある。
詳細な選手紹介の欄があり
「入部動機」「私の癒し」「尊敬する先輩」
など9項目の一つが
「好きな言葉」となっている。
何年か前に選手のひとりが
自分の座右の銘として
この言葉を挙げていたのだった。

式辞で触れられているように
これはスティーブ・ジョブズ氏オリジナル
というわけではない。
70年代半ばに廃刊となった
「全地球カタログ」最終号の背表紙に書かれた
読者へのラストメッセージなのである。

先のフットボール選手が
ヒッピー文化の残光である
「全地球カタログ」を読んだとは考えにくく
おそらく彼は2005年のスティーブ・ジョブズ氏の
式辞記録をどこかで読んだに違いない。

なぜこの言葉が
私の印象に残ったかと言えば
スポーツ選手の金言としては
かなり異質のものだったからだ。

「Stay Hungry」はいいとして
「Stay Foolish」のどこに惹かれ
彼は座右に置いておきたいとまで
考えたのだろう。

私の記憶に間違いがなければ
彼はチームで一 二を争う
強力なオフェンスラインマンだった。
オフェンスラインのおもな役割は
ボールをパスする選手を守り
走ってヤードを稼ぐランナーの
走路を力ずくでこじ開けることである。

ポジションに必要な気構えを一言で表せば
ある種の愚直さか。
もし彼が「Stay Foolish」を
「愚直」と読み替えたのなら
彼の感銘はさほど驚くべきことで
ないのかもしれない。

同じ頃に起こったある出来事が
私の中で合わさって
私の記憶を補強している。

京都の仏教大学に四国の彫刻家が石碑を贈った。
そこには「平成之大馬鹿門」と刻字されてあり
大学側が「大馬鹿門という言葉は
大学にふさわしくない」と受け取りを拒否し
撤去を求めたのである。
しかしながら彫刻家はそれに応じず
兵庫県の宍粟町が最終的にそれを引き取り
決着を見たというのが事の顛末であった。

私はこの事件を巡って
別の大学で事務職員をする友人と
議論をしたことがある。
友人は大学の主張を支持し
私は彫刻家の側についた。
そのとき私のより所が
親鸞の思想であった。

親鸞の有名な考えに
還りの思想というのがある。
知識を獲得していく過程は
自然な上昇過程で
ノウハウも道筋も整っていて
努力さえ怠らなければ
誰でも高みに行き着ける。

しかし往きの過程で得られる知識は
ほとんど何の役にも立たない。
獲得した知識をすべて捨て去り
その明晰を日常生活の泥で濁し
普段の話し言葉に変換して
いかに自身の最大の課題を解決できるのか。
その還りの思想を経て
はじめて知識は知恵となる。

手っ取り早く言えば
どこまでアホになれるのか
そこまで行き着いて
人の思想はナンボである。
これが親鸞の考えに違いない。
私はそう思っている。

大学生は知識の上昇過程にあり
その頂きにおいて
獲得した知識をすべて捨て去り
「平成之大馬鹿門」となって大学の門を
出ていかなければならない。
彫刻家のメッセージはこうだったはずで
だったら正しいではないか。
私はそのように言い張ったが
大学職員が納得しなかったことは
言うまでもない。

スティーブ・ジョブズ氏の本意が
どこにあったのか
私たちは文脈を辿って判断するしかないが
自分の好きなことを仕事にし
誰の言葉にも左右されず
我が道を誠実に貫き通せ
という式辞全体のメッセージからすれば
「Stay Foolish」は「愚直であれ」
と言いたかったのではないか。
私はそう思いたい。

「Stay Hungry Stay Foolish」もさることながら
この講演ではさらに重要なことが語られている。
今日が君の人生最後の日であるとするなら
君が今やっていることは正しいと言えるだろうか。
という問いかけがそれである。

そのような目で日々の生活を見つめ直すと
私は何と多くの無駄をやり
馬鹿をやり 心が汚れることをやり
余計な話をし 妄想に耽っていることかと
つくづく嫌になる。

もし今日が私の最後の日なら
私は何をするだろう。
心をきれいにすることが
私の人生の目標だから
それを怠らないでおこう。

また明日がいつも通りにやってくるように
その日与えられた自分の務めを
静かに果たしたいと思う。
この2つに「チェルノブイリ・ハート」の
精神を加味して
子どものためではなく自分のために
私は人生最後のその日
オリーブの木を植えよう。

これではかっこよすぎるから
きっと実現しないだろうな。
でも努力はしてみたい。






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かすかな希望

もうずいぶん昔の話だ。
映画のロケのために
1年半近く私は
和歌山の太地町で暮らしたことがある。

映画のスポンサーは
羽曳野市からかの地に転入してきた
建築会社の社長だった。

対岸の勝浦との間に広がる
美しい湾をはじめて見たとき
彼は景観ごと湾全体を買い取りたいと
市長に願い出た。
「ナンボかなあ?」と。
歴史的名勝地全体に
市長が値段をつけられるわけはなく
取引は不成立に終わった。

その湾は紀の松島と呼ばれる。
本家は言うまでもなく
宮城の松島。
女性の豊かな胸元のような
湾曲した海岸線をもつ
魚影濃い内海だった。

福島原発の事故で
故郷を捨てざるを得ない人に対し
すべての損失を補償するとすれば
いったいどれくらいかかるのだろうか?
ここでは転居費用 生活・休業補償
健康被害 風評被害賠償などは
考慮しないでおく。

彼らの土地、馴染んだ景色と空気と水
そこで自生した植物・動物
愛着のある家 あらゆる建造物
思い出と記憶という彼らの精神的財産。
それらはいくらに見積もられるのか。

太地町の町長が紀の松島に
値をつけられなかったように
原発事故で被害を受けた
福島の人々のすべて損失を
補償することは不可能である。

東電が潰れるという悠長話ではない。
国を挙げて賠償しようとしても
とても無理である。
原発事故がひとたび起これば
国が丸ごと潰れてしまう被害を
人々に与える。

そんなことに思いが向かわず
賠償可能と見込んでいるのは
原発事故に対する
想像力が不足しているからである。

原発事故からまもなく
8ヶ月になる現時点から見れば
日本は取り返しのつかないほど
放射能に汚染されてしまった。

政府・東電が
被害を小さく見せようと画策しても
私たちはこの事実を
出発点にしなければならない。
原発事故の前と後では
世界が変わった。
もう私たちには楽園はない。
そしてこの放射能まみれの日本を
次世代に差し出さなければならない。

福島原発の事故の規模は
チェルノブイリを上回るかもしれない。
映画「チェルノブイリハート」の
公式ガイドブックから
チェルノブイリの被害状況を
素描してみる。

□事故による死者数
4千人(05年IAEA)~98万5千人(09年ニューヨークアカデミー)
□事故処理作業員の死者数
1万3千人以上
□避難民総数
数十万人
□汚染地域に現在も居住する住民数
600万人超


書き記した被害の概要には
「チェルノブイリハート」のテーマであった
健康被害を含めていない。
高いガンの発生率
精神疾患の患者数
心身に異常をもって生まれてくる
5人のうち4人もの
新生児たちの状況については・・・。

これは他人事ではなく明日の福島の姿である。
また私たちの姿でもある。
私たちは福島であり
福島は私たちである。
日本について考えようとすれば
福島を避けていく道はない。

会津若松にルーツをもつ私が
福島に縛られるように
日本の誰一人として
福島との絆を断つことはできない。
事故によって
大地に 海に 川に 空気中に飛散した
放射能と共に生きる以外
福島にも 私たちにも選択の余地はない。

あと一つでも たとえば関電管内にある
原発で同じ規模の事故が起これば
日本は壊滅する。
そのような大事故は十分予測されながらも
政府・東電・財界人は安閑として
原発依存の政策を見直す様子はない。

水力発電 太陽光発電 風力発電は
自然の運動をそのまま利用する。
だからそこで生じる不具合は
事故と呼んでもいい。

しかしながら原発の場合
わざと「核分裂という事故」を誘発し
そのエネルギーを発電に利用する方法をとる。
つまり事故がないと電気は生まれないのだ。

原発事故は日々刻々
日本中で 世界中で起こり続ける。
「事故の制御」という
極細の糸に足を載せた綱渡り。
それが事故の露出を防ぐ
唯一の手だてである。

私はチェルノブイリの数字の中で
汚染地帯に住み続ける600万人に注目する。
故郷を あるいは日本を離れ流浪する者。
汚染を受け入れ定住する者。
流れるか留まるか。
これが福島後の人類の有り様であろう。

流浪する民という
新たな意匠で登場する
世界史的事件も含め
私たちは福島を介し
世界の最先端のテーマと
結びついている。

流れても留まっても
放射能から逃れる術はない。
放射能との共存という宿運から
私たちはいかに人類の救済と
希望を見いだせるのか。
それが世界から福島に与えられた
重い課題だと私は思う。

事故の継続を意味する
使用済み核燃料棒の処理方法も含め
未来奪還のカードを見つけだすよう
私たちは世界から託されたと考えよう。
私たちが子どもの夢を取り戻すという決意。
それこそが福島の遠い明日であり
かすかな希望でもある。

本当の自分

6月末に河出書房新社から出た
「思想としての3・11」を読んだ。
おもしろい本だった。
鶴見俊輔 吉本隆明ほか数人の筆者を除き
大半が30代前半から40代にかけての
若い思想家の論考である。
その新鮮さも好感の理由であった。

その中の何人かから
共通する声が聞かれた。
私が14日のブログに書いた悩みを
彼らも共有にしているとわかった。
私の困惑ぶりを先のブログから引いてみる。

ブログの舞台であるネットには
天文学的な数の情報が集まる。
役立つ情報の多くは
専門家からもたらされたもの。

私は残念ながら専門家ではない。
その私がたとえば原発について
筆を進めるとしよう。
すると決まって自問が起こる。
「専門家も含めこれだけ多くの人が語ったことに
お前が何か新味のあることを書き加えられるのか」と。


このアンソロジ-の執筆者は
何らかの専門家である。
彼らでさえ
私と同じ言葉を用い
自らの発言の位置の危うさを嘆く。
ネット社会における情報が
書き手に与える影響の深さ 大きさを
今更ながら気づかされる思いだった。

情報の洪水の中で
その他大勢の意見に没する恐れ以外に
私には年齢に由来する
ある種の恥ずかしさがある。
私が書く小説や
このブログで披露している考えには
67歳という年齢にふさわしい成熟があるのだろうか?
たぶんない。ない。まったくない。

67歳と言えば70に手が届かんばかりの年齢である。
この世を去った私が好きな作家ばかりでなく
同時代の存命する作家が
私の年で成し遂げた
あるいは達成しつつある業績と
我が身を比べる作業ほどつらいことはない。
私はブログを書きながら日々恥を忍んでいる。
更新が思うに任せないはずである。

それでは私は何のために
ブログを続け
新作の小説をweb上で
連載しようとするのか。
私にはまだ自分が書きたいテーマがあり
私しか書けないとまでは言わないが
私向きの題材を抱えている。
であるとするなら
私は諦めるべきではない。
これがその理由だ。

私は67歳でブログをはじめた。
66歳でムーンウォークに挑戦した。
また今年は阿波踊りに挑戦した記念すべき年でもある。
チャレンジと言えば
34歳で新潮新人賞をもらった私が
67歳になった本年再び新人賞に挑んだ。
結果は惨敗であり
確かに惨めでアホではあるが
私にはこれ以外に道はなかった。

ブログにリンクしてある
「ある狂気の物語―新しい人あの橋を渡れ」を
私はどうしても発表したかった。
いくつかの出版社との交渉が不調に終わった私には
新人賞への挑戦という賭しか残されていなかった。

67歳で新人賞に応募し
1次選考に落ちるのは
確かに恥ずかしい(ギネスブックものだろうか???)。
大した輝きも堕落の極みも経験しない
平凡な人生をひっそり閉じる方法を
私が知らなかったわけではない。
しかし私の中の何かが
それを拒んだ。

あるがままの自分の存在を受け入れる。
これは大事な心構えだ。
私が好きなテーラワーダ仏教の
基本的な教えでもある。
しかしながら私は
妄想に拍車をかけ
その教えに反することを選び続けている。

私は本質を隠し
正体不明の自分をでっち上げ
あるがままの自分から逃走する。
私は加齢を憎み
肉体と精神の衰えを隠蔽し
他者の目に映る自己像に振り回され
他人の視線に揺れ動いている。
その浅ましい姿は
素顔で人前に出られない
女性の行動に似ていなくない。

あるがままの自分と
あるべき自分この分裂は
私の宿命でもある。
それが今書きたい小説のテーマと
どこかで通底している。

創作ノートで
それを確認してみたいと思う

創作ノート 10・23 二重性について

登場人物の特長である二重性は
あらゆる事象と行動様式 
容姿と言葉遣いなどにおいて
検証されなければならない。

彼らは人格の統一性を失っているがゆえに
極端から極端へと走る。
清潔と汚濁 過食と拒食 吝嗇と気前の良さ
合理性と非合理性 自然志向と人工物に囲まれての落ち着き

彼らはどちらも選べないから
両極に向かうしかない。
彼らは無内容な自由の奴隷である。
そして彼らの行動は
内的必然性の結果でないゆえに
すべて演技であると言ってよく
本質的に道化である。

どちらの極を選んでも
多極の陰が重なり つきまとう。
彼らはその2極が共に
分裂した自己像であるあることを
常に意識している。

彼らの態度は堅苦しく
自然な柔らかさに欠ける。
視線は外部世界と自身の心の内を
同時に見つめ チェックしているために
なぞめいて見える。
それは一部の異性には
たまらなく魅力的に映ることがある。




ひとり酒

私がまったく1人で酒を飲むのは
年に10日くらいだろうか。
今日がその日だった。

ベストの過ごし方は
DVDでも見ながら
家で酒を飲むことである。
しかし今夜はDVDが1本もなく
飲みに出ることにした。

7年前にピ-スボートに乗り
世界一周の旅を経験した。
そのときの基本的なテーマは
ひとりで堂々と
心から楽しんで食事ができるか
というものだった。

ピースボートでは
昼と夜は正餐である。
1000人近くいる乗客のほとんどが
1週間もすれば
一緒に食事する相手を見つける。

相手を見つけられなければ
食堂の入り口で
どこかのグループに
振り分けられることになる。
割り込む方も苦痛なら
割り込まれた方もおもしろくないに決まっている。

それを拒みたければ
堂々と楽しく にこやかに
1人で食事を楽しむ技を磨くしかない。

ピースボートで技を磨いた私だけど
やっぱり1人での堂々とした食事は苦手だ。
それでも今夜は2軒ハシゴをし
さっき帰ったところである。

1軒目はそば屋さん。
わさびの茎の煮付けと
季節の野菜天ぷらそば定食を頼んだ。
それをあてにビール1本
冷酒1合を飲んだ。

まだ空腹だったから
次の店を探す。
結局私の家から1分ばかりのところにある
スペイン料理の店になった。

ここでマッシュルームのオリーブオイル炒め
マグロと松の実のサラダを食べた。
酒はスペインビール1本
赤のグラスワイン2杯
辛いシェリー酒。
かなり出来上がった。

この食事の儀式は
大いに孤独と関係がある。

今日の創作ノートのテーマは孤独。
ちょうどうまい具合にはまりそうだ。

創作ノート 10月20日 心の闇
この小説のテーマは「心の闇」だと言える。
それはおそらく言語化したり
解説を加えたりできないものに違いない。
そのため「心の闇」を示す外的兆候を
できる限り多く収集する方法を
私は取ろうと思う。

数限りなくそれを集め
子細に眺めれば
「心の闇」の輪郭くらい見えてくるだろう。

「腐った物体の真似をするのが好き」
どのような真似になるのかわからないが
何かが壊れている感じがする。
虫の真似をするヤツがいるのだけれど
彼は劇作家だ。

「何日も眠ってないのに眠る努力もしない」
ここにも壊れた何かがありそうだ。

「自分の腕に押しつけてタバコを消す」
酔っているならわかるが
しらふでするなら
闇は深い。かなり深い。

「スリッパを履き、手首に病院の認識タグをつけ
立ち飲みやで酒を飲む男」

「雨粒の名前を知っていると言いながら
一粒 一粒の名を大声で呼ぶ男」

「雪が降っているのに日傘を持ち
猫背の大男と一緒に煎餅をかじりながら
温泉街を歩く小さな女」
これは城崎温泉での出来事だった。

「コインランドリーで寝泊まりしている男」
終夜営業のコインランドリーは
確かに癒されそうだ。
彼が求めているのは
明るさか 暖かさか 洗剤の匂いか。

「客の座る椅子に座り
いつまでも鏡の自分を見つめ
涙を流している散髪屋の主人」
これは映画の一シーンだったと思う。
何の映画か忘れた。
私の心に残っている絵だ。

「酔っぱらえば決まって電球もちだし
バリバリ音をたてて食べる男」
普段はアルマーニが大好きな
おしゃれな男なのだが・・・。

「音を消したテレビをつけ
窓から通りを見下ろし車の数を数え
誰とも口をきかず
日が沈むまでその場所を動かない女」


これらで何となく「心の闇」に迫れそうなので
シリーズ化しようと思う。
こんな創作ノートをブログに載せるヤツも
相当「心の闇」は深くないだろうか。

チェルノブイリハート

ドキュメンタリー映画「チェルノブイリハート」を見た。
悲惨な映画だった。
これが日本の近未来の姿だと思った。
そして未来に対して責任をとる
ということを考えさせられた。

映画の舞台、ベラルーシのある地域では
生まれてくる5人の新生児のうち
健常者はわずか1人である。
脳や外見に異常がなくても
子どもたちはガンで死んでいく。
そして子どもたちは怒っている。
自分たちに加えられた暴虐に対して
未来を奪われた不条理に対して。

10年も経たないうちに
日本も怒れる子どもたちで
一杯になるかもしれない。

法律で定められた
1年に許容される被爆線量の限度が
1ミリから20ミリに引き上げられ
猛反発を食らうや
また1ミリを目指すと変更された。

なぜ危険性の限度をいきなり
20倍にも引き上げることが可能なのか。
誰の責任において許容量を上げたのか。
またどのような理由から元の1ミリに戻したのか
まったく説明のないまま迷走が続いた。

これではある日突然
1ミリ以上の服用は危険と
説明されていた劇薬の致死量が
納得のいく説明もなく
20ミリに引き上げられるのと同じである。

被爆線量の限度がなぜ引き上げられたのか。
理由は明らかである。
法令通り1ミリを維持しようとすれば
国土の約3%にあたる
広大な地域の住民の避難が必要であり
そうなれば日本経済は麻痺し
住む場所のない難民が
大量に発生するからである。

ひとたび原発事故が起これば
日本は壊滅的被害を受けることを
彼らは認めたくなかった。
彼らとは 政治家であり官僚であり
経済人であり学者たちだ。
原発は安全という自説を曲げたくなかった。
国策は正しかったと思いたかった。
自分の地位を失いたくなかった。
謝罪が恥ずかしかった。
こんな愚かしい理由のために
彼らは日本の子どもたちの命と未来を
犠牲にする道を選んだのだった。

限度を超えて被爆すればガンを発症する危険性は高まる。
先天的異常児が生まれる確率は増える。
安全な食品はもう口にできないかもしれない。

このような状況で
彼らがやらねばならないのは
考えられる限りの放射能による
リスクを正確に伝え
ガンになる恐れは高く
丈夫な子供を産めないかもしれない。
それでも汚染を覚悟して一緒に故郷に留まってくれないか
と国民に命をかけて訴えることだったはずだ。

しかしながら政治家たちがやったことと言えば
数字を操作して安全であるかのように見せかけ
子どもたちを人質として差し出し
彼らの失態をカムフラージュすることだけであった。

このような詐術によって
放射能の危険性は軽減され
被害の実態は低く見積もられ
かくして原発廃止へと向かう道が閉ざされた。

映画の中で目を背けたくなったのは
親によって捨てられた
先天的な障害を負った乳児を保護する
遺棄乳児院「ナンバーワンホーム」の映像である。
やがて日本にもそのような施設が
必要になるのかもしれない。

「チェルノブイリハート」の公式ブックを開くと
「人は70歳になってもオリーブの苗を植える。
しかもそれは、子どもたちのためではない」
との言葉にぶちあたった。
それに触発されたアイディアを
制作ノートに書くことにする。

創作ノート 10月17日 短編のアイディア
余命3ヶ月を宣告された男。
残された日々で何ができるかを彼は考える。
心をきれいにすること。
これが彼の最優先の課題。
もう一つ彼は子どもたち、友人、縁者たちを訪ね
オリーブの木を送ろうと考える。
自分がまだ未来に希望を抱きながら
生きていることを伝えたいために。
1日に1軒。90人の仲間に
彼はオリーブを届け続ける。

彼のオリーブを送るリストに
かつての男の恋人3人が含まれていることを知り
今は男の彼女である女は
愛情から、あるいは嫉妬から
ある仕掛けをする。
それは彼を死に導くものである。
ここに純粋な彼女の愛情が
憎しみの形で成就される。

秋のすばらしい一日

昨夜の荒れ模様と打って変わって
朝から気持ちのいい日だった。

空は澄み渡り
ログハウスから見渡せる海は
青々と輝き
陽は暖かく
風は涼しく
今秋最高の朝だった。

チェルノブイリ事故が起きた日も
雲ひとつない晴天だったらしい。

1986年4月26日 午後1時23分
原子力発電所近辺の村々では
9組もの結婚式があったと言う。
事故の発生を知らせれなかった人々は
早春の天気のよい一日を幸せに過ごし
大量の放射線を浴びてるとも知らず
踊り 飲み 人生を謳歌し
酔いしれて家路についたことだろう。

私はといえば
6時前のニュースで
巨人が中日を破り
阪神のクライマックスシリーズ進出の夢が
かなわなかったと知った

今夜の夕食は
ロールキャベツと
いわしとにんにくのパスタ
砂ずりとオリーブのサラダだった。
ニュースで承知のため
広島戦にチャンネルを合わせず
静かな音楽を聴きながら
食事を楽しんだ。

このログにはトラッキーの
ダッコちゃん人形がいる。
ログハウスの梁に
シーズンスタートの日に
ダッコちゃんは抱きつき
不屈の闘志で
天井から落ちない苦行の達成を誓う。

しかしながら勝負どころの日を前に
腕を放し落下することが2年続いた。
昨年は巨人との
クライマックスシリーズ初日に。
今年は甲子園での巨人との最終戦の日に。

タイガースの戦いそのままの2度目の失態に
私は怒る気力もなく
今シーズンの終焉を受け入れた。

しかし創作ノートは書こう。
何のこれしき。
私の大好きな言葉だ。

創作ノート 10月16日 二重性
二重性は私たちに深く刻印された存在様式だ。
自己疎外としての二重性はおくとして
文化史的に言えば漢字借用がその起源だろう。
大和言葉と漢語、訓と音、意味と音。
それらの二重性と分裂。

二重性はさまざまな変奏を繰り返し
現在もなお私たちの存在の一部となっている。
田舎と都市 東洋と西洋 自然と人工 情動と理性 非合理と合理。

私が惹かれる作家は
西洋世界から疎外された存在である。
彼らは世界の中心からの排除に傷つきながら
スタンダードと化した西洋を超える道を見つけようとする。
トルコ初のノーベル文学賞作家 オルハン・バムク。
彼の作品群が二重性の
現在における到達点を示している。

私自身の二重性の起源は
父がアメリカで生を受けたことにはじまる。
父は日本語と英語に引き裂かれながら
短い生涯を終えた。

次に来たのが家の没落であった。
父の死によって
私たちは最下層の人々の間で暮らすことになる。
ピアノがやっと入る手狭な裏長屋で
母はピアノの教師をはじめる。
気取った言葉 真っ白な肌
おまけにキリスト教。
日曜毎に私たち兄姉は
きれいな服を着せられ
教会へと行進する。
人々の生活との何という隔たり。
選民意識プンプンの恥ずかしさ。 

小説の主人公は
当然この二重性をまとうことになる。
彼は電力会社の幹部社員でありながら
汚れ仕事で底辺の人間との接触が業務である。

過酷な日々から酒とセックスにおぼれながら
彼はバレエの世界への関心を維持し続ける。
西洋的身体 姿態がもっとも映えるバレエ。
それに挑む醜い東洋の肉体と精神・・・。
小説ではこれが重要なテーマとなるだろう。


雨の明暗

大雨の予想が外れた。
重苦しい雨雲が垂れ込めたが
ポツリ、ポツリと雨が降っただけであった。
今日はファイターズの第4戦。
ビショ濡れを覚悟したけれど
ほとんど雨は降らなかった。
80対0とファイターズは大勝して
関西リーグ制覇に向け
3強対決を待つばかりになった。

試合後淡路島に渡り
月曜日の午前中までここで過ごす。

今夜の夕食は
タイちゃんこにした。
私の得意料理の一つだ。
中止を覚悟していた広島戦が
決行となって食事の友となる。
ラッキー。

試合開始直後から
雨脚が激しく
コールドゲームの不安が頭をよぎる。
広島に2点を先制され
阪神はチャンスを作るものの
攻撃のリズムがかみ合わず
いつもの拙攻で得点が入らない。

6回のチャンスをつぶし
広島の攻撃。
審判団は試合を中断し
グランド整備を指示する。
ヤバイ。
予想通り中断はそのまま続行不可能となり
コールドゲームで負けてしまった。

巨人は中日に快勝。
CSがますます遠ざかっていく。

昼間の雨を免れたファイターズの完勝。
夜の雨にたたられた阪神の敗退。
雨の明暗。うまくいかない。
GRIT(強い気持ち)のあるKGファイターズ
それに欠けるタイガース。
天気の明暗は
強い気持ちの有無でもある。

創作ノート 10月15日 作品の思想
自由は非合理である。
なぜなら人は悪でも善でも、自在に選ぶことができるからである。
この無制限の選択の許しが自由の本質である。
悪と善の根っ子には、大地のように自由が横たわってる。
この自由が分裂を生み、人間を二重の存在に変えてしまう。
選択はいつも可能であるとは限らず
人は悪か善かいずれも選べず
行き暮れてしまうことが多々ある。
この小説に登場する主人公は
すべて分裂している。佇んでいる。
彼らは選択ができないか 
いずれかを選んだ結果苦悩に陥いている。
これが現在日本の私たちの姿ではないか。


創作ノート

ブログをはじめて
5ヶ月になろうとしている。
調べてみると
5月24日がスタートとわかった。

ブロガーになってすぐに
つきまとわれたとまどいは
軽くなるどころか
日増しにきつくなり
私の足ならぬ手を引っ張る。
理由は明らかだ。
私自身自分の書いたものに
何の価値も見いだせないのだ。

ブログの舞台であるネットには
天文学的な数の情報が集まる。
役に立つ情報の多くは
専門家からもたらされたもの。
私は残念ながら専門家ではない。

その私がたとえば原発について
筆を進めるとしよう。
すると決まって自問が起こる。
「専門家も含めこれだけ多くの人が語ったことに
お前が何か新味のあることを書き加えられるのか?」と。

この自問に答えることこそ
私がブログを書き続ける理由である。
私は社会現象とその成り行きに対して
見えない関係や
隠れた意図、目的をあぶり出し
未知の事柄にふさわしい言葉で
表現したいと願う。

核や放射能、原子力といった未曾有の経験なら
私を起源とする言葉に置き換え
可能な限り遠い地で待つ花に
受粉させようとする。
しかしブログで展開する私の試みが
うまくいった実感は数少ない。

私は言葉の専門家ではない。
10冊に満たない本を上梓しただけで
表現者を名乗るのはおこがましい。
しかしながら
私が専門家並みに奮闘したのは
見えない関係に目を凝らし
それに美しい言葉を与えてやることであった。
それ以外で私が人並みにできたことと言えば
1人の息子と1人の娘と深く関わり
大人になるのを懸命に見届けたくらいである。

他人のブログなら
日常生活の機微を
平明な言葉で綴ったブログが私は好きだ。
食べることの好きな私は
写真入りの食べ歩きサイトを
貴重な情報源として重宝している。

また、子育て、出産、闘病など
日々の経過が劇的なクロニクルズは
その変化を自分の体の推移と
重ね合わせられるところが気に入っている。
しかし自分で書くとなれば
このような日々の生活の輝きを
豊かに伝えるのは私にとって至難である。

私がブログを書きはじめた理由の一つは
小説を連載することにあった。
連載が終了した今
新たな書き下ろしの作品を
私はブログで公開することを目指している。

という事情を寄せ集めるうちに
一つのアイディアが立ち上がた。
日々の雑記でありながら
生活の細部を書くのではなく
私の内面生活の記録を綴ること。
私的に言えば
これを「創作ノート」と呼ぶ。
それを毎日続ければと思ったわけだ。

うまくいくかどうかわからない。
すぐに行き詰まる恐れもある。
とにかくチャレンジしてみよう。

今日が第1回。
タイトルをつけながら
できる限り毎日更新する。
それがまとまれば
小説の原案になるかもしれない。
困難で不器用なことだけれど
ここに私は自分のブログの独自性を求めようと思う。

創作ノート 10月14日 夢の作品への効用について
夢は死者のコミューンと言ったのは誰だったか?
夢の中の出来事は因果関係の退屈さを逃れ
死者と生者、過去と現在・未来、時ばかりでなく場所の隔たりも超え
無差別に渾然と一つの時と場所を共有している。
この夢の力を作品に利用すること。
無意識は時間をもたない。これは重要なことだ。



言葉を踏んで生き延びろ

危機に臨んでは
その国のかたちが出る。
9・11への報復として
アフガニスタンほかの国を攻撃するのが
アメリカの国のかたちであるなら
第二次世界大戦の敗戦時に
皇居前広場に額ずき
天皇にお詫びをしたのは
日本の国のかたちである。

福島でハーメルン・プロジェクトを展開する
志田さんの近況が
友人を介して伝えられてきた。

子どもたち全員の福島からの避難をテーマとする
志田さんが主催するプロジェクトは
ソフトバンク設立の「東日本大震災復興支援財団」に
支援金を申請したが受理されなかったらしい。
ハーメルン・プロジェクトばかりでなく
ほかの「避難プロジェクト団体」も
軒並み支援金不受理の模様である。
そればかりか福島では
「避難・疎開」は禁句になりつつあるという。
これも危機に臨んだ
日本の国のかたちである。

私の語感が確かなら
「すいません」と「申し訳ない」には
ニュアンスの違いがある。
原発事故に見舞われ
去るに去れない福島県民の心情の一端は
「申し訳ない」に代表されるのではないだろうか。

阪神大震災が神戸を襲ったとき
私の母は新神戸駅近くの
激震地で被災した。
母の住むマンションは
倒壊は免れたものの
ガスも水道も電気も絶たれた状態になった。

JRも私鉄も不通になる中
特殊なルートを乗り継いでいけば
姉のいる岐阜にまで母を逃がす方法がわかり
私は母を連れにマンションに赴いた。
私を前にして母は昂然としてこう言い放ったものだ。
「神戸で生まれて85年。そのお世話になった神戸が
苦しんでいる時に私が神戸を離れるのは申し訳ない」と。
母同様福島の人々も苦しんでいる福島を
見捨てるのがしのびないのだろう。

1910年生まれの母であるけど
古いタイプの日本人というわけではない。
熱心なクリスチャンで
1930年代に音楽大学でピアノを専攻し
90歳を超えてもまだ
ピアノのレッスンで生計を立てていた。
どちらかというと
日本情緒に欠ける親だと思っていただけに
母の言葉に私は驚かされた。

私たち日本人は運命共同体意識が強く
また弱虫と思われるのが嫌いである。
頑張っている人を置き去りにして
自分だけ逃げられないと思うのは当然だろうが
一歩間違えば
放射能ごときに負けてたまるかという
とんでもない敢闘精神がそこから顔を出す。

多くの外国人に誤解されるように
私たちは上からのどのような強制にも
羊のごとくおとなしく付き従っているわけではない。
私たちは何事によらず不平を鳴らすことを潔しとしない。
不平家が嫌いなのである。

また困難を共に堪え忍ぶことが好きで
現場に踏みとどまり汗を流す人間を尊敬する。
ときにはどちらがより多く苦労したか
貧乏比べをすることで
報われようとする欠点も持ち合わせているが・・・・・・。

福島県立医科大学の副学長が
「放射線はニコニコ笑っている人にはきません」と言った。
ここまで来れば竹槍で戦闘機と戦えるという
戦時の精神主義と紙一重。
ここにも日本の国のかたちが現れている。

母の律儀を笑ったが
阪神大震災で
私にも同じ瞬間があった。

アパートの二階部分に押しつぶされ
圧死した友だちの奥さんの枕元離れ
家に向かう途中だった。
真っ暗な町に突然電気が戻ってきたのだった。
街灯が次々と灯り
灯火リレーが町を走った。
4日ぶりに見る光景に
「あぁ灯りや、明るいなあ」と私は思わず叫んでいた。
そして星のない空を見上げ
私はつぶやいた。
「この町と生きよう。ここに踏みとどまって頑張ろう」と。

阪神大震災において誓った
「この町と生きよう」との思いは
福島を捨てられない人たちと
同質のものであろう。
しかし原発事故は地震と同じでない。
子ども、妊婦、若い男女は言うにおよばず
逃げられる人は全員逃げよう。
「避難・疎開」を禁句にしてはならない。
疎開をすることは
弱虫でも 不平家でもないのだから。

私の福島に対する今の気持ちを示すために
ある出版社の依頼を受け
最近書いた詩の一部を引き写す。
題は「言葉を踏んで生き延びろ」とした。

「言葉を踏んで生き延びろ」

垂直に生きる少年たち
君たちは逃げろ。
藍色した喉を守り
セロハンのような海にまで逃げ延びろ。
君たちの旅は
終わりから始まり
めまいで終焉するだろう。
それでもひるまず
強さを弱さとして偽装すれば
北の斜面に咲くコブシの花陰が
君たちを生き延びさせてくれるはずだ。

少女と娘と女性の胚を抱える君たち。
昼間の見えない星のような君たちの体。
雪の記憶が降り積もる君たちの沈黙。
深海に架かる虹の不思議に育てられた君たちの乳房。
水から生まれ水に還る君たちの子宮。
長雨のたびにゼロに戻る君たちの生理の神秘。
君たちの希望は
もうここにないかもしれない。
箱に残るは君たちの曲がった希望。

私はまず時差ボケをなおす薬を飲む。
そして私生児の言葉と
千の目と風が脱ぎ捨てた着衣と
おしべの花粉と
静かな胸と
正午の覚醒と
駆け下る川のスピードと
スキップするチェロと
カフカの本と
セミの汗と
い ろ は に ほ へ と
それで言葉の地図を作ろう。

子どもたちよ
私は君たちのために
言葉に旅装束を着せる。
旅は笑う。
哄笑する。
地平線を絵の具で塗る。
運命がカタツムリのように歩く。
砂漠に落ちた一滴の涙。
もう感情移入はするまい。
美しい死者の弔辞は読むまい。
高所恐怖症者が集まる町。
君たちはそこで希望を探せ。

言葉を踏んで生き延びろ。


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