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3つの事件

リンクしている連載小説「ある狂気の物語」は
連合赤軍事件にヒントを得た作品だ。
このように小説の中に
実際に起こった事件を取り込むことを
私は初めて試みた。

その結果はと言えば
かなりスリリングだった。
小説の可能性が広がる気がした。

私は長短あわせて
150~200編近く小説を書いたはずだが
そんなことに、
ようやく気づく有様である。
スポーツ以外私は、
何をやってもかなりドンくさいのである。

スリリングだった点を上げてみたい。
ひとつは小説に批評性を持ち込めること。
もうひとつは事実とフィクションとの緊張によって
ある種の揺らぎが小説に生まれ
独特の味が出ること。
最後は小説の骨組みががっちりすること、だろうか。

事件を小説に取り込むには
解釈が必要である。
それが批評性である。
たとえば連合赤軍事件に
私は終末思想を見た。
これが解釈なのだが、
それを表現する最適の舞台装置として
私は雪に閉ざされた空間を選んだ。
連合赤軍のメンバーのアジトは
実際に片辺の雪国にあった。
ここで事実とフィクションの緊張感が生まれ
双方が揺らぎせめぎ合う・・・

次作も実際の事件に想を得て書きたいのだが、
私には3つの気になる事件がある。
地下鉄サリン事件、東電OL殺人事件
もうひとつは少年Aが起こしたとされる
サカキバラ事件である。

このように書き出しながら
うーんそうだった
あの被害者は東電のOLだったんだ、と膝を打ち
ネットで検索をかけてみた。

すると殺害されたOLは、
東電に在籍しながら反原発の立場であったらしく
原子力発電に替わる自然エネルギーとして
地熱発電の可能性を研究していたということがわかる。
その上東電とサカキバラ事件は共に
1997年に起こっているのだ。
この成り行きがすでに小説そのものではないか。

そればかりではない。
東電に触発された私の記憶の枝はさらに伸び
1995年に日本を震撼させた2つの事件
阪神大震災と地下鉄サリン事件に至りつく。

95年と97年。
どちらも神戸と東京の大事件。
しかも震災が契機となって
関心のある3つの事件が私の中でひとつになる。
この符丁何かありそう。
そう思いませんか?

このような現在と過去の往還も
事件を題材にする楽しみかもしれない。






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静かな責任

原発事故において
完全な潔白を主張できる人は
きわめて少ないように思う。

私たちの多くは危険を承知で
原発を受け入れその恩恵にあずかってきた。
原子力エネルギー利用の推進にも
心から異を唱えることもなく
原発推進を政策に掲げる
政治勢力を選んできたのは
他ならぬ私たちであるのだから。

宇宙から見る夜の日本列島は
オレンジ色に燃え盛っている。
宇宙の闇に浮かぶ明るい帯は
死を恐れる人が、
暗闇を追放する目的で
自身の回りに灯す明かりに似ている。
そしてこの痛切な類推は
さほど外れているわけではないのだ。

死の恐怖から逃れるための蓄財
死の恐怖から逃れるための浪費
死の恐怖から逃れるための快楽の追求
死の恐怖から逃れるための飽食
私たちの果てることのないこれらの欲望が
高度なエネルギー社会を必要としたのである。

大きな厄災に見舞われると
まず静かな思いやりが生まれ
真摯な反省に取って代わられ
誰もが他人に優しくなれる。
次に来るのはこの災禍によって
得をするのはどこで
損をするのはどこかの
経済の噂に変わる。
そして最後に来るのが
責任者探しである。
阪神大震災もそうであったし
9・11もそうであり
3・11も例外でないのかもしれない。

私は自分自身が
今回の原発事故に無垢であるとは思えない。
なぜ原子力発電を容認してきたのかを
もう一度深く考え直し
原発と縁が切れるライフスタイルを模索したい。
そしてこの事故の終息のために
自分の責任に応じた義務を果たしたい。

誰かが「放射能のダメージが強い若者ではなく、
私たち年齢を重ねた大人が現場に立とう」
と呼びかけるなら、
そのリクルートの列に
静かに並びたいとも思う。














愛はホルモンの別名?

タイトルは数日前に見た映画
「ジュリエットへの手紙」のセリフである。
本物の愛があると信じるロマンチストのアメリカ人女性と
愛はホルモンの別名と突き放す
リアリストのイギリス男の恋。
愛の都ベローナを舞台にした
なかなかおもしろい映画だった。

困難に直面したとき
人はリアリストになるか
ロマンチストになる
これは私の持論だ。
(誰かからの借用である可能性もあるが・・・)
貧しい家に育った私は
ロマンチストになった。
ここで言うロマンチストとは、
現実から逃避し肥大させた自意識を砦に
夢のような別世界を妄想する人間という謂いである。

子どものころから私は
自分を主人公にした夢を
数限りなく見てきた。
もっぱら授業中がそれに当てられたため
成績は極端に悪く
常に問題児であった。

幼少より本に親しんだわけでなく
優れた言語感覚があったわけでもなく
物知りでもない、
観察力もいたって平凡
バリバリの体育会系の私に
小説が書ける資質を求めるとすれば
旺盛な好奇心とこの夢想癖にいきつく。
しかし今ではそれが
私の成長を妨げる原因となり
私を苦しめている。

5年ばかり前から
私は原始仏教の教えに凝っている。
原始仏教のもっとも重要な教えの一つは、
物事をありのままに見る
自分の都合のいい判断・批評を加えない。
つまり妄想こそ諸悪の根元というわけだ。

しかし小説を書くという行為は
妄想そのもの。
私は特技の夢想癖を生かし
目一杯妄想し小説を書く。
いったん小説から離れれば
私は厳しく妄想を遠ざける努力をする。
ちょうど原子炉を冷やすための注水が
汚染水となって海を汚す相克と似ている。

そう言えば原始仏教のすぐれた書物に
「心は原子爆弾」(著 A・スマナサーラ)というのがあった。
私の場合「心は機能不全の原子炉」なのかもしれない。
水棺によって原子炉を制圧できるという夢想が
汚染された海というリアルな現実に直面する。
あまりありがたくないアナロジーではあるが・・・。

瓦礫の記憶

テレビで被災地の映像を見るたびに、
阪神大震災の場景が蘇る。
1995年1月17日、
私は震度7の地震を西宮北口で経験した。
私が当時住んでいたのは
頑丈なずんくりしたマンションだった。

揺れが収まって
窓から見た最初の光景に目を疑った。
私のマンションからは見えないはずの、
約1㎞離れた武庫川の堤防が
遮るものもなく臨めた。
堤防とマンションの間には、
累々とした瓦礫の山が連なっていた。
大地に平伏する、
という言葉がピッタリの瓦解。
東北大震災で日々私が見ている景色と、
それはそっくりだった。

当時私はそののち
角川書店から出版されることになる
小説を執筆中であった。
1200枚を越す長編の
ちょうど半分くらいまで執筆は進んでいた。

震災の翌日から私と街の付き合いがはじまった。
駅の西口からの帰路を選ぶと
瓦礫もない安全な道を通り
約5分で帰宅できた。
しかしながら私は、
出口も潰れた駅の東口から出て
完全に倒壊した
2本の市場と商店街の
瓦礫の山を越えていくルートで帰宅した。

人っ子一人いず
真っ暗な闇に沈む
瓦礫を乗り越えて行く道程は、
たっぷり20分はかかった。
残骸で体のあちちらを切り、
足は釘を踏み抜き、
それでも私は
そのルートを変えようとは思わなかった。

毎日毎日瓦礫の山に挑み、
予期せぬ建物のすき間にはまり込みながら、
街を囲む悲嘆に耳を澄ましながら、
私は念じ続けた。
「目と耳と体と心にこの景色をよう焼き付けときや」と。

満月の夜だった。
ということはちょうど震災1ヶ月後かもしれない。
私は急に小便がしたくなり
瓦礫の山から宙に向かって小便をした。
小便の橋が月に染められた。

空を見上げると
絹のようなきめ細かい夜空に
満月が無言で輝いていた。
そのとき私に啓示が訪れた。
「そうか小説のラストは震災なんや」と。
それまで小説の結末はどうなるのか
自分自身でもまったくわからず書き進めていた。
この一瞬の天啓がなければ
私は小説の完成させることができたかどうか。

被災地のどこかの暗がりで
私と同じような啓示に打たれる人が
今夜もきっといるに違いない。
どんなむごい悲劇の最中にも、
恩寵はあるものだ。

それは信じてもいいことだと思う。

今日連載小説をアップしました。
リンクが張ってあります。
そこからアクセスしてください。
毎週金曜日に更新します。






贈り物

近くのショッピングモールへ
ふらりと入ってみた。
視聴できるアルバムの中に
偶然ゆかりのあるCDを見つけた。

そのアルバムは
乳ガンで余命いくばくもない友だちのために
昨年のクリスマスプレゼントとして贈ったものだった。
もう1人の友だちにも同じCDを贈った。
両親の看病疲れをしていた彼女は
車での移動の際に心が晴れる
音楽を求めていたのである。
「MICHAEL LOVE COVERS BEST」がアルバムタイトルである。

ふたりの女性にプレゼントしたCDと偶然に出会えたのは、
何かの暗号にちがいないと思い
それを買い求めてしまった。
3話目のLOVEというわけだ。
このCDを贈った乳ガンの女性が、
3月のはじめに闘病の甲斐なく
死んでしまったのも
その理由の一つに違いない。

買って帰りさっそくCDを聞いてみた。
収められた曲のなかに
「WE ARE THE WORLD」があった。
東北地方を襲った地震の情報に
日々さらされている私には
その歌詞が心に浸みた。
とりわけ福島原発の脅威のもとにある
多くの子どもたち、
妊婦たちへの思いが募れば募るほど・・・。

英語の詩など訳したことのない私だが、
歌詞に込められたメッセージを
自分の言葉に変え、
誰にともなく伝えたくなった。
以下がその一部である。

「あの確かな声に耳を傾けるときがやってきた
世界は今こそひとつになるときなんだ
人々が次々に死んでいっている
その人たちにぼくは手を差し伸べたい
だって悲しんでいる人の手を取り慰めを与えることは
人として最上の贈り物を差し出す行為じゃあないか

もう悲劇を見て見ぬふりをしたくない
それぞれの人が、自分に縁のある場所で
変化を起こさなければならない、そう思わないか?
だってぼくたちはみんな
この宇宙全体のたったひとつの大きな家族なんだから
すべての人に今必要ななのは愛!
そうだろう?君も知ってるはずだよ」

こう歌ったマイケルジャクソンも
昨年死んでしまった。
よきものが次々と滅んでしまう。
私の回りはこのところ死が満ちあふれている。













覚悟

日々の震災報道を見ながら
覚悟という言葉が心をたゆたう。
ここで言う覚悟は
大きな覚悟ではない。
小さな小さな、ありふれた覚悟。
たとえば起立、脱帽を求められる場面で
個人の生き方に忠実であるために、
反抗の身振りも見せずに
悠然と自分を貫く振る舞い。

映画「キャバレー」は、
私がいちばん好きな映画の一つだ。

大好きなシーン。
谷間のビアレストランで
ひとりの老人が楽しげにジョッキを傾けている。
そこにナチスの親衛隊に連れられた
金髪、碧眼の美少年が現れボーイソプラノを響かせ
ドイツの愛唱歌を歌いはじめる。
日本的に言えばさしずめ「ふるさと」か「赤とんぼ」か。
このドイツ的叙情あふれる歌に、
祖国への愛を呼び覚まされ、
ビアレストランの客は総立ちになり、
この少年こそが民族の未来の象徴とばかりに、
我を忘れ拍手を送る。

しかし老人は起立しない。
ナチの親衛隊は不快感を示すが
老人は意に介することなく
大好きなビールを楽しむ。
おだやかに、楽しげに、自由に。
全員が従っている行為でも、
自分の信条を優先して。
最後まで自分らしさを守り抜く。

私が望むのはこの覚悟だ。
小さいけれど大事な一歩。
それに必要な覚悟。
これは作家の覚悟だとも思う。

震災の終息に忙殺されている
政治家、経済人、官僚などに感じられないのは
この覚悟であると思う。
小さいけれど大事な第一歩。
バカにされたり、無能をさらけ出したり
卑怯であったり、人からの評価に怯えたり、
名誉を守ったり、いい人と思われたかったり、
自分の力以上の賛辞が欲しかったり、
なすことのすべてに自己愛があったり。

このような邪念から自由であれたら
いつ死んでもいいかな。







ブログをはじめます

ブログってなんだろう?
どんなメディアなのか?
読者の質と数はどう?
紙媒体との根本的な違いは何か?
など迷いに迷った末に
ブログをはじめた。

迷いと共に私につきまとい続けたのは、
ネット上で自分をさらす恐れと恥ずかしさである。
そのような思いを振り切り、
ここにたどりつけたのは、
私にはどうしても発表したい作品があったからだ。
「ある狂気の物語」
ブログのサブタイトルにも選んだ
連合赤軍事件をモチーフにした作品である。

小説の完成は2010年・6月。
わずか90日ばかりで書き上げた。
筆が快調に進んだのは、
私が書かなければならないテーマを、
それにふさわしい形式で書けたからだ。

完成直後から出版社探しがはじまった。
400字詰め換算約270枚の中編小説は
5社ばかりの出版社を巡り、
私の手元に戻ってきた。
結果はすべてボツ。完敗!

その小説の辿った運命は追々書くとして、
結論から言えば、
この小説は、
私の思い入れとは違って
担当してくれた編集者の魂を揺さぶらなかったのだ。

ある編集者から質問された。
「この小説はおもに誰に読んでもらいたいのですか」
私は言下に答えた。
「事件の関係者です」
事件の関係者は高齢になりつつある。
死刑囚も何人かいる。
私は焦っていた。
なりふり構わず出版したかった。

別の編集者に教えられ、
ペンネームを使い、
ある新人賞に応募さえした。
こちらも惨敗!
一次予選すら通らない。
私の基準では、
一次予選敗退は、
「小説のイロハもわかってない」ということになる。

私が新潮社から新人賞をもらい30年以上になる。
それから今日にいたるまで、
私は数知れず小説を書いた。
現在までに6冊の本を、
運良く出版してもらえた。
(うち2冊は大学生向けの実用書だけど)
新聞の連載小説も書いた。
「そうであるのになぜ?」
私の心の悲鳴を聞くとこうなる。

間違ってもらいたくないのは、
出版を見送った編集者が悪いと言いたいわけでも、
一次予選で私を落とした担当者に目がないと言いたいわけでもない。
各々の決定はまっとうに下された。
私の作品は彼らにはまったく魅力がなかっただけなのだ。

私が言いたいのは、
文学の現在は多様化し、
やや大げさに言うと
人の数だけ文学があるということである。

このような気づきの結果が、
私をブログへ向かわせる契機となった。
ブログを書こうと決めたと同時に、
紙媒体での出版はあきらめ
ネット上で小説を発表することにした。
長くなったけれど
以上が私とブログの自己紹介である。

このブログでは
「ある狂気の物語」が辿った運命をもとに、
小説を書くという行為を見つめてみたい。
それと並行して別のサイトでは
ブログのネタである
「ある狂気の物語」の連載をするつもりである。
興味のある方は、
リンク先の小説もぜひ読み、
私と共にこの小説の行く末を見定めてもらいたい。

小説の更新は毎週金曜日。
ブログも日々書いていきたいが、
どうなることだろう?
もともと私は日記が大嫌いなのに・・・

さて新人賞を受賞したとき
多くの選評が新聞・雑誌に発表された。
好意的な評の中で
私の心を打ったのは
奥野健男さんの以下の言葉だ。
「この作品には偶然のできばえのような底の浅さがある」と。
確かにそうだと私は首肯した。

そうでないことを証明するために、
私は今日まで書き続けてきた。しかし・・・、
今にしてもこの批評を乗り越えられていない。
この批評を超えられた地点が作家のスタート、
私はそう思いつつ、
今日もこの言葉をかみしめ続けている。



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