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「ぶ」動詞 その後

前々回「ぶ動詞」という題で
ブログを書いた。

何人かの人から質問を受けた。
その多くは
「ぶ動詞は20個くらいあるそうだが
自分はそんな多く見つけられなかった。
ほかにどのような語があるのか?」
というものだった。

というわけで
私も新たな動詞探しに挑戦した。

「およぶ」「ならぶ」「とうとぶ」「もてあそぶ」
「ほろぶ」「ふきすさぶ」

以上6語である。
前回11語挙げたので
これを合わせれば17語。
まだ足りない。
何か見落としているのかな?

新たに探索するにあたって
私が採用した基準を示せば
「ぶ動詞」の正体が
いくぶんかは明らかになる。

連語については私は
原則的に「ぶ動詞」に入れなかった。
「言い及ぶ」「居並ぶ」「すっ飛ぶ」「堪え忍ぶ」
などがそれである。
連語の数は
決して少なくない。

ただひとつ
「ふきすさぶ」だけは
「ぶ動詞」として扱った。
理由は「すさぶ」を単独で使用するとき
「すさむ」の方が一般的であり
「すさぶ」を「ぶ動詞」に
カウントしなかったからである。

「ふきすさぶ」における
「すさぶ」→「すさむ」は
希少語「ぶ動詞」誕生秘話でもある。
文語が口語に変わる過程で(おそらく)
「ぶ」から「む」への変化が起こり
「ぶ動詞」族を衰退させた
と推察できるのだ。
(私はまったくの文法音痴だから、たぶん間違っているけど・・・)

例を挙げてみよう。
「あゆぶ→歩む」「あからぶ→赤らむ」「おしぶ→惜しむ」
「あやしぶ→怪しむ」「いたぶ→傷む」「いとなぶ→営む」

言葉の年輪では
外周部にいくほど古い言葉が残る
という法則を聞いたことがある。
それを「ぶ動詞」に当てはめると
中央部(大阪・京都など)で使われなくなった
「あゆぶ・あからぶ・いとなぶ」は
周辺部では今も生きている可能性がある。

26日の月曜日にたまたま
多くの九州人と会う機会があった。
そこでさっそく「ぶ動詞」を収集してみた。
「おがぶ」「あったぶ」と声がかかり
さっそく2語ゲットできた。

「おがぶ」は「大声を出す」という意味で
大阪では「おがる」という言葉で生きている。
「何をお前おがっとるんじゃ」が用法である。
一部の大阪人は今でも頻繁に使う。

祖語である「おがぶ」は
鹿児島では現在も方言として生きながらえ
大阪では「おがる」と変形を受けながら
大阪弁として逼塞しているのである。

この「おがぶ→おがる」への変化も
「ぶ動詞」衰退の一つの形式である。
いくつか例を挙げよう。

「あぶ→浴びる」「のぶ」→「述べる」「しらぶ→調べる」
まだまだたくさんある。

さてもう一つの言葉「あったぶ」も上の形式に
当てはめようと思えば当てはめられる。
「あったぶ」は「あたためる」という意味らしいが、
この変化は「やおいかん(一筋縄でいかない)」。

この「やおいかん」は
月曜日の九州人の集まりで仕入れた言葉。
(この言葉を教えてくれた熊本の人、この用法で正しかろ?)
「ぶ動詞」はこのように草深い地方の方言で
ひっそりと息づいている気がする。

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目指せイタリア

私はなぜか
イタリアが好きだ。

イタリアンは大好物だし
自分で作る料理のレパートリーも
イタリア料理が断然多い。

小説はあまりいい読者ではないが
音楽も美術もファッションも
歴史と町並みも
そこで暮らす
イタリア人の生活ぶりも
何もかもが私の好みである。

私がイタリアに行ったのは
ただの一度。
わずか48時間の滞在なのだけれど・・・
なぜかイタリアに惚れ込んでいる。

ここまで私がイタリアに傾倒しているのは
映画の影響に違いない。
小さなころから
私はイタリア映画が好きだった。

最初の衝撃が大きかった。
「苦い米」の主演女優
シルヴァーナ・マンガーノに
心を奪われた。

これは私の個人史にとって
激震と呼ぶにふさわしい出来事だった。

なぜ、また、いつ
私は「苦い米」を見たのだろう。
1950年ごろの封切りだから
ロードショーではない。
いずれにせよ私の回りには
昔ながらの日本の農村風景と風俗が
解体されることなく
穏やかに広がっていたはずだ。

「苦い米」はイタリアの農婦の話である。
イタリアでは若い女性が、
大挙して農園に出稼ぎにくるらしい。
農作業をするというのに
華やいだショートパンツやワンピース姿である。

彼女たちはまるで海にでも飛び込むように、
次々と水をはった田圃に足を入れ
歌いながら田植えをする。

短いパンツから突き出た
はち切れそうな太ももで大地を踏みしめ、
乳房を揺らしながら
シルヴァーナ・マンガーノが登場する
私はその肉体の伸びやかさに
目が釘付けになった。

西洋はスゴイ!
これが私の頭に浮かんだ言葉である。
はじめて私が
田園風景の異化を通して
西洋を驚嘆した瞬間であった。

この初体験の
異性への目覚めが固着し
映画と女性は手を携えて
男としての私の成熟を
織り上げていく。

「空中ブランコ」「さらば恋の日」と
ジーナ・ロロブリジダ

「昨日・今日・明日」「ひまわり」と
ソフィア・ローレン

「刑事」「ブーベの恋人」「山猫」と
クラウディア・カルディナーレ

「マレーナ」「ダニエラという女」「マルセーユの決着」と
モニカ・ベルッチ

「魅せられて」と
リヴ・タイラー

「輝ける青春」「夜よ、こんにちは」と
マヤ・サンサ

マヤ・サンサ以外は
稀代の肉体派女優ばかり。
やはり最初のシルヴァーナ・マンガーナの
まぶしい太ももが効いている。

私には別の映画史もある。
これまで見た映画のNO1は
「輝ける青春」(イタリア映画)
6時間を超える超大作だが
何度見てもすばらしい。
現在のNO1の監督は
ベルナルド・ベルトルッチである。

ベスト50の候補を挙げれば
その多くが
イタリア映画で占められるに違いない。

「道」「甘い生活」「ひまわり」「家族の肖像」「1900年」
「暗殺の森」「ラスト・エンペラー」「ラストタンゴ・イン・パリ」
「イル・ポスティーノ」「ペッピーノの百歩」「夜よ、こんにちは」
「息子の部屋」「魅せられて」「シチリア・シチリア」「シネマ・パラダイス」
どれも忘れられない名作ばかりである。

これに加えて純粋にイタリア映画と言えないが
ロベルト・ベニーニ主演の「ダウン・バイ・ロー」
「ゴッドファーザーⅠ・Ⅱ・Ⅲ」も候補作である。
いずれも私のイタリア狂想曲である。

さて私は何もイタリア映画を
紹介したかったわけではない。
しかしイタリアと書き出すと
妙にエキサイトして
この長さになってしまった。

イタリアが原発廃止を決定した。
その理由がいかにもイタリアらしい。
「街のゴミすら片づけられない私たちが
核のゴミを片づけられるはずがないではないか。
それなら原発は止めようよ」と。
とてもいいセリフである。
日本の政府にもぶつけてやりたい言葉だ。

数ある資料の中に
「世界一人当たり一次エネルギー消費」というのを見つけた。
一人当たりの年間のエネルギー消費を
石油消費量に換算して記載されたものだ。

それによると
アメリカ、カナダが断然大きく約8トン
イギリス、フランス、ドイツはほぼ同じで約4トン
ロシア、日本、韓国も横並びで4トンくらい
少ない方では、
ベトナム0.207トン ペルー0.374トンなどが目を引く。

エネルギー消費量の世界平均は1.5トン弱。
アメリカ、カナダはその4倍以上
日本なども2倍強のエネルギーを使っていることになる。

もう少し数字を挙げてみよう。
OECD先進国に、旧ソ連、東欧諸国を加えた
世界の人口の約40%の国民が
世界のエネルギーの約75%を消費している。
また世界の人口の約60%が集中する貧しい国の人々は
わずか15%のエネルギーしか使うことができない。

この世界の不公平を
異常だと思わない人がいれば
イタリア映画を見ればいい。
私が先に挙げたどの映画からも
世界はこのように歪みを許してはならないという
メッセージが聞こえてくるだろう。

イタリアのエネルギー消費量はどれくらいか?
日本の約70%くらいの2.97トン。
かなり頑張っている。

福島の原発事故によって
私たちはエネルギーの浪費を
慎まなければならないことに気づいた。
私は今夏より冷房は一切止めた。
原発への依存が30%くらいなら、
それを私たちの努力で減らせば
原発に頼らなくとも
私たちはそこそこ快適な生活が
維持できるはずである。

依存をどれくらい減らすのか。
このようなときに努力目標が効力を発揮する。
日本もイタリアの水準まで
消費量を下げれば
電力の浪費はかなり防げる。
ここが原発を廃絶するための
スタート地点である。

イタリア人を見習おう。

彼らは私たちより1トン以上
消費を控えながらも
あれほどまでに楽しく食べ、飲み
踊り、歌い、恋をして、サッカーを楽しんでいるではないか。

目指せイタリア。

今日連載小説を更新しました。
大島わたるの父
大島春彦がいよいよ登場します。



「ぶ」動詞

何気なくラジオを聞いていると
「ぶ」動詞という耳慣れない言葉に行き当たった。
神戸にある有数の進学校で長く教鞭をとり
引退した国語の先生が
3日限りの特別授業を開いた。
それをレポートする番組で
私はその言葉を耳にしたのである。

前後の子細は不明だが
語尾が「ぶ」で終わる動詞を
知っているだけ挙げなさい
という問いかけがなされた。

ラジオを聴きながら
私もやってみた。
「さけぶ」「あそぶ」「とぶ」 「よろこぶ」
「えらぶ」「まなぶ」「むすぶ」「しのぶ」
これが限度だった。

言葉を書き記しながら
私はフシギな気持ちになった。
「ぶ」動詞はどれも前向きな意味ばかり。
どうしてだろう?
「ぶ」で終わる言葉には
何か特別の魔力があるのか?
私の素朴な疑問であった

そこで「ブ」言葉、
英語バージョンにもチャレンジしてみる。
「クリエーティブ(創造的な)」「イニシアティブ(創意に富む)」
「アクティブ(行動的な)」「アチーブ(達成する)」
「アトラクティブ(魅力的な)」「サーブ(役に立つ)」
「エフェクティブ(効果的な)」
動詞に限っていないけれど
こちらも前向き言葉のオンパレード。
「ブ」マジックは健在だった。

「ぶ動詞」は全部で20語位しかないらしい。
授業を受けた中学生の中には
半分近くの「ぶ動詞」を見つけた生徒もいた。
語彙を増やす目的で
この課題は与えられたのであるが
あなたもこの課題に挑戦してみればみればどう?

ちなみに私の頭に浮かんだ
後ろ向き「ぶ動詞」は
「むせぶ」と「ほころぶ」「ころぶ」
の3語しかない。
これ以外にあれば知りたい。
また「ぶ=ブ」に
言霊的魔力があるのかどうかにも
トテモ興味アリ。



不屈であること

小説は自身の体験の総和だ
と言われる。
この場合の体験とは
実際我が身に起こったことを指すばかりでなく
書物 映画 劇 音楽 絵画
などでの像像上の出会いも含まれる。
少なくとも私の場合はそうだ。

このブログと並行して
私は小説を連載しているが
第3話 高橋正邦「秋には共に死のう」においての
以下の部分は
私の体験から採られたものだ。

少し長いが
引用してみよう。

不思議な体験だったなあ。徐々に意識が戻ってくる前に、音楽が聞こえた。
高橋、どんな音楽だったと思う。
『インターナショナル』でも『ワルシャワ労働歌』でもない。
『美しき青きドナウ』が遠くから聞こえてきて、だんだん大きくなり私は目覚めたのだ。
変だろう。『美しき青きドナウ』だぜ。
意識を取り戻した実際の時間は何時だったのかな。
私の体内時計では朝だ。朝でしかあり得ない。
地球誕生以降初めて登った原初の朝日が、私の手に当たっていた。
空気はどこまでも澄み、世界は若葉におおわれていた。
鳥の鳴き声がして、遠景に山を目指して駆けていく二頭の馬が見えた。
『ノアの洪水』をもたらした雨がやみ、はじめて目にした新世界はきっとあのようだったと思うな。
私は生まれ変わったとわかった。
私は朝日に照らされた手を見てこう言った。
『手はものをつかむ』。
足を見てはこう言ったのだ。
『足は歩く』って。
唇を触り『口は食べる』と名づけ、
耳に触れ「耳は音を聞け」と命じた。
不思議な気分だったよ。

阪神大震災からどれくらいたった頃だろうか
私はある朝
いつものように2階の窓から
累々と続く瓦礫の山を見ていた。

広大無辺の地球上のある1点
しかもわざわざ私が住む西宮の1点に
1995年1月17日 午前5時46分という時間を選んで
なぜこのような大惨事が起こったのかという
答えのない問を自身に向けていた。

そのとき私の手に
オレンジ色の朝日が当たった。
わたしの産毛をも金色に輝かす
太陽の輝きを見ながら
私は小説の主人公が述べた言葉を
思わず口にしていた。
「手はものをつかむ。足は歩く・・・」と。

想像するに
神の気まぐれと受け入れるしかない
途方もない不条理を前に
私の心も体も
崩壊の危機に瀕していたのだろう。
そしてそこから再び立ち上がろうとして
思わず知らず自分の体と心の両面で
もっとも確かなその機能を
私は確かめなければならなかったに違いない。

今日も東北地方の
どこかの窓辺で
私と同じように
手足や目、耳に触れ
再び立ち上がろうとしている
雄々しい人がいるのだと思う。

不屈であること。
それは誇るべき東北人の美質だ。




シンプルライフ

私たちには
ある種の脅迫観念がある。
社会は常に前に進まねばならず
わずかな後退ですら
原始の混沌に
逆戻りするのではないか
という恐れがそれである。

これはおそらく終末思想と一対のもので、
自然を痛めつけながら
人間は自身の歴史を作ったために
それが未来に投影されれば
終末の裁きへの不安となり
過去の罪業に結べば
傷ついた自然からの復讐劇への怯えとなる。

人生の浮沈はこの世の常。
そう達観したはずなのに
こと社会の浮き沈みとなれば
なぜかくも臆病なのか?
またいつから
混沌と戯れる自由を
私たちはなくしたのか。

阪神大震災を契機として
私は自分の生活を
意識的に後退させてみた。
多くの被災者は
自分の回りにため込んだ
余分な物に押しつぶされて
亡くなったことを知ったからだ。

家やビル 多くの家具 食器 
電化製品 書物 機械類 自動車など。
日々の生活の必要を越えて
物を所有すると
そこに権力が生まれる。
富の集中と蓄積。
人類の歴史はそのような道を辿ってきた。

私はそのような反省から
何もかも1つしか
身の回りに置かないことを決めた。

鍋1つ フライパン1つ コップ1個 箸1膳 
茶碗1個 スプーン1本 ナイフ・フォーク1本
大皿1枚 中皿 1枚 小皿1枚 ヤカン1個
スーツ1着 ワイシャツ1枚 テレビ1台 ラジオ1台
パソコン1台 机1台 イス1脚 布団1組
衣類 本 DVD CDなどを除き
1つで間に合うものはすべてそのようにし
残りは処分した。

身軽になった物の中に
自身を置いてみて感じたのは
シンプルライフの清々しさだった。
私はうれしくなってしまった。

それと同時に
私は食事も1食にした。
ご飯は朝飯しか食べない。
昼食は何も口にせず
夜は毎晩酒を飲む。
体が必要としている以上の食べ物を
摂取しないためである。

シンプルライフの結果
私には飢えの感覚が蘇ってきた。
同時に食を口にすることによって
欠乏感がゆっくりと癒される喜びも。

このように書くと
修行僧のような
厳しい生活を想像するかもしれない。
しかし現実はまったく違う。

正式な食事は日に1回だが
酒と一緒に食べるものは
ときとしておいしく贅沢な食べ物だ。
私の毎日は喜びにあふれ
物を追放した結果
心まで軽くなった

原発を廃炉にすることによって、
私たちの日常生活は
大きく変わるかもしれない。
しかし生命の自然な状態である
混沌に戻るようなことは絶対にない。

何を恐れることがあろうか。
テレビが8時に終われば本を読むか
寝てしまえばいい。
店が早仕舞するなら
星を見ながら外で飲もう。

ディズニーランドへ行かなくても
そこの山、野原 海辺が
ディズニーランドだ。
冷房がないなら
裸になって
お互いの体を濡れタオルで拭きあおう。
恐れることなんか何一つないのだ。

生活をスローダウンすれば
生活に新鮮さが蘇り
感覚は鋭く
心は落ち着きを取り戻し
精神は深く
新しい自分が発見できる。

原発事故による生活の変化を
シンプルライフの好機ととらえ
スローなブギを歌うのもいいじゃあないか。












村上春樹さんの演説

カタルーニャ国際賞を受賞した
村上春樹さんのスピーチの全文を読んだ。
正直言って物足りなかった。

全世界の注目が日本に集まっている中での演説。
しかも日本を、世界を代表する作家の発言ということで
誰もがこの困難な状況に
別の光源からの光を当て
ことの本質を浮かび上がらせてくれるスピーチを
待望していたはずだ。


核あるいは原子力というものを
どのようにとらえるのか
作家の想像力を賭けた
絵解きを期待した。
しかしその期待は裏切られた。

きっと私の認識が不足しているのだろう。
その点は保留なく認める。
私がここで述べることくらい
彼の心に浮かばなかったはずがない。
でもなぜそれを言ってくれなかったのか。
そこのところがよくわからない。

私たちは止めることも
殺すこともかなわないモンスターを生んでしまった。
これが原子力の本質である気がする。
という意味ではフランケンシュタインと
似ていなくない。

暴走をはじめるや
それを終息させる手だてや
廃棄する道筋もわからずに
生んでしまった不死の怪物。
それが原子力であろう。

自ら作ったものを壊せない責任を問うことにおいて
私たちは科学の責任を糾弾できる。
クローン技術がそうであるように。

村上さんは無常について語った。
哀しいくらいありきたりだった。
なぜそこで
原子力の永久運動との対比を
語ってくれなかったのか。

原子力が人間にとって真の敵であるのは
生成を繰り返し
形あるものは必ず滅びる人間(生物)に対して、
原子力は不老不死のエネルギーを
夢見るからではないのか。

滅びないものは真実ではない。
原子力が永遠の命を目指すなら
それは地球上の全生物の敵でしかない。
私たちに共存できる余地はどこにもない。
なぜなら私たちはかならず滅びるからだ。
日々新しくなる細胞だけが
生物という有機体の中では
生きている証である。

生成しないものは生きてはいない。
だから原子力には「死の灰」という言葉こそ
ふさわしい。

原子力について語るなら、
原発で働く
労働者に触れて欲しかった。

労働とは人間と物との関係である。
しかし原子力は物ですらない。
形もなく、臭いもなく
不気味な機能だけある
途方もない化学式である。

この抽象性
この非人間化
この無限の暴力
この権力構造
この底知れぬ虚無
この孤独
この恐怖
この生存の否定
これこそが原発労働者が
物にあらざる原子力と
日々向き合いながら行う
労働なのである。

臨界点。
物が物でなく
精神が精神でなく
有機体が有機体でなく
水が水でなく
景色が景色でなく
海が海であることを奪われ
山が自失し
丘がさまよい
生命が沸騰しながら狂う地点。
それが臨界点に他ならない。

原子力の機能とは
ニヒリズムと母子相姦した
死に至る病である。

私たちは本当の想像力を駆使して
核の実態をつかまえなければならない。
それこそが私たち夢見る者の責務だ。
なぜ原子力は破滅的なのか
なぜ最終兵器と呼ばれるのか
それぞれが自分の存在をかけて
この問を追いかけてみよう。

少なくとも
私はそうしたい。


失ったものでなく、これから失うもの

日本的システムが
崩壊の危機に直面している。

何が私にとって
日本の危機なのか。
卑近な例を挙げてみよう。

イチローの超不調
松坂の肘の手術
西岡の骨折
松井のふがいなさ
岡島の戦力外通告
石川遼までがお付き合いで
おかしくなり
八百長問題に揺れる相撲界には
もはや未来はないとくる。

それに加えて
阪神タイガースの低迷と
今年も王座が遠い
関学ファイターズの戦いぶり。
これらすべてが
私には日本的システムの
先行きのなさと同義なのである。

このような日々の鬱屈の中心には
言うまでもなく
福島原発の破滅的事故が横たわっている。
どうすればいいのか。
原発がそうであるように、
またガン細胞との戦いもそうなのだが
敵に与える打撃が
自身への痛手となって跳ね返ってきて
一筋縄でいかない。
これが現在の戦いの本質なのだ。

昨日東北大震災から3ヶ月がたった。
世間で言われているように
本当に復興が遅れているのかどうか。
記憶と記録を頼りに
阪神大震災の3ヶ月後を思い出してみた。

阪神大震災にとって
3ヶ月目は4月17日に当たる。
そのときの神戸の様子はどうだったろうか?

4月8日  新大阪-姫路 新幹線運転再開
(新幹線の全線開通はここまでずれ込んだのだ)
4月11日 都市ガスが全戸に行き渡る 
4月16日 そごう神戸店一部再開
4月27日 自衛隊全面撤退

まだまだ復興はヨチヨチ歩きはじめたばかり。
交通システムにいたっては
さらに遅滞し
阪急電車の全面復旧は6月12日
阪神電車は6月22日
神戸高速鉄道は1996年の8月13日
阪神高速道路は1996年の9月30日を
待たなければ
全面復旧はないのである。

地震と津波、原発の機能不全など
トリプルの被害が集中した東北の現状を
冷静な目で阪神大震災と比べれば
決して復興は遅れてないことはわかるはずだ。
もちろん順調であるとはお世辞にも言えないが・・・

それではこの濃く暗い霧の中を
さまように似た
私たちの閉塞感、絶望感の正体は
何なのだろう。
それは原発に起因する
この先ますます悪くなる予感への
言葉にならない不全感であるに違いない。

阪神大震災には
今がどん底であり、最悪であり
これからはいいことしかない
と思える明るみがあった。

しかしながら東北大震災には
ここを起点として
さらに墜ちていくかもしれない
底知れぬ不安、恐怖によって
私たちの心と精神は蝕まれている。

海に流れ出た放射線物質は
世界の海を巡り
すべての海洋生物の生存を破壊しないだろうか。
そうなれば私たちは
もはや魚を食べる民族ではなくなるしかない。

土に潜った放射性物質は
大地を汚染し
二度と土の恵みが
私たちに与えられないのかもしれない。
私たちはそれでも
農耕民族の末裔を名乗れるのだろうか。

阪神大震災において私は
「失ったものではなく、失わなかったもの」を
数えるように呼びかけた。
しかし東北大震災3ヶ月にあたって私は
「失ったものではなく、これから失う恐れのあるもの」に
備えるべきだと訴えざるを得ない。

これが私の心を重くする。

不都合な真実

友人が乳ガンで死んだ。
彼女は社内の集団検診の結果
乳ガンの疑いがあるとのことで
精密検査を受けるように指示された。

数週間後彼女は
「検査受けたけど何にもないって!!!」
と明るい声で私に報告をくれた。

それから約1年の歳月を経て
彼女は乳ガンを発症した。
ガン細胞は骨髄にまで転移し
もはや手術もできない
末期的な状態となっていた。

病室を見舞った私の胸に顔を埋め
彼女は事情を打ち明けた。
「ホンマは精密検査が怖かったから
受けにいかんかってん。
それで大丈夫やって言うてしもうてん。
受けに行ってたらよかった。そんなら
こんなに手遅れになってなかったのに」と。

それから3年半におよぶ闘病生活を経て
彼女は病魔に屈した。
勇敢で壮絶な戦いだった。
その間に彼女は
何度この悔恨を口にすることになったか。
「あのとき受診しに行っていたら・・・・・・」と。

彼女のその恐れも、
恐怖に負けた悔しさも
私には痛いほどよくわかった。
誰にも覚えのある人としての弱さと
それを乗り越えた人間だけにわかる悔恨だった。

たとえ悲惨なことであろうと
それをじっと見つめなければならない真実がある。

チェルノブイリ以上の深刻な被害を出しながら
福島はその真実を見ることをなぜためらうのか。
福島の全域、
あるいは多くの地域では
もう二度と人は普通の生活を
営むことはできないはずだ。

こんなにつらいことはないだろう。
しかしこれが真実であるなら
それを受け入れよう。

ふるさとをなくすつらさは
十二分にわかる。
しかしふるさと以外でも
人は生きることができる。
であるなら
ふるさとの温もりを
拒む土地に沈潜しながらでも
生き延びる道を
私なら選びたいと思う。

それが無念のうちに死んだ
友だちのメッセージであるから。

代替エネルギー

淡路島にある家で
思わぬ騒動が持ち上がっている。

今年の2月関西電力から
唐突に風力発電計画が発表された。
私の家から直線距離で300m位の山に
高さ120mの風車を12基も建てるというのだ。
寝耳に水の計画。
しかしながら地元の町内会とは
合意済みとのこと。驚いた。

私はここに住民票を移していないため
正式の住民でなく
したがって町内会にも入っていない。
(正確には入れてもらえていない)
関西電力は昨年より町内会とは接触し
合意に向けての地均しを行っていた模様である。

町内会と関電の話し合いに
参加した人の話によると
多数決で賛否を問うた結果
反対は2世帯だけで残りは賛成。
圧倒的多数となった内実を聞けば
風力発電による騒音などは絶対ないと関電から言われたこと。
風力発電建設工事が受注できること。
建設予定地の地所を買い上げてもらえること。
町内での立場があるため反対できる雰囲気でなかったこと。
などであったらしい。

淡路島は建築業で成り立っている島である。
この不況下に大型プロジェクトの
仕事はありがたいに違いない。
農業・漁業が中心の閉ざされた社会で
自分の立場を貫く困難さもよくわかる。
そしてまたしても安全・安心神話。

23年前に福島で原子力発電所の計画が持ち上がったとき
おそらく同じような説得工作があり
住民は建設賛成へと傾斜していったはずだ。
安全、経済的恩恵、人間関係。
世界の最大級の災害を出した
福島の過去と同じ事態が
私のすぐ側で進行中なのだ。

福島の現実を知った今となれば
私たちはすでに多くのことを学んでいる。
人口が集中する都市の需要を満たすために
汚れ役を地方に押しつけてはならないこと。
(淡路島での風力発電は大都市神戸のためである)
集中より分散こそが未来の社会であること。
それぞれが自分の理念に責任をもち
子や孫に負の遺産を残さない努力をすること。

私は上記のような理由に加え
騒音・健康被害も考慮した上で
関西電力に建設に反対である旨を伝えた。
そして対案として
風力発電の海上での建設か
建設そのものを中止し
各家庭が電力を作る
太陽光発電への転換を提案した。

ネット社会が情報の受発信を個人に取り戻したように
エネルギーの自己管理ができる
各家庭の太陽光パネルによる発電は
分散の究極の姿であり
個人の生活スタイルを変える可能性を秘めているように思う。

関西電力からの回答はまだないが
この降ってわいた事態は
私自身のエネルギーへの姿勢を問う
絶好の課題となることは間違いないようである。







悲しみのミルク

私の年間の読書量は100冊くらいだろうか。
200冊は読みたいと思っているが
仕事も忙しく無理なようである。
劇場で見る映画は年間で50本ばかり。
こちらも少ないがどうにもならない。

仕事の切れ目で「ご褒美」と称して
私は映画を見に行く。
昨日はペルー映画「悲しいミルク」を見た。
哀しい、哀しい映画だった。
あまり切なすぎると涙も出ないのだと
昨日初めて知った。
凄まじい哀しさは、
見るものの柔な感情移入すら拒む。

ペルーの先住民には、
母乳を通して母親の苦悩が
子に伝わるという伝承がある。
それが「恐乳病」である。
そして即興の歌に託して
母から子へその悲惨な体験が伝えられていく。

主人公の若い女性は
母が今際に吟じた哀歌から
両親を見舞った悲劇を知る。
1980年から90年にかけて
ペルーの農村部で猖獗を極めた
左翼ゲリラによって
父親は惨殺され
母は陵辱を受け
そのとき母の胎内にいたのが
自分だったと・・・・・・。

恐乳病に罹っていると信じる主人公は
人と正常な関係を取り結ぶことができない。
そればかりか外にでることも恐れ、
仕方なく外出する際には
「浮遊霊」の魔よけとして
家の外壁を手で触りながら移動する。

彼女は膣の中でジャガイモを育てている。
レイプされないためだ。
ジャガイモの芽が伸びてくれば、
彼女はその芽を切る。
輝く未来であるはずの子宮で
彼女は毒芽を出す虚無を育む。
医者はジャガイモを取り出すように勧めるが
自身の内に闇を抱えたまま生きることしか
彼女にはできない。

そんな彼女の人生を支えるのは
哀しい旋律の歌だ。
日々の出来事を彼女は
即興の詩と節回しで歌う。
祖先から伝承されたこの癒しだけが
彼女を生き延びさせている。

エンドロールが流れるのを見ながら
私の脳裏にはNHKでなじみになった福島原発の
遠景が二重写しになって浮かんだ。
母乳を通して母親の恐怖が子に伝わる「恐乳病」
それが現実とならないために
私たちに今できることは何なのか
と自問しながら・・・

今日は連載小説の更新日です。
リンクは張ってありますが
http://bshouwtime01.blog.fc2.com/
こちらです。
読んでください。


無関心と関心

阪神大震災のあと
1週間くらいたって
須磨の海岸から海を眺めた。
対岸には淡路島が臨め
無人の海岸は被害がウソであるように安穏だった。
その島から狭い海峡を渡ってくる活断層が動き
阪神大震災は起こったのである。

海岸に打ち寄せる波は穏やかで、
潮騒すら響かない。
岸辺をなめる波が
あまりにも緩慢で
柔和であるために
私はじゃれる子猫を連想したほどである。

テレビで見る東北の海も
同じように静かで、
あの猛々しさは想像もつかない。
入り江を囲む緑の下で
北の海は悠然と自足している。

自然の無慈悲に触れると
きっと自然は人間が嫌いで
憎んでさえいるのだと思いたくなる。
その一方で人間は
どんな仕打ちを受けても
自然をふるさと讃え、
心のより所と慕い、
母と呼び、
その恵みへの感謝を
片時も忘れることがない・・・。

自然の擬人化ほど的はずれな考えはない。
自然は無慈悲でも、人を嫌うのでも、憎むのでもない。
自然は徹底的に無関心なだけである。
無関心が自然の真の姿である。
それだからこそ自然は、
惜しみなく与え、惜しみなく奪う。
それが自然の愛し方なのだ。

人間への無関心が自然の本質であるなら
他者への深い関心によって
人間は自然の対極に立つしかない。
苦しむ隣人へ関心を向けよう。
無力で有限な存在である私たちは
そのようにして人間となるのだ。






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