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国は私たちを守ってくれる?

日本の公務員は
人口1000人に対して
40人ほどいるらしい。
もし国に守ってもらいたいものが
肉体も含めた
物理的保護であるなら
これはできない相談である。

数の論理は厳粛で
私たちは私たち自身の身を
自分で守るしかない。
個々の安全を保証するには
公務員は少なすぎる。
空襲などによる戦争被害を見れば
明らかである。

阪神大震災で揺れが収まった直後に
目の前の家が炎上した。
私はマンションの2階から見ていたが
不思議な光景だった。

私が住んでいた西宮北口一帯は
数百メートル四方にわたって壊滅状態で
町は無音に支配されていた。

家屋は瞬く間に炎に包まれたが
誰一人外に飛び出すものもいず
消防車のサイレンが聞こえるわけでもなく
ただ火だけが黙々と
自足しながら炎を上げ続けた。

1人の老人が
家の前を通りかかった。
燃え上がる家を不思議そうに見上げ
やがて立ち去り際に彼が発した声が
町で耳にできた唯一の音となった。
「家が燃えとんぞ 誰かどないかしてくれ」
そう繰り返しつぶやく彼の声が
火事場から吹き上がる煙のあとを追い
被災地の空に残響を残さず行き渡った。

10分くらいしたころだろうか
近所の人が燃える家の前に集まりはじめた。
私も消化器を手にその輪に加わった。
高い煙突をもつ風呂屋も含め
近辺で倒壊を免れた建造物は皆無だった。

延焼を防がなければ
一帯は火の海となり
家の下敷きになって
救出を待つ被災者は焼け死んでしまう。

私たちは小川をせき止め
バケツリレーで消火活動をはじめた。
頼るものは何もなく
心得のない近所の市民ばかりで
水をかけ私たちは類焼を防いだ。

消防自動車は最後まで現れることなく
消防士も警官も市の職員も
誰一人駆けつけてくれなかった。
これが国(公権力)と私たちの
ある側面から見た関係である。

別の側面もある。
私の友人の奥さんが生き埋めになった。
死力を尽くし
彼女を救出しようとしたが
日が暮れてしまい
作業をうち切らざるを得なかった。

瓦礫を取り除き
家を埋めた家財道具をかき分けると
布団と多くの靴の間から
小さな白い手が突き出ていた。
それが奥さんの手だった。
手以外は何も見えず
どっしりとのしかかった土壁が
彼女の体全体を被っていた。
土壁と梅干しの匂いがしていた。

生き埋めになった彼女の手は
電流の流れを示す形で静止していた。
その手を友人は握り死を確認した。
「うん あきらめます」と彼は言った。

翌日通りかかった自衛隊の一団に
遺体の収容を依頼した。
青森から派遣された若い自衛官だった。
彼らは工具を使い
いとも簡単に瓦礫を取り除き
彼女を友人のもとに返してくれた。
これも国と私たちの関係の一側面である。
きっと人の死は
公権力の管轄事項なのだろう。

彼女を納棺し荼毘にふす局面で
国と私たちの新たな側面があぶり出された。
私は遺体安置所となった小学校の理科室で
棺の到着を待っていた。

棺の数は圧倒的に不足し
運動場に棺を積んだ車が到着するたびに
安置所を飛び出した遺族の間で
厳しい争奪戦があった。
力のあるものは棺を得て
喪った縁者の死に形を与えてやれた。
公権力は個々の事情に属する
喪のありようまでに力を貸してくれることはない。

市の職員から西宮をはじめ
近隣の火葬場で
荼毘にふせないことが知らされた。
震災から4日ばかりがたっていた。
説明会で私は質問した。
「火葬場が使えないなら武庫川の河川敷で
薪を積んで個人的に彼女を火葬したいのですが
それは違法ですか」と。

言下に市の職員は違法だと言い放った。
私たちは武庫川での火葬をあきらめ
普通乗用車の後部座席に彼女を安置し
ずり落ちないようにロープで結わえ
大阪泉南の火葬場まで運び荼毘にふした。
個々の死の処理においても
私たちはすべて自力でやるしかないのだ。

原発事故による放射能汚染で
避難を余儀なくされている福島では
国は私たちを守ってくれるのかという問が
さらに先鋭な形で露出している。

避難区域や避難準備区域など
実態不明の言葉に踊らされ
避難すべきかどうか態度を決めかねている
多くの福島県民は
国か自力かの厳しい選択しなければならない。

国の指示に従い避難をすれば
補償が受けられ
自分で身を守るために行う
「自主避難」の場合は
金銭的負担も自力でという無策 無慈悲の国の方針が
福島県民の行動をさらにむずかしくしている。

「子ども手当」ではないが
事情の如何を問わず
18歳未満の子どもには
無条件で国が全額費用を負担して避難させ
それ以上の年齢で
将来子どもを持ちたい男女には
それぞれの条件を考慮した支援を行い
若い世代の被爆を阻止するべきだと思う。

福島の原発事故において
国が全面的に国民を守り抜く姿勢を示せば
この閉塞状況はいくらかでも
好転するのではないだろうか。

国は助けてくれない
という覚悟を持ちつつ
被災者への国の手厚い助力を祈りたい。
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ハーメルン・プロジェクト

福島県郡山市から来阪の
「ハーメルン・プロジェクト」代表
志田守さんにお会いした。

新阪急ホテルのロビーで
「はじめまして」と差し出した私の手を握り
「木田さんとは何度か電話でお話しをしてますよ」
と初対面の志田さんから言われて
ビックリしてしまった。

だいぶ以前に
私は友人と共同で
教材会社を経営していたことがある。
そのときに郡山で塾を開いていた志田さんに
幾度となく営業の電話をかけたようだ。

「覚えていらっしゃらないのですか」
と志田さんは残念そうに言った。
話を聞くうちに
志田さんの語調の意味するところがつかめてきた。
「この強烈な個性の私を忘れたのですか?」
彼の口振りはそう訴えていた。

なるほど志田さんは強烈な人だった。
行動力の人であり
信念の人であり
不退転の決意を固めた人であった。

60歳にして志田さんは
3歳と6歳児のパパである。
原発事故により
放射能汚染の深刻な実態が明らかになるや
奥さんと子どもをまず静岡に逃がし
さらに岡山に避難させた。
当地で奥さんは職を得
原発事故が完全に終息するまで
福島に戻らない決意である。

志田さんの行動からは
自分の子どもは自分の手で守る
という強い覚悟が読みとれる。
家族と別れて郡山に留まった志田さんは
自身の体験をモデルにし
子どもたちの県外避難を目的とした
「ハーメルン・プロジェクト」を立ち上げた。

「私は福島の子どもを全員逃がします」
「石原知事と橋本知事に会って避難に必要なお金を絶対出させます」
「車にひかれても、何が起こっても、今の私は絶対死なない体になっています」
志田さんは力強くそう言いきる。

セリフは神がかりだが
顔はあくまで2児の父の柔和な表情である。
この「ハーメルン・プロジェクト」を通じて
現在までに500名以上の子どもと家族が
福島を逃れて避難したと言う。

志田さんのやり方はこうだ。
人脈 ネット 電話を総動員して
全国の地方自治体の受け入れ体勢を調べる。
その情報をプロジェクトに関心のある人たちに開示し
避難を希望する家族に旅費などの金銭的援助を与える。
話を聞きながら私は「シンドラーのリスト」を思い起こした。

「ハーメルン・プロジェクト」の名前の由来は
グリム童話などでなじみ深い
「ハーメルンの笛吹き男」である。
街に住む130人の子どもが
笛吹き男と共に忽然と姿を隠したのは
ネズミ駆除の報酬を約束しながら
それを出し渋ったのが原因だった。

福島では130人どころか
1万人を超す児童・生徒が県外に避難し
7万人近くの人が
ユダヤ人さながらに
定住先を見つけられず彷徨っている。

童話と同じように
福島県外への人々の流失は
国と政府・東電の度重なる約束違反
原発事故終息のために真摯に向き合う決意のなさ
腰の引けた取り組みが原因である。

このような事態が続けば
海外のメディアが論じるように
福島はおろか
日本中から子どもが消えてしまう日も
遠くないかもしれない。
それほどまでに日本の危機対応は
人間味に欠け 杜撰かつ場当たりである。

ハーメルンの笛吹き男には
さまざまなバリエーションがあり
またこの伝説の起源についても
数多くの仮説が立てられている。

私がお気に入りの伝説の起源は
次のようなストーリーだ。

ハーメルンは低地にあり
そこから新天地を求めて
ポーランドなどへ向かう若者が多くいた。
消えた子どもとは
街から集団で移動した移民のことで
若い彼らは疎開した先で
新しい国を作り 
町を拓いて東ヨーロッパの基礎を築いた。

グリム童話の結末の影響で
やや暗い響きのあるネーミングではあるが
「ハーメルン・プロジェクト」にも
たとえ故郷をなくしても挫けることなく
新たな生活基盤と文化
福島とは異質で魅力ある生活スタイルを
新天地で構築しようというメッセージが込められていれば
それは福島の新しい可能性を拓くことになるはずである。

大がかりな国家プロジェクトが予想される
福島脱出計画は
保身と利益にしか関心のない
政治家・財界人などではなく
志田さんたちのようなグループこそが
担うにふさわしい。

子どもを救え 母を救え
私もこの志に強く連帯する。

頼まれたわけではないが
「ハーメルン・プロジェクト」の
寄付・支援金受付窓口を記す。

振込口座  ゆうちょ銀行
記号 18260 番号 38117571
名義 ハーメルン・プロジェクト

なるべく多くの方に
この運動が支えられますように。


また会う日まで

13日から21日までの盆休み。
ハイライトは中国人研修生の宿泊だった。
20代前半から30代後半まで
男女9人、引率の日本人を加えた
総勢10名が1泊2日の淡路島での生活を楽しんだ。

前回ゴールデンウイークに来たときは
宿泊を断念してそれぞれの寮に戻った。
彼らには日本人とのつき合いに
厳しい監視の目があるからである。

夫婦1組の研修生を除き
あとのメンバーは全員
中卒あるいは高卒の労働者。
3年間の就労ビザで来日し
研修とは名ばかりの
厳しい単純労働に明け暮れ帰国する。

外国人研修生への過酷な待遇
人権侵害は目に余る。
パスポートの管理 劣悪な生活環境
低賃金 契約・約束の不履行 長時間労働など。
その実態を書き記す機会があればと思う。

そんな日本側の理不尽をものともせず
彼ら中国人研修生たちは
明るくけなげに働き続けている。

内陸の出身者が多いため
彼ら全員が海遊びははじめての経験であった。
初日には海釣りを楽しみ
2日目は勇んで海水浴に出かけていった。

到着した日の夕食は
彼ら全員の協力で実現した中国料理だった。
その日のために献立を考え
少ない給料からお金を出し合い
食材を買い揃え 
料理に合う中国酒まで持参してくれ
8皿におよぶ珍しい家庭料理をごちそうしてくれたのだ。

どの研修生も
勤勉な労働者の家庭に育った美質を身につけていた。
快活な態度 骨惜しみを恥じる気持ち 謙虚 
明るい目 感謝の心 協同する喜び ユーモアのセンス
人なつこさ 優しい思いやり 人への関心 新しいものへの好奇心
開けっぴろげな振る舞い 知識欲 旺盛な食欲 明確な自己意思の表明
いずれも日本の若者が失ったものばかりだ。

彼らの人間味は
映画鑑賞でほとばしり出た。

海水浴から戻り夕食を待つ間
彼らは映画を見たいと言いだした。
私が所持するおよそ600本のビデオ DVDから
研修生たちが選び出したのは
イラン映画の「運動靴と赤い金魚」だった。

言語はペルシャ語 日本語の字幕映画を
この若者たちは理解できるのか
という私の懸念を吹き飛ばし
彼らは映画を楽しんだ。

イランの貧しい家庭の兄妹の物語であった。
無理を言って修繕してもらったばかりの運動靴を
兄のアリはなくしてしまい
親には言い出せず
妹の運動靴を共同で使うことになる。

そんなある日小学生のための
大きなマラソン大会が開かれることになった。
3等の賞品はなんと運動靴。
靴をなくしたアリは
3等になり妹に運動靴をプレゼントしたい一念で
大会への参加を決心する。
妹と共有する足に合わない運動靴を履いて。

映画の後半は
マラソン大会一色となる。
研修生の熱狂が画面に張りつく。
アリの力走に彼らは声援を送り
密集で突き飛ばされてアリが転ぶと
声を張り上げ 指さして不正を働いた子どもに批判を浴びせる。
立ち上がったアリが再び順位を上げていくと
涙を流し 拍手喝采して少年の奮闘を後押しする。

ゴール前のデッドヒートで
数人を抜き去り
アリは上位に食い込む。
タッチの差でアリは1位に。
賞品は海のキャンプ3週間とトレーニングウェア。
豪華な景品にも関わらず
運動靴がもらえずしょんぼりするアリに心を重ね
彼らも涙する。

彼らの映画の楽しみ方は
私たちの子ども時分の映画鑑賞さながらだった。
私にはそれがとても心地よかった。
彼らのように伸びやかで
まっすぐな熱情を
私たちはどこでなくしてしまっただろう。

正月での再会を約束し
彼らは寮に戻っていった。
質素な彼らの夏服の背を
月の光が黄色く染めた。

私に中国語を教えてくれた
研修生のひとりが振り返って言った。
「マンユェよ」と。
「覚えてる」
彼女の指さした満月見上げ
私は答えた。

悪の凡庸さ

盆休みは淡路島で過ごす。
海を見下ろすウッドデッキがあり
食事は毎晩そこで取る。
満天の星。海風の涼しさは抜群。
クーラーなしでバテ気味の体には
いい休養である。

あまりに心地よいので
寝る寸前まで夜空と戯れぐずぐずと過ごす。
デッキに持ち出したパソコンでCDを聴き
とりとめない話をする。
どんな展開でそうなったのか
先日は福島原発事故の真相の話になった。
相手は映画関係の2人の女性だ。

ふたりは福島で何が起こっているのか
東電はみんな知っていると主張する。
私は彼女らに質問をしてみた。

「今回の事故で外部に漏れ出た放射能の総量がどれだけかということも?」
「もちろん」とふたり。
「それによって、国民が今後ガンなどの健康被害で苦しむ予測はどないや?」
「もちろん立ててないはずがないわ」とひとりが答えた。
「メルトダウンした核燃料棒から出る放射能を防ぐ手だてついてはどやろ?」
「燃料棒が地表にあるよりましという認識でしょう、きっと」
「そうなれば日本中の農作物、海産物に致命的な被害が出る」
「十分想定内」ともうひとりが答えた。
「10シーベルト以上汚染されている場所がほかにもあることは?」
「わかってないはずがないと思うな」
「福島をはじめとする日本全国で、これから奇形児が生まれる危険性については」
「数字上では理解しているはずね」

これが彼女たちの意見だった。
私は反論した。

「俺はチャウと思うなあ、日本を、世界を滅ぼす根性は東電の社員にはないで」
「発想が違うのよ。滅ぼすとかそんな風に考えない」
「そうやろか?とてつもない悪やで、日本人、人類を滅亡させることは。そんなこと あの平凡なサラリーマンが堪えられるか?」
「悪とか善とか関係ない 仕事なのよ。自分らの大事な仕事。あの人らはそれをまじめに ソツなくやりきるだけ」
ふたりは頑として言い張った。

ひとりが残り物のリゾットを
別の容器に移す様子を見ているうちに
なぜか私にひとつの思いが浮かんだ。
「たとえば薬剤エイズの被害みたいなもんやろか?犠牲者が出ることが予想できたのに投与を続けた」
「かもしれんね」
「それならわからんでもないわ。『悪の凡庸さ』か かなわんなあ」と私はため息混じりに締めくくる。

「悪の凡庸さ」はナチの戦犯として捕まった
アイヒマンの裁判で使われた言葉である。
「人類の敵、卑劣な民族浄化の実行者」と追求する検事に対して
「私は忠実に業務を果たしたのであり、組織の歯車にすぎない自分に責任はない」と彼は言い放ったのだった。
数百万人の命を奪った共犯者であるアイヒマンの亡霊が
まさかこの日本に現れようとは・・・。

「さっきの奇形児が生まれるという話だけど」と
映画の宣伝をやっている方の女性が切り出した。
「『チエリノブイル・ハート』という映画と
『明日が消える』というドキュメントが
8月に公開される。絶対見て」と。

翌日ネットで調べてみると
「チェルノブイリ・ハート」はなるほど大変な映画だ。
映画の舞台は原子炉から80キロ(郡山と同じ距離)ばかり離れた
ベラルーシの小さな町(ゴメル)。
原発事故で大きな被害を受けたゴメルでは
産まれてくる子供のうち
健常者はわずか15~20%だという。

あとの70%近くの赤ん坊は
「チェルノブイリ・ハート」と呼ばれる心臓の異常ほか
何らかの先天的な奇形をもって生まれてくる。

なんと言うことなのだ。
子どもに幸せな未来を与えてやれないなんて。
私は原子力のすさまじい人類への敵対に
愕然とした。

今の日本を正確に知るためにも
2003年度のアカデミー賞受賞作
「チェルノブイリ・ハート」と
「明日が消える」を見に行こう。

「悪の凡庸さ」が
日本で機能することを防ぐには
私たち一人ひとりが
「今・ここ・この瞬間」の真実に
目を凝らしていかなければならない。

このような議論のために
せっかくの楽しいアウトドアライフは
ほろ苦い気分でお開きになった。

雲間の満月が顔を出した。
前日に泊まりに来てくれた
中国人研修生が教えてくれた
中国語が蘇った。
「満月=マンユェ」
マンユェの輝きだけは不変と思いたい。

福島の空

千葉への出張の帰りに
郡山まで足を伸ばした。

私の体の半分には
東北の血が流れている。
母方の祖母は青森の八戸出身であり
祖父は会津である。
父方の祖父母はそろって長野出身だけど
母が東北純血100%であるため
私の血の半分は東北人となる。

父祖の地を訪れるために
私は郡山を3度訪れたことがある。
会津は猪苗代湖をまたいで南の方向に広がり
福島原発は北の海の方向約80キロ先だ。

新幹線で郡山に降り立ち
危機予兆の第1センサーである
鼻をうごめかすが異臭なし。
目で確認し、口を開き郡山の空気をなめるが
異常は感知できない。
なるほど放射線物質は
目でとらえられず 
無味 無臭である。

8時まぢかの北の空は暗かった。
駅前も人通りがまばらで活気がない。
野球部とおぼしき高校生の一団が
コンコースの薄暗い片隅に
所在なげに立っていた。

ホテルに通じる道路は傾斜がつき 
亀裂が走り
路面のタイルがめくれ上がっていた。
阪神大震災の道路もこのようだった。

そのガタガタ道路を
何人かに分散した作業服姿の集団が
無言で進み 無言でホテルに吸い込まれていった。
交替のため到着した原発労働者なのだろう。
その彼らを元気なジョガーが追い抜いく。
このアンバランスが
私にはなんだかおかしかった。

夜の街は地域の元気を測る物差しである。
郡山の約350軒の飲み屋のうち
100店ばかりは倒壊などで店を閉じたという。

最初に立ち寄った店では地元の海の幸である
もずく、夏ガキは漁ができずに入荷なし。
それでも深夜バスを使い甲子園に乗り込む
高校野球の応援客で盛り上がっていた。

2軒目へと移動中に
韓国訛のばあちゃんから声をかけられた。
「上から下まで1万円よー」
意味不明のまま通り過ぎ
帰りがけにもまた同じセリフにつかまった。
「上から下まで1万円」
この味わいある呼び声が一晩中私の頭を巡り
気がつけば福島の一夜は明けていた。

翌朝は晴天だった。
福島駅前は様子を変えていた。
新幹線が吐き出すボランティアを
被災地まで運ぶバスが集結し
清里へとサマーキャンプに向かう子どもたちが
単独であるいは見送りに来た親と一緒に
列を作りはじめていた。

ホテルで読んだ「福島民報」によれば
原発事故後県外に避難した小中学生の数は8753人に上り
夏休みを機に県外に転校する生徒は
1081人以上になる見通しとのこと。
帰りの新幹線でも子どもだけの乗客が目についた。

駅前の掲示板で福島県の地図を目にして
私ははっと胸を突かれた。
安達太良山 阿武隈川。
そうだここは智恵子のふるさとだった。

帰りの新幹線は「Maxやまびこ」であった。
2階建て列車の車窓を流れる景色は
遠い山で縁取られた美しい高原で
見飽きることがない。

「智恵子抄」の一編が頭に浮かんだ。

智恵子は東京に空が無いという。
ほんとの空が見たいという。
安達太良山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという。

3月11日事故が起こり
安達太良山の山の上に広がるのは
ほんとの空なのか?

不意に高村光太郎の無骨な手が浮かんだ。
私は大きくてごつごつした手が好きだ。
巨木に挑む鑿の
一彫り 一彫りに似た光太郎の詩句も。
久しぶりに高村光太郎の詩が読みたくなった。

積年の疑問

建設力は破壊力と釣り合っている。
これは素朴な私たちの確信である。

阪神大震災での甚大な被害と
復興していく町の様子を眺めながら
私はしきりにこの確信を反芻した。

日本がもし本気で他国を破壊しようと思えば
日本を作り上げたこの建設力の総体と
同等の破壊ができるのだ、と。
この建設力と破壊力のバランスは
原子力の平和利用を推進する際にも
あてはまったのではないだろうか。

日本の核の平和利用への傾斜は
1953年のアイゼンハワー大統領が行った
国連での演説がきっかけと言われている。

敗戦からわずか8年
広島・長崎での甚大な被害の
全容さえつかめていないこの時期に
なぜ核を受け入れることができたのか。
私の積年の疑問である。

アイゼンハワー大統領の演説は
善悪の二分法による
シンプルなレトリックで成り立っている。
この演説が敗戦と被爆を体験した直後の知識人の心を
なぜかくも激しく動かしたのか
私はその理由を考えてみたくなった。

演説の背後には核の使用という「絶対悪」にも
平和利用という「善」が潜んでいるとしたい
アメリカの弁明が潜んでいよう。
それと釣り合うように
人類初めての核兵器による犠牲という
「絶対的な不幸」にもかかわらず
無謀な戦争を仕掛けてしまった国民としての悔恨が
どこかでうずいていたのかもしれない。

核の平和利用というアイゼンハワーの提唱は
その後原子力発電所建設として具体化していく。
日米政府による大がかりなプロパガンダーがあったにせよ
日本の科学者たちが
雪崩を打って原発推進へ向かった様は
無惨と言うしかない。

当時科学者たちが発したコメントは
「悪をもって悪を制する」というたぐいの
平板かつ日本人好みの警句で
代表させることができそうである。

先に書いた破壊と建設のバランスの確信が
ここでも働き
あまりに巨大なエネルギーを前に
早期の復興と日本の再建設への夢を
科学者がふくらませただろうことは
十分想像できる。

あるいは科学者の習い性で
「善と悪」の対立を絶対値として眺め
+と-の意味を失わせ
兵器と平和利用の彼岸へと
向かおうとしたと考えてもいい。

もちろん恥の感覚はあっただろう。
「神の国」「現人神」「特攻隊」など
神話の精神で戦った近代戦争。

いかにも日本人らしく
極端な精神主義から
極端な科学主義への変わり身の早さ。
という意味では
科学者たちの原子力の受容は
軍国主義との決別から生まれた
民主主義と不可分にも思える。
原子力発電は戦後民主主義の申し子
あるいは戦後民主主義の逆子として誕生したとも言える。

何もかも失った
廃墟の中の絶望。
すべてをなくしたゼロ状態であるからこそ
最高の高みへと飛躍できるという怪しげな確信。
原子力の平和利用を呼びかける科学が
このメシア思想の役を果たさなかっただろうか。

このように科学者の敗北について
理由はいくつもの考えられるが
私には原子爆弾が数多くの原爆症患者を
生んだことが
科学者をして平和利用に邁進させた
最大の理由のように思えてならない。

病気という人間的な
あまりに人間的な出来事。
「神の火」は病を通して
人間界に降り立った。

人は日常生活で「神の火」と向き合い
嘆き 治療をし 快癒を願い 憎む。
この聖性を失った「神の火」との接触があったからこそ
核という兵器を平和的に利用できるというレトリックを
科学者は受け入れたのだと
私は結論づけたい。

今週は千葉県 福島県など出張が続き
金曜日になってようやく更新ができた。
連載小説第12話も今日アップします。

頑張れイチロー

イチローの調子が上がらない。
11年連続200本安打まで
残り51試合で75本。
イチローなら不可能な数字ではないが
毎試合1.4本以上のノルマは厳しい。

5月の終わりごろだったと思う。
長年イチローの写真を撮り続けてきた
カメラマンの気になるコメントを読んだ

これまではバットがボールをとらえた
と思う瞬間にシャッターを切っても
イチローはすでにバットを振り終わっていた。
しかし今年は同じタイミングでシャッターを押すのに
イチローはまだ反応していないことが多い、と。

私はカメラマンの言葉を
軽く受け流していた。

しかし5月は調子が上向かず
6月はさらに落ち込み
7月に11年続いたオールスター出場記録が途絶え
11年連続の200本安打危うしという記事が目立ちはじめ
私はカメラマンの目の確かさに危惧を覚えるようになった。

私の住む西宮北口は
1991年にブレーブスを買収したオリックスが
神戸にフランチャイズを移すまで
阪急ブレーブスの町だった。
イチローも寮生だった二軍選手の寮は
私の住まいから指呼の間。
居酒屋で選手たちと肩を接して
飲むこともまれではなかった。

寮の前には「縄文寿司」があった。
イチローはそこの常連で
「カレー神話」同様に
そこを訪れては
マグロの赤身だけを
イチローはひたすら食べ続けた。

寿司屋の店主の自慢話はこうだ。
「細い体してマグロしか食べへん。
そやから私は『鈴木君そんな偏食しとったら
一流選手になられへんよ』とよう注意したったもんですわ」

西宮は甲子園と西宮球場に
セパ両リーグのチームを持つ
珍しい土地だった。
私はタイガースとブレーブスを
ともに応援し続けた。

阪急ブレーブスの忘れがたい試合は
1995年阪神大震災の年のリーグ優勝と
翌1996年のイチローのヒットで決着をつけた
日本ハムとのパリーグ制覇を賭けた戦いであった。
サヨナラ試合の勢いをそのまま維持し
同年には巨人を破って日本一に輝いた。

大リーグに移ってからも
私のイチロー熱は冷めなかった。
マリナーズに在籍して10年。
朝起きるとイチローのヒットをチェックするのが
シーズン中の私の日課となった。

200本安打は私にとって
単なる数字ではない。
1週間が7日あるように
1年には365日なければならないように
イチロ-の属性の一つが200本なのである。

今年イチローのヒット数は
203安打と私は予想する。

いくつかの非科学的根拠があるけれど
それらは語るまい。

テーラワーダ仏教には
過去は思い出に過ぎず
未来は希望的な観測であり
いずれも妄想である。
「今・ここ・この瞬間」だけが
人間にとっての真実の時間である
という教えがある。

私が師と仰ぐA.スマナサーラさんは
日本人でイチローほど
妄想を退け真実の瞬間に
全力を集中させられる人間はいないと讃える。

イチローには過去の記録からのプレッシャーも
記録を達成できないのではという未来の不安も無縁である。

そのたぐいの妄想、雑念で心を汚さず
一打席、一打席 
一球、一球に無心で挑み
打って舞い上がらず
打てなくて落ち込まず
淡々と打席に立ち
淡々と打ち続ける結果が203本と
私は予想するのである。

頑張れイチロー!!!!

私もイチローに倣い
連載小説を
今日淡々と更新します。


愛と苦痛と追放

震災直後
千葉在住の少女が
ローマ法王に問いかけた。
「どうして日本の子どもは
このように怖くて悲しい思いを
しなければならないのですか」と

少女に対して法王は
「私も自問しており
 答えはないのかもしれない」とのメッセージを返した。

少女と法王のやり取りは
フランスの作家カミュが書いた長編小説
「ベスト」の一場面を思い起こさせる。

ペストで死んでいく子どもを前にして
医者のリウーは
罪のない子の命を奪うこの世界を
自分は愛せないと告白する。
神父はそれに対して
理解を超える子どもの死でさえ
神の望まれたことであり
そうである以上
人間はそれを肯定し
受け入れなければならいと説く。
そして神父はペストに罹りながら
治療を拒否して神の意思に殉じるのだ。

疫病と原発事故を同じ災禍とは呼べないが
カミュの次のような言葉を媒介にすれば
その垣根は限りなく低くなる。

カミュは言う。
世界に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来する。
善き意思も、それが分別あるものでなければ
悪意と同じくらい多くの害を引き起こしうる


これはほとんどそっくり
原発へと傾斜していった
私たちの「悪」の素描としても通じる。

「ペスト」から選りだしたキーワードを並べると
悪疫と原発事故の類縁性が
さらに鮮明になる。

人を絶滅させる病
町の閉鎖と隔離
住み慣れた町からの追放
閉鎖された町の恐怖と絶望
ペスト菌は消えることも、消滅することもない
ペストに罹患すると、次は他者を毒する恐れがある
ペストには逃げ場がなく 一瞬も忘れることができない


カミュは不条理の作家と言われる。
「ペスト」において
その不条理は極まる。

不条理はペストという厄災がそうであるように
自分に責めに帰すべき要素のないところから生まれた
ある絶対的な力(状況)によって
存在を脅かされ 人としての尊厳を奪われ
生命の危険にさらされることを言う。

不条理を前にして
人のとれる態度は次のいずれかしかない。
宿命としてそれを受け入れるか。
不条理と戦い天運を跳ね返すか。
前者が牧師の態度であり
後者が医師リウーの立場である。

不条理への抵抗においても
「ペスト」の登場人物たちは
特異な立場を守り抜く。
彼らの言葉をそのまま引用する。

ペストと戦う唯一の方法は誠実さだ

私はヒロイズムを信じない
私が興味を覚えるのは
愛するもののために生き
愛するもののために死ぬことだ

彼は断固として犠牲者側に与し
人々、市民と一体になって
彼らが持っている唯一確実なもの
すなわち愛と苦痛と追放とを味わおうとした

人類の救済なんて
大袈裟すぎる言葉ですよ、私には。
私はそんな大それたことを考えていません。
人間の健康ということが
私の関心の対象なのです


読書ノートから引き写しながら
脳裏に浮かび上がってくる人物がいた。
被災地の子どもと母の救済を呼びかけ
機能不全となった原発を
廃炉にするために体を張って活動する
京大原子炉実験所助教の小出裕章さんである。

医師と核物理学者という違いを超えて
誠意という貴い姿勢によって
「ペスト」の主人公と小出さんは結びつく。

ペストに見舞われた町のように
出口の見えない現在の状況に
小出さんのような人のいることが
私にとってはひとつの光明である。

そう言えば「ペスト」には
このような言葉もあった。

愛するか、あるいはともに死ぬかだ。
それ以外に術はないのだ。
彼らはあまりにも遠すぎる。


ここで言う彼らとは
ラジオを通じて安全な場所から
連帯を呼びかける人々のことだ。

そう私のブログも
確かに「遠すぎる」

「ペスト」は被災地に身を寄せた
私たちの行動を求めている。


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