舞踏する星 - 2012.05.12 Sat
誰の説か忘れたが
頭の良し悪しを測るには
3つのいい方法があるそうだ。
それを適用してみて
なるほど私はバカと合点がいった。
まず第1のテスト。
地図を持って町を歩くとき
自分が進む方向に地図を向け
はじめて正しく方位がつかめる。
算数・数学の世界で言えば
線対称・点対称の課題である。
私は子供のころからこの単元が大の苦手だった。
第2ラウンドはこれである。
辞書を引けるか(早く引けるか)。
辞書は私のもっとも馴染み深い書物の一つである。
にもかかわらず「は行」と「た行」
「な行」と「ま行」の順序が怪しい。
そのためことあるごとに「あ・か・さ・た・な・・・・・・」と
指折って前後関係を確認しなければならない。
だから当然辞書を引くのは遅い。
最後はレシピ通りに料理が作れるかどうか。
私は料理の腕前は相当なものだけれど
レシピを読んでは作れない。
すべて直感に頼って料理する。
でもメチャうまい。
このようにチェックしてみて
私は三拍子そろったバカとわかったのだ。
自分の無能と関係あるのかわからないけれど
私は必要性の薄いものを覚えるのが苦手である。
たとえば電車の発着時刻がそれだ。
40年近く阪急電車の西宮北口駅を利用しているが
普通と特急の発車時間が覚えられない。
私はなんとなく家を出て
駅についてすぐに電車が来ればラッキー
出発したばかりなら
「あーぁ 行ってもたかー」の繰り返しである。
誰もが私のようだと思っていたが
大半の人は駅で待たなくていいように
頭の中に時刻表を叩き込み
乗り換えの時間
目的地までの所要時間まで計算した上で
秒刻みで行動してると知った。
よくやるよと私は感嘆するばかりである。
私とそのような人を比べてみると
自分自身の中にどれだけ無秩序を抱えているのか
ということに行き着くのだと思う。
私は生活の隅々まで秩序づけることを好まない。
適当にユルユルで風通しがよく
不意の出来事や非効率を楽しみたいのだろう。
私が言う生活の隅々まで効率で染め上げるとは
次のような私の友人への仕打ちを指す。
彼にはポケットに手を入れて歩く癖があり
だらしなくカッコ悪いばかりでなく
それがズボンの傷みの原因になっていると
常々奥さんから注意されていた。
あるときいつものようにポケットに手を突っ込み
口笛でも吹きながら歩こうと彼は思ったのだろう。
しかしあるべきところにポケットがない。
彼はトイレに駆け込みズボンを仔細に調べてみた。
すると細い糸で両ポケットは縫い付けられ
後に細工は彼のすべてのズボンにおよび
ポケットに手を入れて歩く楽しみを
彼はその日を境に奪われたのである。
若者の理想の上司第1位に
大阪の橋下市長が選ばれたらしい。
私にとっては上司であって欲しくない人物
ダントツの1位である。
彼ならすべてのズボンのポケットを
縫い付けてしまいかねないからだ。
働きアリの法則というのがある。
100匹のアリのうち
本当に働いているのは80匹だけ。
残りの20匹は遊んでいる。
このサボリの20匹を取り除き
80匹の新たな集団を作ると
その組織はやはり2割の
働かないアリを生むという法則である。
100人の職員が100人とも
口も利かず 休みもせず
ひたすら汗にまみれて
働きまくっているなんて異常だろう。
100人の生徒と教師が
100人とも直立不動の姿勢をとり
ポケットに手を突っ込む不逞のやからもいず
日の丸を直視し
声を限りに君が代を歌う光景は
想像するだにおぞましい。
そんな集団のズボンを調べると
きっと全員のポケットが糸で縫いつけらてれているはずだ。
国旗はダサいし
国家のメロディーはダルくて心弾まない。
歌詞と現在に生きる私たちの日常との接点を
見つけることはきわめて困難である。
そんな国旗・国家なら起立を拒んだり
「君が代」を歌わなくって当たり前ではないか。
私は日本という国が好きだ。
日本語を愛しているし
日本食は世界一との誇りもある。
日本の美しい自然も
かけがえのないものだと思っている。
しかしこの私の心の内を
声を張り上げ 起立して国家を歌うことで
表現したいとは決して思わない。
それとこれは別である。
秘めたる愛というものだってあるのだ。
80%の秩序に20%の無秩序。
それが正常な人間である。
その不完全さこそが
人間の人間たるゆえんである。
ものごとはうまく進まず
無駄が原因であちこちで停滞があろうと
全員が同じ方向を向いて
一糸乱れぬ統制がとれている社会よりはましである。
「舞踏する星を生むためには
人は自身の内に混沌を残しておかなければならない」
ニーチェはこのように言った。
私も自分の中に混沌を抱えていようと思う。
無秩序を締め出しながら求める効率こそは
ファシズムの温床であるのだから・・・・・・。
頭の良し悪しを測るには
3つのいい方法があるそうだ。
それを適用してみて
なるほど私はバカと合点がいった。
まず第1のテスト。
地図を持って町を歩くとき
自分が進む方向に地図を向け
はじめて正しく方位がつかめる。
算数・数学の世界で言えば
線対称・点対称の課題である。
私は子供のころからこの単元が大の苦手だった。
第2ラウンドはこれである。
辞書を引けるか(早く引けるか)。
辞書は私のもっとも馴染み深い書物の一つである。
にもかかわらず「は行」と「た行」
「な行」と「ま行」の順序が怪しい。
そのためことあるごとに「あ・か・さ・た・な・・・・・・」と
指折って前後関係を確認しなければならない。
だから当然辞書を引くのは遅い。
最後はレシピ通りに料理が作れるかどうか。
私は料理の腕前は相当なものだけれど
レシピを読んでは作れない。
すべて直感に頼って料理する。
でもメチャうまい。
このようにチェックしてみて
私は三拍子そろったバカとわかったのだ。
自分の無能と関係あるのかわからないけれど
私は必要性の薄いものを覚えるのが苦手である。
たとえば電車の発着時刻がそれだ。
40年近く阪急電車の西宮北口駅を利用しているが
普通と特急の発車時間が覚えられない。
私はなんとなく家を出て
駅についてすぐに電車が来ればラッキー
出発したばかりなら
「あーぁ 行ってもたかー」の繰り返しである。
誰もが私のようだと思っていたが
大半の人は駅で待たなくていいように
頭の中に時刻表を叩き込み
乗り換えの時間
目的地までの所要時間まで計算した上で
秒刻みで行動してると知った。
よくやるよと私は感嘆するばかりである。
私とそのような人を比べてみると
自分自身の中にどれだけ無秩序を抱えているのか
ということに行き着くのだと思う。
私は生活の隅々まで秩序づけることを好まない。
適当にユルユルで風通しがよく
不意の出来事や非効率を楽しみたいのだろう。
私が言う生活の隅々まで効率で染め上げるとは
次のような私の友人への仕打ちを指す。
彼にはポケットに手を入れて歩く癖があり
だらしなくカッコ悪いばかりでなく
それがズボンの傷みの原因になっていると
常々奥さんから注意されていた。
あるときいつものようにポケットに手を突っ込み
口笛でも吹きながら歩こうと彼は思ったのだろう。
しかしあるべきところにポケットがない。
彼はトイレに駆け込みズボンを仔細に調べてみた。
すると細い糸で両ポケットは縫い付けられ
後に細工は彼のすべてのズボンにおよび
ポケットに手を入れて歩く楽しみを
彼はその日を境に奪われたのである。
若者の理想の上司第1位に
大阪の橋下市長が選ばれたらしい。
私にとっては上司であって欲しくない人物
ダントツの1位である。
彼ならすべてのズボンのポケットを
縫い付けてしまいかねないからだ。
働きアリの法則というのがある。
100匹のアリのうち
本当に働いているのは80匹だけ。
残りの20匹は遊んでいる。
このサボリの20匹を取り除き
80匹の新たな集団を作ると
その組織はやはり2割の
働かないアリを生むという法則である。
100人の職員が100人とも
口も利かず 休みもせず
ひたすら汗にまみれて
働きまくっているなんて異常だろう。
100人の生徒と教師が
100人とも直立不動の姿勢をとり
ポケットに手を突っ込む不逞のやからもいず
日の丸を直視し
声を限りに君が代を歌う光景は
想像するだにおぞましい。
そんな集団のズボンを調べると
きっと全員のポケットが糸で縫いつけらてれているはずだ。
国旗はダサいし
国家のメロディーはダルくて心弾まない。
歌詞と現在に生きる私たちの日常との接点を
見つけることはきわめて困難である。
そんな国旗・国家なら起立を拒んだり
「君が代」を歌わなくって当たり前ではないか。
私は日本という国が好きだ。
日本語を愛しているし
日本食は世界一との誇りもある。
日本の美しい自然も
かけがえのないものだと思っている。
しかしこの私の心の内を
声を張り上げ 起立して国家を歌うことで
表現したいとは決して思わない。
それとこれは別である。
秘めたる愛というものだってあるのだ。
80%の秩序に20%の無秩序。
それが正常な人間である。
その不完全さこそが
人間の人間たるゆえんである。
ものごとはうまく進まず
無駄が原因であちこちで停滞があろうと
全員が同じ方向を向いて
一糸乱れぬ統制がとれている社会よりはましである。
「舞踏する星を生むためには
人は自身の内に混沌を残しておかなければならない」
ニーチェはこのように言った。
私も自分の中に混沌を抱えていようと思う。
無秩序を締め出しながら求める効率こそは
ファシズムの温床であるのだから・・・・・・。
人参シリシリ - 2012.05.06 Sun
「人参シリシリ」という料理を知っていますか?
先日大阪の十三でジョイントチームの会議をした。
会が終わり近所で飲もうということになり
沖縄料理の店で「人参シリシリ」に出会った。
沖縄方言で細かく切ることを
「シリシリ」と言うらしい。
つまり人参の細切りに
素朴なドレッシングがかかった一品。
味もいけていたが
何よりネーミングが気に入った。
「シリシリ」との遭遇に心騒ぎ
私はチームの仲間に打ち明け話をした。
「実は俺女性のお尻に目がない『尻フェチ』やねん」と。
そして自分の尻フェチ振りをつぶさに語り
いざ注文する段になって事件が起こった。
「すいません 人間シリシリください」
仲間ばかりでなく店内大爆笑。
恥ずかしかったー

!
恥ずかしいと言えば
ネット上には「恥ずかしい写真」というか
「けしからん写真たち」があふれかえっている。
その中には多くの「尻フェチ画像」も含まれ
私も写真への興味と閲覧において
決して無垢というわけにはいかない。
ネットでのデータの扱いは簡便だ。
都合の悪い情報は
ゴミ箱に放り込めばおしまい。
「けしからん写真」を覗いた私の閲覧記録は残るが
写真と一緒にゴミ箱で葬り去れば
「見なかったこと」にできる。
なんと便利なのだろう。
日々このような削除を繰り返しながら
私はふと妄想にとらわれることがある。
ゴミ箱送りした数知れない写真とデータは
いったいどこに行ってしまうのか?
削除は一時的気休めに過ぎず
膨大な「恥ずかしい写真」は
履歴共々一箇所にまとめて保存され
何かの手違いでそれは噴出し
衆人環視の的になるのではないか。
自分のフェチぶりが暴かれると想像するだけで
私は身のすくむ思いがする。
どうかそんなことが
起こりませんように
「核のゴミ」という言葉がある。
おもに使用済み核燃料棒をさす。
この「核のゴミ」ばかりは
パソコンのゴミ箱のようにはいかないのだ。
このゴミは完全に焼却できないばかりか
保管しておくゴミ箱さえ見つかっていない。
10万年という人の人生に比すれば
無量大数といえる時が経過しても
まだ安全でないやっかいなゴミ。
これをどうするつもりなのか?
私は何が言いたいのだろう。
「人間シリシリ」の観点から見ても
人類が原発を利用することはおぞましく
反原発こそ恥ずかしくなく生きる
私たちの唯一の道と主張したいのだ。
5月5日 日本のすべての原発が止まった。
国も関電も原発を稼動しなければ
夏のピーク時に電気は足りなくなる。
そうなれば節電ばかりでなく
値上げも必要だと脅している。
節電OK 値上げもやるならやってみるがいい。
しかしその前に東電がそうであったように
高額の人件費カットや組織改変 資産売却などを徹底し
値上げ幅を可能な限り圧縮するよう要求しよう。
その上で値上げに踏み切るなら
余裕のある人は払えばいいだろう。
ない人には国が援助をしてしかるべきである。
財源には電力会社と原発で大もうけをしてきた
東芝 日立 三菱など全原発産業に課す
「原発税」をあてればいい。
この税金など原発事故が起これば発生する
賠償金の前倒しと考えれば安いものだ。
原発を再稼動するには
「原発税」をすべての電力会社および
日本のトップ企業に課するくらいの覚悟が必要なことを
為政者たちはわかっているのだろうか・・・・・・・・?
今日は連休最後の日。
「子供の日」からはじまった「NO原発」が
この先いつまでも続くことを祈念し
久しぶりに十三へ足を運び
「人参(人間?)シリシリ」でも食べてこよう

。
先日大阪の十三でジョイントチームの会議をした。
会が終わり近所で飲もうということになり
沖縄料理の店で「人参シリシリ」に出会った。
沖縄方言で細かく切ることを
「シリシリ」と言うらしい。
つまり人参の細切りに
素朴なドレッシングがかかった一品。
味もいけていたが
何よりネーミングが気に入った。
「シリシリ」との遭遇に心騒ぎ
私はチームの仲間に打ち明け話をした。
「実は俺女性のお尻に目がない『尻フェチ』やねん」と。
そして自分の尻フェチ振りをつぶさに語り
いざ注文する段になって事件が起こった。
「すいません 人間シリシリください」
仲間ばかりでなく店内大爆笑。
恥ずかしかったー


!恥ずかしいと言えば
ネット上には「恥ずかしい写真」というか
「けしからん写真たち」があふれかえっている。
その中には多くの「尻フェチ画像」も含まれ
私も写真への興味と閲覧において
決して無垢というわけにはいかない。
ネットでのデータの扱いは簡便だ。
都合の悪い情報は
ゴミ箱に放り込めばおしまい。
「けしからん写真」を覗いた私の閲覧記録は残るが
写真と一緒にゴミ箱で葬り去れば
「見なかったこと」にできる。
なんと便利なのだろう。
日々このような削除を繰り返しながら
私はふと妄想にとらわれることがある。
ゴミ箱送りした数知れない写真とデータは
いったいどこに行ってしまうのか?
削除は一時的気休めに過ぎず
膨大な「恥ずかしい写真」は
履歴共々一箇所にまとめて保存され
何かの手違いでそれは噴出し
衆人環視の的になるのではないか。
自分のフェチぶりが暴かれると想像するだけで
私は身のすくむ思いがする。
どうかそんなことが
起こりませんように

「核のゴミ」という言葉がある。
おもに使用済み核燃料棒をさす。
この「核のゴミ」ばかりは
パソコンのゴミ箱のようにはいかないのだ。
このゴミは完全に焼却できないばかりか
保管しておくゴミ箱さえ見つかっていない。
10万年という人の人生に比すれば
無量大数といえる時が経過しても
まだ安全でないやっかいなゴミ。
これをどうするつもりなのか?
私は何が言いたいのだろう。
「人間シリシリ」の観点から見ても
人類が原発を利用することはおぞましく
反原発こそ恥ずかしくなく生きる
私たちの唯一の道と主張したいのだ。
5月5日 日本のすべての原発が止まった。
国も関電も原発を稼動しなければ
夏のピーク時に電気は足りなくなる。
そうなれば節電ばかりでなく
値上げも必要だと脅している。
節電OK 値上げもやるならやってみるがいい。
しかしその前に東電がそうであったように
高額の人件費カットや組織改変 資産売却などを徹底し
値上げ幅を可能な限り圧縮するよう要求しよう。
その上で値上げに踏み切るなら
余裕のある人は払えばいいだろう。
ない人には国が援助をしてしかるべきである。
財源には電力会社と原発で大もうけをしてきた
東芝 日立 三菱など全原発産業に課す
「原発税」をあてればいい。
この税金など原発事故が起これば発生する
賠償金の前倒しと考えれば安いものだ。
原発を再稼動するには
「原発税」をすべての電力会社および
日本のトップ企業に課するくらいの覚悟が必要なことを
為政者たちはわかっているのだろうか・・・・・・・・?
今日は連休最後の日。
「子供の日」からはじまった「NO原発」が
この先いつまでも続くことを祈念し
久しぶりに十三へ足を運び
「人参(人間?)シリシリ」でも食べてこよう


。欧文フォントの力 - 2012.04.30 Mon
フォントは書体のデザインが同じ
一揃いの活字のことである。
テキストやポスター、チラシを作る作業には
フォントとの付き合いが欠かせない。
デザイン性のある制作物ばかりでなく
学校の英語教材なども制作してきた私には
欧文フォントはなじみのはずであった。
ところが絵本に使われたフォントの力に驚いた。
このフォントには絵まで劇的に変える作用があった。
今回の絵本制作で私は文を書いただけで
レイアウトもデザインもノータッチである。
たとえば「ヘルベチカ・ライト」という名の
この欧文書体を選んだのは
デザイナーを担当してくれている元社員である。
写真で確かめてもらえばその効果がよくわかる。


この年になって人の職業選択なんて
つくづくわからないものだと思う。
自分が絵心のいる仕事をするなんて
思いもよらなかった。
私がポスターなども作る
「創造的な仕事」をしていると知って
母親は呆れ顔でこう言ったことがある。
「まあまあ、あなたは図工がいつも2か1だったじゃない。
小学校の1年生のとき 運動場の写生をしなさいと言われ
『何を書けばいいのかわからない』と言って泣いたの覚えている?」と。
確かに私は絵が下手であった。
いまもって絵は皆目ダメである。
それでもアートディレクターまがいのことを私はやっている。
もちろん絵コンテは描けず
○と□と△で形を示し
言葉でイメージを補足してコンテにする。
それでも何とかやっているのだ。
図工に限らず
私は学業が振るわなかった。
子供時分のある晩
夜中にふと目覚めると
隣の部屋で家族会議をしている気配があった。
ふすまの隙間から差し込む一条の光と一緒に
母親のか細い声が私の耳に届いた。。
「将来誰が拓雄の面倒を見てくれるの」と。
それに続く兄姉たちへの母親の説明は
驚くべきものであった。
どうやら私は知能指数が極端に低く
強度の近視であるばかりでなく
耳がほとんど聞こえないため
授業についていけないらしい。
だから誰かが世話をしてやらなければ
私は自力で人生を送るのはむずかしいようなのであった。
家族会議のその後は覚えていないが
私への接し方の変化から
長女がその役を引き受けたことがわかった。
次の日から姉は付きっ切りで
私の勉強を見てくれるようになった。
それと同時に耳鼻科に連れていかれ
私は何度となく耳の検査を受けさせられた。
昔の聴覚測定は笑うべきもので
離れたところに立つ看護婦が
小さな声で私にささやきかける。
「トウキョウ トウキョウ ナゴヤ ナゴヤ」という風に。
検査ではいつも東京か名古屋か大阪が使われ
たとえ聞こえていなくても口の動きでわかった。
というか私はとても耳がよかった。
なぜ耳が聞こえないと思われたのか
後年母親から聞かされた。
それは母や姉兄の呼びかけや質問に対して
私からの返事や反応がなく
いつも口をあけてぼんやりしていたのが理由らしい。
このようなときにある事件が起こった。
母親はピアノ教師だったので
ピアノの上に音楽家の小さな石膏像が飾ってあった。
そのシューベルトの顔に私はいたずら書きをした。
問い詰める母に私は平然と答えたものだ。
「まだ未完成やけど・・・」と。
家族全員が私の顔をまじまじと見つめた。
口の利けない子がはじめてしゃべった
とでもいうような驚きが誰の表情にもあった。
シューベルトの「未完成交響曲」にかけて
いたずらを「未完成」と釈明するなんて
この子は馬鹿でないのかもしれない。
彼らの心の声を聞けばこのようだっただろう。
安堵のためか場の雰囲気が和み
数拍遅れてみんなが笑った。
私も「テヘヘヘヘ

」と笑った。
それから私は耳鼻科にも連れて行かれなくなったのだ。
私の学業はその後も不振を極めた。
何とか大学まで進学できたのは
一発勝負の試験に受かる運の強さにあった。
「運の強さは社会に出れば強力な武器となる」
ときに学生の就活セミナーの講師もする私は
今では厚かましくもそのように心得を説いている。
欧文フォントを話題にしながら
私はこのようなことを思い出した。
子供時代から続くこの支離滅裂な脱線振りが
家族をして私の将来を不安なものにさせたに違いない。
今日で4月も終わり。
時間の経過のなんと早いこと。
ゴールデンウイーク皆さんはどのようにお過ごしですか?
5月の半ばには絵本も完成する予定。
また経過を報告しますね
。
一揃いの活字のことである。
テキストやポスター、チラシを作る作業には
フォントとの付き合いが欠かせない。
デザイン性のある制作物ばかりでなく
学校の英語教材なども制作してきた私には
欧文フォントはなじみのはずであった。
ところが絵本に使われたフォントの力に驚いた。
このフォントには絵まで劇的に変える作用があった。
今回の絵本制作で私は文を書いただけで
レイアウトもデザインもノータッチである。
たとえば「ヘルベチカ・ライト」という名の
この欧文書体を選んだのは
デザイナーを担当してくれている元社員である。
写真で確かめてもらえばその効果がよくわかる。


この年になって人の職業選択なんて
つくづくわからないものだと思う。
自分が絵心のいる仕事をするなんて
思いもよらなかった。
私がポスターなども作る
「創造的な仕事」をしていると知って
母親は呆れ顔でこう言ったことがある。
「まあまあ、あなたは図工がいつも2か1だったじゃない。
小学校の1年生のとき 運動場の写生をしなさいと言われ
『何を書けばいいのかわからない』と言って泣いたの覚えている?」と。
確かに私は絵が下手であった。
いまもって絵は皆目ダメである。
それでもアートディレクターまがいのことを私はやっている。
もちろん絵コンテは描けず
○と□と△で形を示し
言葉でイメージを補足してコンテにする。
それでも何とかやっているのだ。
図工に限らず
私は学業が振るわなかった。
子供時分のある晩
夜中にふと目覚めると
隣の部屋で家族会議をしている気配があった。
ふすまの隙間から差し込む一条の光と一緒に
母親のか細い声が私の耳に届いた。。
「将来誰が拓雄の面倒を見てくれるの」と。
それに続く兄姉たちへの母親の説明は
驚くべきものであった。
どうやら私は知能指数が極端に低く
強度の近視であるばかりでなく
耳がほとんど聞こえないため
授業についていけないらしい。
だから誰かが世話をしてやらなければ
私は自力で人生を送るのはむずかしいようなのであった。
家族会議のその後は覚えていないが
私への接し方の変化から
長女がその役を引き受けたことがわかった。
次の日から姉は付きっ切りで
私の勉強を見てくれるようになった。
それと同時に耳鼻科に連れていかれ
私は何度となく耳の検査を受けさせられた。
昔の聴覚測定は笑うべきもので
離れたところに立つ看護婦が
小さな声で私にささやきかける。
「トウキョウ トウキョウ ナゴヤ ナゴヤ」という風に。
検査ではいつも東京か名古屋か大阪が使われ
たとえ聞こえていなくても口の動きでわかった。
というか私はとても耳がよかった。
なぜ耳が聞こえないと思われたのか
後年母親から聞かされた。
それは母や姉兄の呼びかけや質問に対して
私からの返事や反応がなく
いつも口をあけてぼんやりしていたのが理由らしい。
このようなときにある事件が起こった。
母親はピアノ教師だったので
ピアノの上に音楽家の小さな石膏像が飾ってあった。
そのシューベルトの顔に私はいたずら書きをした。
問い詰める母に私は平然と答えたものだ。
「まだ未完成やけど・・・」と。
家族全員が私の顔をまじまじと見つめた。
口の利けない子がはじめてしゃべった
とでもいうような驚きが誰の表情にもあった。
シューベルトの「未完成交響曲」にかけて
いたずらを「未完成」と釈明するなんて
この子は馬鹿でないのかもしれない。
彼らの心の声を聞けばこのようだっただろう。
安堵のためか場の雰囲気が和み
数拍遅れてみんなが笑った。
私も「テヘヘヘヘ


」と笑った。それから私は耳鼻科にも連れて行かれなくなったのだ。
私の学業はその後も不振を極めた。
何とか大学まで進学できたのは
一発勝負の試験に受かる運の強さにあった。
「運の強さは社会に出れば強力な武器となる」
ときに学生の就活セミナーの講師もする私は
今では厚かましくもそのように心得を説いている。
欧文フォントを話題にしながら
私はこのようなことを思い出した。
子供時代から続くこの支離滅裂な脱線振りが
家族をして私の将来を不安なものにさせたに違いない。
今日で4月も終わり。
時間の経過のなんと早いこと。
ゴールデンウイーク皆さんはどのようにお過ごしですか?
5月の半ばには絵本も完成する予定。
また経過を報告しますね

。 5月5日 日本のすべての原発が止まる - 2012.04.27 Fri
5月の声が大きくなるにつれ
日ごとに寒さは遠ざかっていった。
もう暖を取る工夫をしなくてすむ。
昨夏から今冬にかけての
夏の暑さと冬の厳しい寒さを
私は冷暖房なしでしのいだ。
ほんの少し得意な気分である。
節電の最大値は前年比-71.4%。
月平均でも電気の使用量は
前年の30%強に留まった。
事務所も兼ねた3LDKの電気代が
月額で3000円程度。
かなりの節約である。
淡路島のログハウスには
中国人の研修生がよく遊びに来る。
3月の18日には37人。
翌週の25日には別のグループの4人が来た。
37人はUSJからの帰り道に立ち寄ってくれ
貸切観光バスで私の家にやってきた。
次週の4人組は3年間の研修を終え
4月末で帰国する研修生たちだった。
若い研修生たちは明るく活気にあふれ
素直でとても勤勉である。
彼らとは日本の生活について話すことが多い。
給与は研修生の間でばらつきがある。
一番安い賃金は時給670円。
多い部類の人間で月額16万円くらいの給与をもらう。
賃金の差は仕事の質によって生じたり
会社の方針による違法な低賃金であったりする。
670円の研修生は印刷工場での雑用係である。
高い賃金の者は機械工たちだ。
高いと言っても
日本人の学生アルバイトに満たない給料で
長時間働かされている研修生がほとんどである。
それでも彼らは屈託なく
不満を口にする者はほとんどいない。
帰国する4人のうち2人はカップルだった。
大連に帰ると彼らは結婚式を挙げる。
日本で働いた3年間で2人は300万円ずつ貯め
あわせて600万円で新居のマンションを購入するらしい。
双方とも毎年100万円預金した計算に驚き
彼らの生活ぶりをたずねると
女性は月に9000円、男性は15000円ほどしか
生活費を使わないと答えてくれた。
1日に300円~500円の質素な生活である。
話を聞きながら私は
ログハウスに来るたびに彼らが作ってくれた
手作りの料理を思い起こした。
小麦粉 野菜と安い肉。
それだけあれば彼らは時間をかけ
ボリュームたっぷりのおいしい料理をこしらえてくれる。
きっとそのような毎日を送った結果
300万円ものお金を貯めることができたのだろう。
彼らとの比較はおこがましい限りだが
節電を中心としたスローライフも
生活の中心にゆったり流れる時間を取り戻すことで成り立つ。
情報に振り回され 目新しさに幻惑され
わずかばかりの便利と安楽を追い求め
私たちは熟成に必要な時間を
時代遅れなものとして自身の生活から追放した。
それはちょうど小麦粉をこね
イースト菌が発酵するのを静かに待ち
それが火と出会うことで
パンになり パスタになり 餃子に形を変える奇跡を
非効率な調理法として生活から追い出す不毛と釣り合っている。
中国人研修生たちの生活ぶりは
質素と不便にもかかわらず
充実した豊かさで輝いている。
彼らの関心と喜びは
生活の細部の発見にあり
自然に根ざした工夫と共に生きることで
自国の文化と歴史とのつながりを実感する。
私にとって原発事故は
浪費と欲にまみれた
自分の生活を見直すいいチャンスとなった。
私は電気が使えないことで
何を失えば怖いか自問した。
ラジオ テレビ パソコン 電子レンジ
冷暖房機 コピー機 FAX 冷蔵庫
私は何がなくなっても
少しも怖くないことがわかった。
大飯原発の再開をにらみ
関西電力は夏のピーク時に
15%電力が不足すると脅しをかけている。
日本経済の減速やら 集団自殺やら
脅しは彼らの常套手段である。
自分の生活から便利さと快適さが消え
不自由で非効率的な日々が待っていようと
私たちは少しも怖くはないと覚悟を決め
電力会社と向き合えば
この手の脅しは通じなくなる。
必要なのは小さな小さな腹のくくり方だけだ。
スローダウンには喪失した別の豊かさが
私たちの回りで蘇る利点だってある。
GNPがはるかに低い国であっても
本質的に日本より豊かな国は
地球上には掃いて捨てるほどある。
私たちが目指すべきはそのような国作りではなかろうか。
5月5日 日本のすべての原発が止まる。
子供の日にそれが実現するとは象徴的である。
現在と未来の子どもたちへの大きなプレゼント。
できることならそのまま
いつまでも原発が止まっていてほしい。
アップル社のスティーブ・ジョブズ氏は
今日が人生の最後の日だと考えれば
何をなすべきかがわかるとのメッセージを残した。
電力の場合で言えば
もし一つだけ電化製品を使うなら
何を利用したいか考えることだ。
そうすれば本当に必要なものが見えてくるはずである。
真夏にビールを冷やす冷蔵庫。
とりあえず私の答えはこれかな???
日ごとに寒さは遠ざかっていった。
もう暖を取る工夫をしなくてすむ。
昨夏から今冬にかけての
夏の暑さと冬の厳しい寒さを
私は冷暖房なしでしのいだ。
ほんの少し得意な気分である。
節電の最大値は前年比-71.4%。
月平均でも電気の使用量は
前年の30%強に留まった。
事務所も兼ねた3LDKの電気代が
月額で3000円程度。
かなりの節約である。
淡路島のログハウスには
中国人の研修生がよく遊びに来る。
3月の18日には37人。
翌週の25日には別のグループの4人が来た。
37人はUSJからの帰り道に立ち寄ってくれ
貸切観光バスで私の家にやってきた。
次週の4人組は3年間の研修を終え
4月末で帰国する研修生たちだった。
若い研修生たちは明るく活気にあふれ
素直でとても勤勉である。
彼らとは日本の生活について話すことが多い。
給与は研修生の間でばらつきがある。
一番安い賃金は時給670円。
多い部類の人間で月額16万円くらいの給与をもらう。
賃金の差は仕事の質によって生じたり
会社の方針による違法な低賃金であったりする。
670円の研修生は印刷工場での雑用係である。
高い賃金の者は機械工たちだ。
高いと言っても
日本人の学生アルバイトに満たない給料で
長時間働かされている研修生がほとんどである。
それでも彼らは屈託なく
不満を口にする者はほとんどいない。
帰国する4人のうち2人はカップルだった。
大連に帰ると彼らは結婚式を挙げる。
日本で働いた3年間で2人は300万円ずつ貯め
あわせて600万円で新居のマンションを購入するらしい。
双方とも毎年100万円預金した計算に驚き
彼らの生活ぶりをたずねると
女性は月に9000円、男性は15000円ほどしか
生活費を使わないと答えてくれた。
1日に300円~500円の質素な生活である。
話を聞きながら私は
ログハウスに来るたびに彼らが作ってくれた
手作りの料理を思い起こした。
小麦粉 野菜と安い肉。
それだけあれば彼らは時間をかけ
ボリュームたっぷりのおいしい料理をこしらえてくれる。
きっとそのような毎日を送った結果
300万円ものお金を貯めることができたのだろう。
彼らとの比較はおこがましい限りだが
節電を中心としたスローライフも
生活の中心にゆったり流れる時間を取り戻すことで成り立つ。
情報に振り回され 目新しさに幻惑され
わずかばかりの便利と安楽を追い求め
私たちは熟成に必要な時間を
時代遅れなものとして自身の生活から追放した。
それはちょうど小麦粉をこね
イースト菌が発酵するのを静かに待ち
それが火と出会うことで
パンになり パスタになり 餃子に形を変える奇跡を
非効率な調理法として生活から追い出す不毛と釣り合っている。
中国人研修生たちの生活ぶりは
質素と不便にもかかわらず
充実した豊かさで輝いている。
彼らの関心と喜びは
生活の細部の発見にあり
自然に根ざした工夫と共に生きることで
自国の文化と歴史とのつながりを実感する。
私にとって原発事故は
浪費と欲にまみれた
自分の生活を見直すいいチャンスとなった。
私は電気が使えないことで
何を失えば怖いか自問した。
ラジオ テレビ パソコン 電子レンジ
冷暖房機 コピー機 FAX 冷蔵庫
私は何がなくなっても
少しも怖くないことがわかった。
大飯原発の再開をにらみ
関西電力は夏のピーク時に
15%電力が不足すると脅しをかけている。
日本経済の減速やら 集団自殺やら
脅しは彼らの常套手段である。
自分の生活から便利さと快適さが消え
不自由で非効率的な日々が待っていようと
私たちは少しも怖くはないと覚悟を決め
電力会社と向き合えば
この手の脅しは通じなくなる。
必要なのは小さな小さな腹のくくり方だけだ。
スローダウンには喪失した別の豊かさが
私たちの回りで蘇る利点だってある。
GNPがはるかに低い国であっても
本質的に日本より豊かな国は
地球上には掃いて捨てるほどある。
私たちが目指すべきはそのような国作りではなかろうか。
5月5日 日本のすべての原発が止まる。
子供の日にそれが実現するとは象徴的である。
現在と未来の子どもたちへの大きなプレゼント。
できることならそのまま
いつまでも原発が止まっていてほしい。
アップル社のスティーブ・ジョブズ氏は
今日が人生の最後の日だと考えれば
何をなすべきかがわかるとのメッセージを残した。
電力の場合で言えば
もし一つだけ電化製品を使うなら
何を利用したいか考えることだ。
そうすれば本当に必要なものが見えてくるはずである。
真夏にビールを冷やす冷蔵庫。
とりあえず私の答えはこれかな???
奇跡の木 - 2012.04.22 Sun
ひょんなことから
絵本を作ることになった。
きっかけはブルースシンガーの
小林万里子さんだった。
震災1周年にあたる3月11日に
私たちはハーメルンPJジョイントチームの
パーティーを開くことにしていた。
バンドを入れてにぎやかな会にしたいと思い
ログハウスの常連客である友人に相談すると
小林万里子さんを推薦したくれた。
ジャパニーズブルースの名曲
「朝起きたら」は私が大好きな曲であり
その替え歌を私は自分の持ち歌にしていた。
長年の万里子ファンの私にとって
彼女の紹介は願ってもないことであった。
待ち合わせ場所は梅田の居酒屋。
はじめての店である。
有機野菜を使った料理はおいしく
きさくな女将のサービスも申し分ない。
その好環境の後押しがあったためか
小林万里子さんは交通費にもならないギャラで
淡路島のパーティーへの出演を快諾してくれたのだった。
料理と女将の人柄に惹かれ
店は常連客で繁盛していた。
暖かい雰囲気ながらベタベタせず
店と客 客同士の間に流れる
涼風のような絶妙の距離感が
私には居心地がよかった。
客の1人が問わず語りに
店の文集について教えてくれた。
酔って店を出るころには
ハーメルンPJジョイントチームへの寄付を条件に
私は次号の文集への執筆を約束していた。
締め切り直前になって
編集を担当する女性に
私は原稿を送った。
彼女はコピーライターのようだった。
原稿受け取りの返事をくれた彼女は
次のような感想を添えてくれていた。
「私は現在あるオフィスに出張勤務中ですが
仕事の合間に木田さんの美しい作品を校正するのは
心が癒されます」と。
ものを書く人間にとって
「美しい作品」というのは
最高のほめ言葉である。
彼女からこのようにおだてられなかったら
私はこの作品でチャリティー絵本を作り
寄付金を集めようとは思わなかったろう。
それは陸前高田に残った
1本の松の木を題材にした作品で
「奇跡の木」というタイトルをつけた。
私はこの原稿を
イラストレーターとデザイナーに回して
一緒に絵本を作らないかと誘った。
イラストレーターはこのブログで
何度となく取り上げた藤井一士さんである。
デザイナーは私の会社の元従業員。
彼女の正確かつプロ意識に徹した仕事は
私たちの奔放を呼び出しつつ
それが放縦に流れるのを防ぐ
なくてはならないものであった。
2人は二つ返事で引き受けてくれた。
かくして私たちの絵本作りがはじまった。
スタートと同時に
私は英語バージョンの必要を感じた。
「奇跡の木」は日本に限定せず
世界に向けて発信するべきだ。
それが私をとらえた思いだった。
幸い私たちのチームには英語に強いスタッフがいた。
彼女はアメリカの大学で勉強したほか
6年におよぶアメリカでの生活があった。
またチームの事務局長は英語を解し
IT技術の知識と経験があった。
彼らも加わることで絵本プロジェクトは
オールジョイントチームの趣で進むことになった。
視覚化した自分の作品を1日も早く見たいと願いながら
デザイナーとイラストレーターの集中力を削ぐことを恐れ
私はそれを言い出せずにいた。
先週の金曜日の打ち合わせで
デザイナーがそれをはじめて見せてくれた。
下の写真がそれである。

この絵本はwebで公開・販売し
書籍化して書店でも販売の予定である。
web上で売るのは英語バージョンのみ。
日本語の絵本は書籍で購入してもらう。
書籍化に際しては会員を募り
本が出来上がれば全額を寄付するつもりでいる。
これからさまざまな形で
絵本の情報を出していくことになる。
web版の購入および会員登録について
皆さまのご協力をお持ちしています。
この写真は絵本の冒頭であるが
それは次のようにはじまる。
私は多くの土地を旅した。
それぞれの地で数知れず木を見た。
私の記憶に残っているのは
森でも疎林でもなく
街路樹のように整然と立ち並ぶ木でもない。
根を張った土地の精を吸い上げ
ゆっくりと成長した孤木である。
タンザニアでは風にたわんだ1本の木を見た。
一面枯れ草の大地には赤茶色の道ができ
キリマンジェロの山腹にそれは吸い込まれていた。
遠目には孤立した木のようだったが
近づくと細くしなやかな幹に寄りかかり
枝が作る陰で陽射しを避けている
上半身裸の青年が木とひとつになっていた。
青年の褐色の体は木肌との境目をなくし
背中の湾曲は木のしなりとかさなり
1本の木 すなわち1人の青年だっだ。
青年と木以外地に生命はなく
高い空を雲が1つ横切った。
webページの公開は
5月半ばの予定。
乞うご期待!!!
よろしくー


絵本を作ることになった。
きっかけはブルースシンガーの
小林万里子さんだった。
震災1周年にあたる3月11日に
私たちはハーメルンPJジョイントチームの
パーティーを開くことにしていた。
バンドを入れてにぎやかな会にしたいと思い
ログハウスの常連客である友人に相談すると
小林万里子さんを推薦したくれた。
ジャパニーズブルースの名曲
「朝起きたら」は私が大好きな曲であり
その替え歌を私は自分の持ち歌にしていた。
長年の万里子ファンの私にとって
彼女の紹介は願ってもないことであった。
待ち合わせ場所は梅田の居酒屋。
はじめての店である。
有機野菜を使った料理はおいしく
きさくな女将のサービスも申し分ない。
その好環境の後押しがあったためか
小林万里子さんは交通費にもならないギャラで
淡路島のパーティーへの出演を快諾してくれたのだった。
料理と女将の人柄に惹かれ
店は常連客で繁盛していた。
暖かい雰囲気ながらベタベタせず
店と客 客同士の間に流れる
涼風のような絶妙の距離感が
私には居心地がよかった。
客の1人が問わず語りに
店の文集について教えてくれた。
酔って店を出るころには
ハーメルンPJジョイントチームへの寄付を条件に
私は次号の文集への執筆を約束していた。
締め切り直前になって
編集を担当する女性に
私は原稿を送った。
彼女はコピーライターのようだった。
原稿受け取りの返事をくれた彼女は
次のような感想を添えてくれていた。
「私は現在あるオフィスに出張勤務中ですが
仕事の合間に木田さんの美しい作品を校正するのは
心が癒されます」と。
ものを書く人間にとって
「美しい作品」というのは
最高のほめ言葉である。
彼女からこのようにおだてられなかったら
私はこの作品でチャリティー絵本を作り
寄付金を集めようとは思わなかったろう。
それは陸前高田に残った
1本の松の木を題材にした作品で
「奇跡の木」というタイトルをつけた。
私はこの原稿を
イラストレーターとデザイナーに回して
一緒に絵本を作らないかと誘った。
イラストレーターはこのブログで
何度となく取り上げた藤井一士さんである。
デザイナーは私の会社の元従業員。
彼女の正確かつプロ意識に徹した仕事は
私たちの奔放を呼び出しつつ
それが放縦に流れるのを防ぐ
なくてはならないものであった。
2人は二つ返事で引き受けてくれた。
かくして私たちの絵本作りがはじまった。
スタートと同時に
私は英語バージョンの必要を感じた。
「奇跡の木」は日本に限定せず
世界に向けて発信するべきだ。
それが私をとらえた思いだった。
幸い私たちのチームには英語に強いスタッフがいた。
彼女はアメリカの大学で勉強したほか
6年におよぶアメリカでの生活があった。
またチームの事務局長は英語を解し
IT技術の知識と経験があった。
彼らも加わることで絵本プロジェクトは
オールジョイントチームの趣で進むことになった。
視覚化した自分の作品を1日も早く見たいと願いながら
デザイナーとイラストレーターの集中力を削ぐことを恐れ
私はそれを言い出せずにいた。
先週の金曜日の打ち合わせで
デザイナーがそれをはじめて見せてくれた。
下の写真がそれである。

この絵本はwebで公開・販売し
書籍化して書店でも販売の予定である。
web上で売るのは英語バージョンのみ。
日本語の絵本は書籍で購入してもらう。
書籍化に際しては会員を募り
本が出来上がれば全額を寄付するつもりでいる。
これからさまざまな形で
絵本の情報を出していくことになる。
web版の購入および会員登録について
皆さまのご協力をお持ちしています。
この写真は絵本の冒頭であるが
それは次のようにはじまる。
私は多くの土地を旅した。
それぞれの地で数知れず木を見た。
私の記憶に残っているのは
森でも疎林でもなく
街路樹のように整然と立ち並ぶ木でもない。
根を張った土地の精を吸い上げ
ゆっくりと成長した孤木である。
タンザニアでは風にたわんだ1本の木を見た。
一面枯れ草の大地には赤茶色の道ができ
キリマンジェロの山腹にそれは吸い込まれていた。
遠目には孤立した木のようだったが
近づくと細くしなやかな幹に寄りかかり
枝が作る陰で陽射しを避けている
上半身裸の青年が木とひとつになっていた。
青年の褐色の体は木肌との境目をなくし
背中の湾曲は木のしなりとかさなり
1本の木 すなわち1人の青年だっだ。
青年と木以外地に生命はなく
高い空を雲が1つ横切った。
webページの公開は
5月半ばの予定。
乞うご期待!!!
よろしくー









