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今、ここ、この瞬間

イチロー選手の11年連続
年間200本安打はならなかった。

9月のデータを比べてみて
おもしろいことに気づいた。
連続マルチヒットの数である。

昨年度の9月は
4試合連続のマルチをはじめ
2試合連続が3度
合計4度の連続複数安打記録を
達成している。

それに対して
今年の場合はわずか1度。
9月9日に2本ヒットを打ち
翌10日に4安打の固め打ち。
多くのファンは「きた、きた」
と思ったに違いない。

これで一気に200本へ
との期待もむなしく
その後は判で押したように
2安打の次の日は無安打か1本のヒット。
それが最終戦まで続いた。
9月ばかりでなく
ほかの月も似た事情である。

ちなみに昨年度
もっとも長く続いた
マルチヒットの試合数は7である。
3安打が3試合 
2安打が4試合の固め打ち。
1週間に17本量産した計算である。
複数安打のデータだけを見ても
イチローの好調が今年に限って
持続しなかったとわかる。

シーズン終了後の記者会見で
イチローは「なぜか晴れやか」と心境を語った。
それに続けて
「200本安打は皆さんが想像するより
ほんの少しだけむずかしいのですよ」と言ったらしい。
イチローらしい名言である。

この談話を読んだときに
エベレストの最高峰を征服した登山家なら
イチローと同じことを口にするのではないかと思った。

私たちはデータや確率
記録を達成した選手の数
それにわずかばかりの
自身の野球経験を加えて
偉業の困難を推察するしかない。

しかしそれらはあくまで
見慣れた景色の出来事としての
数値化可能な資料であり
想像でしかない。

最高峰の空気の希薄さを
肺や心臓、骨や皮膚が知らないように
バッタボックスに立つイチローの
細胞のざわめきや
視界に映る球場の様子。
スパイクに反発する土の悪意。
グランドの匂いや声が呼び寄せる
過去の一場面への幻視
雲の変化に動いた意識の流れなど
バットを構えたイチローの
体と心のドラマの全体像に迫る術は
私たちにはない。

このように心身で起こる
細かな反応の積み重なりが
打撃に影響を与える。
これがイチローをして
「ほんのちょっとむずかしい」もの
と言わしめたのかもしれない。

私のこの推察に
根拠がないわけではない。
私たちはしばしば
自分が遭遇する物事への
自身の関与を過大視しがちである。

野球を見に行くような場合に
自分が球場に足を運んだから勝てた
と思うことがあるし
逆に自分が行けなかったので
贔屓のチームは負けたと悔やむことがある。

自分が上げた大声援が選手に届き
それがホームランを生んだとか
手を振り回してヤジる私の姿に
動揺した敵の選手のミスで勝てた。
これが私たちの頭をよぎる
勝敗の分かれ目で果たす
自分の姿である。

5万人を超す大観衆の中での
たった1人が応援する力なんて
とは私たちは思わない。
大海に落ちた一滴が起こす
奇跡的な化学変化は
どこかで信じられている。
それは私たちの肥大した自我と
堅く結びついたある種の自己確認の方法である。
そしてその自己確認と対称的な関係にあるのが
「ちょっとだけむずかしい」ものの正体かもしれない。

10年連続200本安打記録を達成したあとの本年は
イチローにとって試行錯誤の年であったそうだ。
それがどのような実験であったのか
イチローの来年が答えをだすだろう。

ヒットが出ずに苦しみながらも
イチローが最後の最後まで見せてくれたのは
野球をすることが
打席に立つことが
楽しくて楽しくてしかたがない
野球小僧の輝きに満ちた表情だった。

そして「今、ここ、この瞬間」に集中することで
イチロー選手は184本ものヒットを
今年も量産した。

やはりスゴイ
という以外に言葉はない。

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あなたも怒ってますよね?

私の会社のおもな仕事は
大学生のためのテキスト作りである。

扱う分野は論理的思考力
問題発見力 問題解決力
コミュニケーション力
文章力などである。

このような領域の事柄を
私は特別によく知るわけではない。
私の専攻は社会学で
しかも学を究めることなく
中退して世に出た。

最初に選んだ仕事は
フルコミッションの営業職。
その後フリーのライターとなり
映画プロダクションに身を置き
塾講師をへて33歳で会社を作り
その後3つの会社の経営に携わった。

テキストを書くにあたって
ものを言ったのは
この経営者としての経験だった。

例を挙げるなら
私は800名を超える応募者を
これまで面接してきた。
この実体験がテキスト作りを支えた。

社会人基礎力をテーマにしたこれらの本では
「リスク管理」が取り上げられた。
社会にはリスクがあふれ
その管理の失敗が組織や活動の
命取りになりかねないからだ。

リスク管理は
2つのレベルで行う。
1つ 予想されるリスクの要因を未然に取り除く
2つ リスクが起きてしまったときに備える。
   備えを超えるリスクの発生が予想されるなら
   計画そのものを断念する。
である。

福島原発事故に照らせば
東電は1のリスクの要因を取り除いたことはわかる。
しかし2に対しては不十分どころか
科学を宗教に変え
リスク管理の代行をさせた。
「原発で事故が起こるはずがない」
これは「神は無謬である」と言うに等しい。
それでも事故は起こった。

確かに原発は私が想像もつかない
高度な科学技術で成り立っていよう。
いくら高度な技術を駆使しようと
技術が機械に結実する限り
故障という機械の宿運から逃れる術はない。
また操作が人間に委ねられる以上
ミスはつきものである。

今回の事故において
高度な技術的理由を除けば
「停電と断水」ではないか。
どこの家庭にでも起こりうるこのような要因で
いとも簡単に放射能は外部に漏れ出て
日本崩壊の危機を招く。

リスク管理の原則では
コントロール不能が予想されるなら
計画そのものを断念しなければならない。
リスク管理に精通し
日々その必要性を叫ぶ産業界からは
核分裂を停止させる方法すらわからない
原発への依存を見直す声は上がらない。
逆にもっと原発をという大合唱が聞こえるばかり。

私は大学に関わる仕事をする関係で
経済団体の大学、学生への提言を目にする機会が多い。
彼らは大学生(人材)に対して次のような注文をつける。
「人類が共有する『知』である教養を継承し
社会性や公益性を重視し 社会規範意識と倫理観
『人間愛』を兼ね備えた人材が求められる」と。

電力会社の膨大な広告収入が欲しくて
ものが言えないマスコミ各社。
三菱 日立 東芝、パナソニックほか
原発関連企業からの仕事がなくなることを恐れ
身動きがとれない多くの上場会社。
その経済団体に「社会性」や「公共性」
ましてや「人間愛」を語る資格などない。

彼らの頭にあるのは目先の利益
会社の成長と防衛だけである。
人類の未来も
放射能汚染で苦しむ子どもの姿も
第1次産業の崩壊への憂慮もなく
食品にはじまり
放射性廃棄物の「下の世話」まで
世界に依存する
この国のゆがみを自覚する感受性もないのだ。

少なくとも学生や私たち市民には
いいものはいい、悪いものは悪い
正しいものは正しいと言える
精神の自由と
それを口にすることによって
被るかもしれない不利益を
甘受する覚悟と気概くらいはある。

それに輪をかけたようにお粗末な政治家たち。

野田首相が国連で演説した。
日本からの新味ある
かつ有益な提言を期待できない各国首脳は退場し
会場はガラガラだった。

演説の中で野田首相は
冷温停止状態の実現を宣言したが
それが事態収拾にあまり関係のない
パフォーマンスとレトリックだと
私たちは知っている。

野田首相は原発の安全性に触れ
それを世界最高水準にまで引き上げると語った。
しかしながら原発依存の見直しが世界の趨勢である現在
原発の安全性ではなく
安全に原発を廃炉に導く技術において
世界最高水準にすると
日本は表明すべきではなかったか。
そして廃炉の技術こそは
原発を抱える世界にとって
もっともホットな経済のテーマとなるはずなのに・・・。

原発輸出推進を語るにおよび
私は内容の乏しい首相の演説に
ただただ失望してしまった。

原発と核兵器の技術の共有、通底性から言えば
原発の輸出は世界唯一の被爆国日本が
途上国を核攻撃するに等しい愚考である。
原発を稼働させることにおいて
それらの国の人々は
広島・長崎がそうであったように
一生涯にわたって
放射能に怯え続けなければならなくなる。
原発を輸出するなら
日本は二度と唯一の被爆国を
口にできないと肝に銘じるべきだ。

私たちは日本の政治家と経済界のこの体たらくに
もっと怒らねばならないのではないか。
国会で議員の怠慢を糾弾した児玉教授ほどでないが
私は怒っている。

あなたも怒ってますよね?

風力発電の行方

だいぶ以前のブログで
淡路島の家のすぐ近くに
12基もの風力発電の巨大建築物が建つと書いた。
いよいよその計画が山場を迎えている。

施主の関電エネルギー開発は
5基建設を諦め
最終的に7基に減らしたが
その手直しは私に益するところはなかった。
淡路市が建築計画書を認可すれば
すぐにも工事がはじまり
私はこれから死ぬまで
120m超の巨大な風車に威圧され
騒音と共に生きなければならない。

調べれば調べるほど
風力発電には多くの問題がある。
それを数え上げるより
私が淡路市と施主に提出した要望書を
見てもらう方が手っ取り早いと考え
そのまま一部を再録することにした。
以下がその文である。

要望01 風力発電施設が受け入れがたい第1の理由に、景観の問題があります。当該施設が、私の家からの眺めを著しく損なう恐れがあることをお認めになりますか。お認めになるなら、景観をどのように守るのか、その方法を具体的にお示しください。

要望02 2011年3月環境省は「風力発電施設の審査に関する技術的ガイドライン」を作成し、「風力発電施設の立地地点は、優れた自然の風景地を確実に回避すること」を求めています。その精神はまた、2011年6月に環境省総合環境政策局の報告書にも受け継がれています。平林の海岸線一帯は「淡路サンセットライン」と呼ばれ、遠くに小豆島、家島群島を望み、播磨灘の滄海が広がるなど淡路島屈指の景勝地です。御社の計画は、明らかにこの環境省のガイドラインを無視するものですが、環境省の指導案に対する御社の見解を具体的にお聞かせください。

要望03 騒音の問題は大きな健康被害をもたらす恐れがあります。御社の資料は、数値が微妙にちがうなど信頼性に欠けます。この調査は公正な第三者機関による予測なのでしょうか。シミュレーションに基づく数値とはいえ、この数字を元に建設の可否を決めている以上、別の機関での再調査を求めます。実行していただけますでしょうか。

要望04 数値だけでは、どのような音として感受されるのかイメージがわきません。真夜中に建設予定地で音源を作り、私の家のテラスで予想される騒音を実際にお聞かせください。またこの実体験を希望する近隣住民の参加をお認めください。

要望05 低周波音被害についての、御社の基本的な考えをお聞かせください。また御社が調査された被害の実態をできる限り詳しくお示しください。「低周波音被害は個人によって差がある」とのお話を前回うかがいました。被害の上限と下限を事例に基づきお示しください。またその被害の実態を調べた上での、御社の見解をお聞かせください。その際、個人差の評価、すなわちどのような人が被害を受けやすいのかを、年齢、性別、生活歴などの違いに基づきお示しください。近い将来、低周波音が人体に重大な健康被害をもたらす、との事実が明らかになれば、その時点ですぐに風力発電を中止していただけますか。

要望06 シャドーフリッカーについて、御社の見解を聞かせてください。私の家、畑において それぞれの季節とそれぞれの時間において、どのような視界になるのか、方向、継続時間などと一緒に、シミュレーションした画像(模擬図)をお見せください。

要望07 シャドーフリッカーについても、症例がいくつか報告されていると思います。どのような被害があると、御社は認識されているのかそれをお聞かせください。またその被害を軽減するための具体的な対応策をお示しください。

要望08 労働についての御社の考えをお聞かせください。平林の労働の多くは農業です。私たちも加齢に従い農業に従事する時間が長くなります。私の畑における騒音を数値でお示しください。その数値を把握されましての御社の意見、感想をお聞かせください。工場労働者にも、騒音の基準があります。自然相手の労働では、騒音はどれくらいが堪える限度か御社の考えをお聞かせください。また畑でのシャドーフリッカーの被害についても、騒音と同様の回答をお願いいたします。

要望09 信頼できる情報によれば、淡路市では、風力発電施設が建設されたあとであっても、風車より250メートル以内に住居が建てば、風力発電の停止を勧告する方針であるようです。何度もお伝えしましたように、風車近くにあります私たちの土地に、近い将来恵まれない子どものための施設を建設するつもりです。そうなりましたら、勧告通り風力発電を中止していただけますでしょうか。

要望10 風力発電建設により、私たちの土地・建物などの資産価値はどれくらい下落すると予想されていますか。その場合どのような補償を考えておられますか。

要望11 風力発電施設が建ったとして、台風などによる倒壊、故障、風車の欠落などの事故が生じ、人的被害が出た場合には、どのような補償をお考えですか。また精神的な被害の補償についても見解をお聞かせください。

要望12 私たちにとって、風車の最大の問題は景観であると申し上げました。事故、あるいは御社の社内事情、ほかの何らかの理由で風力発電を止めざるを得なくなったとき、風車を完全に解体・撤去し、原状回復を求めたいと思いますが、御社の考えをお聞かせください。

ALL GRIT(すべて気持ち次第)

この年になって
GRITなる英語をはじめて知った。
「砂岩」の意味と共に
「気骨」とか「勇気」「肝っ玉」
という意味もあることがわかった。

さらに調べていくと
本年公開された
コーエン兄弟監督の「トゥル・グリット」の
グリット=GRITではないか。
「何だ-このグリットなのか」
と私は合点がいった。

「トゥル・グリット」は
一風変わった西部劇である。
主人公は14歳の少女。
わずかな金のために
雇い人によって殺された父の恨みを晴らすべく
彼女は有り金をすべて持って
「真の勇気がある」と評判の
大酒のみの保安官に復讐の依頼に行く。

はじめ彼女を子ども扱いにして
相手にしなかった保安官だが
少女の熱意と決して諦めない気骨
それに大金への誘惑も加わり
復讐の手伝いをすることになる。

少女も交えた追跡者と
逃げる悪漢たち・・・・・・。
映像美も含めてなかなかいい映画だった。
とりわけ三つ編みの可愛い少女と
復讐劇というミスマッチが香辛料となり
ピリッとした結末を準備した。

この映画は
ジョンウェインが主演した
「勇気ある追跡」のリメイク版である。
原作はアメリカの小説「The Grit(真の勇気)」。
知らなかったなあ。

私がなぜGRITを取り上げたのか。
それにはわけがある。
1年を通して追っかけをしている
アメリカンフットボールチーム
「KGファイターズ」の掲げた
今年のチームスローガンが
「ALL GRIT」なのだ。
彼らはそれを
「すべては気持ち次第」と訳した。
ここ5年でのファイターズの
ベストスローガンだと思う。

スポーツは体力 気力 知力の勝負である。
アメリカンフットボールでは
とりわけ知力が重視される。
ファイターズは精緻な分析と
それを生かした巧みな戦略で
長く学生王者に君臨してきた。

しかし「聖地」と呼ばれる
地元甲子園球場で行われる
「甲子園ボウル」から遠ざかること3年。
4年振りの悲願の優勝に向け
選手たちが選んだスローガンが
「ALL GRIT」なのだった。

戦略を練り上げ
戦術を駆使し
体力と知力を磨いても
最後にものをいうのは「気持ち」
彼らはそれを「ALL GRIT(すべては気持ち次第)」
と表現した。
うーんいいじゃあないか。

本年の4年生の掲げた
スローガンを聞いたあるコーチは
「3、4年生はとくに勝ちに飢えてる」
と評したらしい。
勝つことに飢える。
それはリベンジを誓うスポーツの
絶対条件と言えるだろう。

15日に甲子園球場で中日戦を見た。
何ともふがいない試合で
とりわけ「GRIT(肝っ玉)」のなさに失望した。
投手陣はそこそこだけれど
打者は気持ちで負けている。

このところの敗戦パターンで
何の抵抗もできずに
「ダメだ、ダメだ」とズルズル負けていった。
これではアカン。クライマックスには出られない。

阪神と言えば
2003年の星野タイガースの
「勝ちたいんや」がおそらく
誰の心にも刻み込まれた
もっとも印象的なスローガンだろう。

選手とファンの気持ちがたっぷり入り
何をすべきか行動目標も明確。
どのように試合を支配するかも
大阪弁のニュアンスで
しっかりと伝わってくる。
これこそスローガンのお手本だ。

ちなみに今年のタイガースのスローガンは
「そのプレイ、その一瞬に集中せよ」である。
私が見た中日戦では
スローガンと裏腹な
集中できない凡ミスの連続であえなく敗退。

つまりこのような抽象的なスローガンでは
何をすればいいか。
どう戦うのか。
何を大事にしながら勝利を目指すのか。
個々の選手にはまったくわからないのだ。

今からでも遅くない
即このスローガンを廃して
「勝ちたいんや」に戻せば
リーグ優勝の奇跡も不可能ではない。

何に腹が立ったかと言えば
このスローガンは昨年の使い回しである。
2010年に起こったことは記憶に新しい。
クライマックス第1ステージで
巨人に連敗し次に進めなかった。

この不名誉な試合を支えたスローガンを
そのまま翌年に使い回す神経が
私にはわからない。
惨敗したにもかかわらず
改革を目指さなかったところで.
阪神の現在が決定したと私は思う。

16年前の阪神大震災の記憶を振り返ると
今年はタイガース KGファイターズが
王座を奪還する年である。

何をしとんねんホンマに!!!!!
甲子園をあとにするとき
私は思わずそうつぶやいた。

映画と小説の接近

偉大なる内面の人間に与えられる
平凡な外観。
この問題にこだわった作家に
スタンダールがいる。
彼はミケランジェロの苦悩を通して
この難問に答えを与えようとした。

ミケランジェロ以前の絵画や彫刻では
キリストの偉大さは
シュワルツネッガー並みの肉体で表現された。
偉大さが強さ 恐ろしさと同義の
精神・文化を反映した結果である。

傑出した内面に
慈悲 恩愛 無垢 善良 公正
などが加わることにより
ボディービルダーのような姿形で
超人を表現することは不可能になった。
スタンダールはミケランジェロの転機を
「ピエタ像」の技法に見た。

「ピエタ」は十字架から下ろされたキリストを
母マリアが膝に抱え悲嘆に暮れる彫像である。
華奢な手足 薄い胸 軟弱さを示す顔の表情。
ミケランジェロは外面から強さを一掃しながら
比類なきキリストの心の豊穣を
皮膚にあたる大理石に磨きをかけることで表したと
スタンダールは説く。

スタンダールの本を読んだ当時
大学生であった私は
この説にいたく感じ入ったものである。
姿形の透明感。
偉大な心の持ち主にふさわしい外観はこれだ。
自身の内面と外面の不一致に悩んでいた私には
それは一筋の光明であった。

このところ立て続けに北欧の映画を見ている。
「ヤコブへの手紙」 フィンランド映画
「4月の涙」 フィンランド映画
「光のほうへ」 デンマーク映画
「未来を生きる君たちへ」 デンマーク映画
どれも素晴らしい作品だった。

「光のほうへ」には
忘れがたいシーンがある。

幼い兄弟に弟ができた。
アル中で未婚の母は子どもの誕生を
喜ばないばかりか育児を放棄し
名前さえつけてやろうとしない。

親からの生活費を当てにできない兄弟は
盗みで生きる糧を手に入れる。
新しく家族の一員となった弟のためにも
彼らは哺乳瓶やおしめを盗み
母親の代理をけなげにやり通す。

あるとき2人は子どもに名前を与えてやろうと
幼児洗礼の真似ごとをする。
画面は白一色。
兄弟は赤ん坊の額に水をつけ
電話帳から見つけた名前(マーティン)を
弟に授けてやる。
神々しく兄弟の愛情が充溢したシーンだ。

不注意から兄弟は赤ん坊を死なせてしまうが
長じて家庭をもった弟の子に
その名マーティンは引き継がれ
映画のラストのわずかな光へとつながる。

映画の原作は
「サブマリーノ」(潜水艦 そこから顔を水に押し沈める拷問を意味する)。
ヨナス・ベングトソンという
若いデンマークの作家の作品だ。

492頁の大冊であったが
私は1日で読んでしまった。
暗くどこにも光のないストーリー。
驚いたことに洗礼のエピソードはなく
ラストのカタルシスもない。
映画が生んだ独自のシーンであったのだ。
原作に追加された挿話によって
「サブマリーノ(拷問)」から
映画「光のほうへ」への転換が可能であるとわかった。

一昔前までは
優れた小説を映画化することは
無謀な試みと思われていた。
小説で描かれた主人公の偉大な内面を辿るうちに
私たちは自身の中で主人公に好みの外面を与えるため
映画に登場する主人公の姿形が
自分の描いた像と齟齬を起こし
その存在を受け入れられないからである。

たとえば吉田修一の小説「悪人」と
映画の「悪人」を比べてみよう。
私たちは何の抵抗もなく
妻不木聡や深津絵里の外面を受け入れられる。

同じ「悪」をテーマにしながら
現在の小説には「形而上学的悪」と呼べるような
人間存在を根本から揺るがす「悪」は描かれず
誰の身にも起こりうる小さな「悪」が扱われるため
主人公には身近で平凡な外観が
かえって必要なのだろう。

スタンダールを悩まし
また過剰な自意識に苦しむ現代の若者たちにとって
依然として悩みの種であるはずの
偉大な内面と外面の矛盾というテーマは
どこに向かうのか。

小説が複雑な内面描写を
あきらめることによって成立した
映画と小説の接近が
両者の未来にとって幸せなのかどうか
にわかに判断できない気がする。

夢のプレゼント

文学の世界の新人賞は
プロ野球で言えば
ドラフトにかかったようなものである。
「お前はまだまだ未熟であるが
素質はそこそこあるようなので
精進すればプロになれるかもしれない」
こう引き立てられるのが新人賞であろう。

ほかの新人賞でもそうなのか
新潮社の場合
受章後第一作というのを
無条件で書かせてくれる。

私はせっせと小説を書き
編集者に送り続けた。
結果はことごとくボツ。
私には「悪が書けない」と
編集者は嘆いた。

あるときこのようにも言われた。
「私はあなたが作り出す主人公より
あなた自身の方がずっとおもしろい。
興味がある。
この意味がわかりますか?
悔しいでしょう?こんなことを言われて」と。

確かに私は悔しかった。
小説とは畢竟
自分を超える可能性を夢見ることであるのに
私にはその資格がない。
一生お前は自分の狭い世界から飛び立てない。
彼はそう挑発したのだから・・・。

はじめのうち
私の作品に対する彼の評も
私をとまどわせた。
編集者は文学史上の泰斗を引き合いに出し
「このテーマはすでに太宰治がやり尽くしたことでしょう」
「あなたは三島由紀夫の美意識を真似たいわけですか」
などの言葉で不採用の理由を明らかにした。

彼の言葉に対する
当時の私の困惑を
月並みな言葉で表せば
「そんなえらい人と比べられても・・・」
ということになる。
大作家と比較されただけで
腰が引けるようでは
私の作家としての可能性も
そこで定まったも同然だ。

話をプロ野球に戻そう。
編集者の評を野球に置き直せば
2010年高卒ルーキーの今村猛(広島カープ)が
阪神の金本との対決を命じられたようなものである。

今村投手はそこで奮い立ちこそすれ
金本との対戦にとまどったり
大先輩との対決を
不当だと尻込みしたりはしないだろう。
ダルビッシュもそう 楽天のマークンしかり
菊池雄星しかり 阪神の秋山しかり。

プロ選手としてデビューするとは
伝説の大打者 大投手と渡り合い
ねじ伏せるのが夢である覚悟を意味する。
そのような強い意思の持ち主だけが
登竜門を突破できる。

私の動揺を見て取ったのか
編集者は静かに言った。
「私たちは長い時間をかけ
何千万円というお金を費やし
あなたという金の卵を見つけた。
これまで誰も書いたことのない小説を書き
あなたが会社に利益をもたらしてくれ
はじめて新人賞に意味があったと思えるのです」

新人賞を夢のプレゼントと思っていた
私の子どもっぽく甘い理解は
その瞬間に吹き飛んだ。
新人賞は展示会であり
そこで質が良く 
売れそうな商品を見つけだし利益を上げる。
大人なら常識の経営の鉄則こ
この期におよんで気づく始末だった。

ルーキーイヤーを卒業した
今村選手の本年の成績は
9月9日現在 2勝6敗 2セーブポイントである。
9月6日の阪神戦には
2番手ととして登板し
無難な救援役を果たした。

プロとして地歩を固めつつある今村投手を
オールドルーキーの私も
頑張って追いかけなければ。

津波とイチロー

「10万年後の安全」という映画がある。
原子力発電所から出る
高レベルの放射能性廃棄物の最終的な保管方法は
各国が頭を痛める問題である。

その問題にある回答が出た。
フィンランドのオルキルオトでは
堅い岩盤を削って地下都市のような巨大施設を作り
そこに廃棄物を閉じこめる。
そうすれば10万年間は安全だというのである。

廃棄物が一定量になると施設は封鎖され
永遠に封じ込めてしまう。
何もかも好都合のようだが
1つ問題が持ち上がる。
10万年たってそこに何が保管されているのか
そこで住む人にどのような手段で伝えればいいのか。
未来の人々は
今私たちが使っている言葉や記号の意味を
はたして理解できるのであろうか。

「10万年後の安全」は
建設中の施設にカメラを入れ
地球の未来の安全性とは何かを問いかける
2009年のドキュメント映画である。

10万年後の人に
言葉や記号を駆使して
何かを伝えるのはなるほど難題である。
核廃棄物の危険性を知らせるには
少なくとも「危険」「死ぬ恐れ」「入るな」「触るな」「食べるな」
というメッセージは必要だろう。

日本では禁止の多くは「×」で表現される。
死の警告は「ガイコツ」か。
しかしこれらは今の私たちの価値観であって
10万年後には「ガイコツ」が
「I love you」を意味するようになっていないと
誰が断言できるだろう。
「×」にしても私たちの子孫は
「ありがとう」と解釈するかもしれない。

あなたならどのような記号を
この施設につけるだろうか。
考えてみてほしい。
私が思いつくのは
手足、首などがバラバラになり
目は渦巻き状態で倒れている人の絵くらいだ。

多くの国 地域には
独自のハザードシンボルがある。
たとえば「バイオハザード」のマークをあなたは知っていようか?
「化学兵器」「レーザー」の記号を見ても
おそらくあなたにはわからないと思う。

これらの解答例は
「ハザードシンボル ウィキペディア」で
見ることができる。
10万年の後のマークを考える際にも役立つので
このサイトをぜひ覗いてみてほしい。

10万年後の人々に
施設の放射性廃棄物の危険性を知らせる
決定的な方法を私は知ることができた。
ここ日本で。日本人はスゴイのだ。

1854年(黒船来襲の年)安政南海地震が起こり
大阪湾にも津波が押し寄せ
700人以上の人的被害を出したほか
8000隻を超す船も破壊され
大阪のおもだった橋が流されてしまった。

その地震の恐ろしさを記した碑が
大阪ドームの近く
安治川と木津川の合流点に建っている。
碑文には地震が来れば津波が来ると思え
津波が来たら船を使うななど
多くの教訓が書かれている。
しかしこの碑のスゴさは
最後に記された一文にある。
「ときどき碑文が読みやすいように墨を入れ 伝えていってほしい」と。

地域の人たちは
その教えを守り
毎年お盆の時に碑文に墨を入れるらしい。
10万年後にメッセージを伝えるには
この方法しかない。

100年後 1000年後には
今の言葉 習慣 所有物 価値観は
変わってしまっている。

しかし今年通用することは
来年通用する。
来年理解できるなら
再来年も理解できる。
一年ごとの更新を
10万年にわたって行えば
未来の人々に伝言はきっと届く。

この考え方は
イチロー選手の哲学でもある。
200本と思うから大変なのであって
1本の次は2本を目指し
2本の次は3本が目標となり
それが200回重なれば200本安打となる。

9月2日 12時15分現在
イチローはライト前にタイムリーヒットを放ち
安打数は155本になった。
私が予想した203本まで
あと48本。
頑張れイチロー。

今日連載小説の最終回をアップします。
次は書き下ろし小説の連載をはじめる予定です。
よろしくー
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